目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第53話

 横からガラガラと玄関戸を開ける音がして振り返ると、砂利を踏みながら詩織が参考書を抱えて姿を見せる。足元には白黒のブチ猫が甘えるように纏わり付いていた。詩織の家族が飼っている雑種の老猫だ。


「わ、ミー太、久しぶり! ちょっと太ったんじゃない? こんなに丸かったっけ?」

「お父さんがいない間、代わりにお兄ちゃんがご飯係してるんだけど、鳴いたら欲しがるだけあげるから……適当過ぎるんだよね」


 明らかに横腹がぽっこりしたオス猫を、莉緒はしゃがみ込んで撫でてやる。お参りに来る檀家さんからも可愛がられているというミー太は、莉緒が知っている猫の中でもダントツに人懐っこい。人の出入りが多い家で飼われていると、犬並みに愛想の良い性格になるんだろうか?


 遠慮なく撫でまわしてくる莉緒の手をミー太は少し不思議そうな顔をしながらクンクンと匂いを嗅ぎ始める。そして、ゴロゴロと喉を鳴らして足元に擦り寄ってくる。その甘えっぷりはさっき詩織にしていた以上かもしれない。


「あれ、ミー太、そこまで莉緒に懐いてたっけ?」

「ううん、前はここまでじゃなかったかも……」

「この子、犬飼ってる人には警戒して、あまり近付かなかったはずなんだけどなぁ」


 思い当たる節は一つしかない。家にメスの猫又がいるせいか?

 異様にじゃれ付いてくるミー太を撫で回しながら、玄関前で詩織と話していると、本堂のある方からドスンという何か大きな物が倒れたような音が響いた。


「え、何⁉」

「あー、きっと猫か何かが入り込んでるんだよ。この辺り、外飼いしている家が多いから……」


 日中にはお参りしに来る人もちらほらいて、本堂の入口は開けっ放しにされていることが多いから、ちゃんと閉められていないと近所の飼い猫が勝手に入ってくることがあるのだと言う。ミー太は早い内に去勢手術を受けさせているから、オスの割には縄張り意識が低いのか、他所の猫が侵入してきても見て見ぬフリをしているだけらしい。

 詩織は後で確認すればいいからと、音のした原因をあまり気にしてはいないみたいだ。


「本当に見に行かなくていいの?」

「いいって、いいって。どーせ大したことないよ、別に国宝級の仏像があるって訳でもないし」


 詩織はそんな風に軽く言っていたが、莉緒は本堂のある方を振り返り、ちょっと眉を寄せた怪訝な顔になる。建物の裏に墓地があるせいか、来た時から敷地内に不穏な気配を感じていたが、それが悪意を帯びているものかどうかまでは今の段階ではよく分からない。


 ――何もなければいいんだけど……。ま、お寺なんだから平気だよね。


 お寺で悪さをしでかすなんて罰当たりな行いでしかないし、法力を持つ僧侶なら除霊くらい容易いはずで、分別のある存在は気安く近付いてはこない。ただ、詩織の父親は今、体調不良の為に検査入院中で不在なのが気掛かりだった。そう思っていたら、また本堂の方で別の何かが派手に倒れる音が聞こえてきた。


「え、またぁ⁉」


 さすがに二度続けてとなると、詩織も慌てて確かめる為に本堂へと駆け出した。莉緒も心配になって付いていき、靴を脱いで階段を駆け上がる。住居よりも高さのある床に敷かれた畳は、子供の頃に一度数えたことがあるが三十枚を越えていた記憶がある。その広い座敷の一段上がったところには大きな祭壇――ご本尊が祀られている内陣。電気が付いていない薄暗い中では少し不気味に感じてしまうその空間も、ここで生まれ育った詩織はさすがに臆せずズンズンと奥へと入っていく。


 ビクビクはしながらも莉緒も子供の頃から何度も通い慣れた寺だ。さっきの音の原因を探るべく、本堂の中を見回していく。と、外陣と呼ばれる参拝スペースの隅っこに置かれたピアノの椅子が倒れているのに気付いた。そしてすぐ後に、祭壇の方を確かめに行った詩織が「うわっ!」と短い悲鳴を上げたのが聞こえて駆け寄った。


「ど、どうしたの⁉」

「いつもここに立ててある蝋燭立てが、ドミノ倒しされてる……」


 言われて見てみると、隅の棚に並べて置かれていたはずの蝋燭立てが全て倒れ、一緒に並んでいたらしい二十センチ四方の箱が畳の上に転がっていた。慌てて箱を空けて中身の無事を確認していた詩織だったが、中に入っていたのは参拝者に貸し出すことのある予備のお経の本。さっきの音の一つは隅に置いていた重さのあるこの箱が落ちた音だったんだろう。何かが棚の上に飛び乗った拍子に蝋燭立てに触れてピタゴラスイッチ状態になってしまったか。


「向こうでピアノの椅子も倒れてたけど、あれって結構重いよね……?」


 蠟燭立ての方ならミー太くらいの大きさの動物の仕業だと思えるけれど、重量感のある椅子だとそうはいかない。けれど、他に誰かが忍び込んだ形跡は見当たらないしと、不可解な気分を引きずりながらも莉緒達は椅子と蝋燭立てを戻してから本堂を出た。


 特に何かが壊れたり紛失したりしたわけではないからと、詩織はあまり気にしていなかったみたいだけれど、莉緒は一人で自宅へ戻った後もお寺で感じた何かの気配のことばかり考えていた。


「あそこの住職は結構な法力の持ち主だし、心配することはあらへんよ。入院って言っても何も見つからなかったら数日だけのことやろ?」


 夕食の支度中のミヤビに何か知らないかと聞いてみると、莉緒が伝える前から詩織の父親の入院のことは把握していたみたいだった。おそるべし、猫又の情報網だ。


「ほら、お隣の畑中さんとこがあそこの寺の檀家やから」


 どうやら入院の件は井戸端会議の時に聞いたみたいだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?