四時間目の日本史の授業中。歴史上のこぼれ話を得意げに語りながら、教師によってチョークで勢いよく板書されていく年表を、莉緒は必死でノートへと書き写していた。歴女というほどではないが日本史はそれなりに好きだ。たまに妖狐や猫又が話してくれることがある、何世代か前の先祖の時代を身近に感じることができるから。写真も残っていないような古い先祖のことは、長寿なあやかし達の話として聞くと意外と面白い。だから、一般的に人気ある戦国時代とかよりは、明治や大正といった近世に興味が湧く。
どうやら今習っている日本史の男性担当教諭は江戸幕府フリークみたいで、多分受験では触れられることのなさそうなマイナーな将軍の話をやたら時間をかけて掘り下げてくる。特に大奥関係のエピソードを解説する時には嬉しそうに顔をニヤけさせていた。第十一代将軍の徳川家斉が五十三人もの子供をもうけていたという話をかなり力説していたから、もしかして一夫多妻の願望でもあるんだろうかとすら疑ってしまう。本当にそうならちょっとキモイ。
黒板の文字を一通り写し終えて顔を上げてから、莉緒は二つ斜め前の席に座っている詩織が大きな欠伸を漏らしたのを偶然目撃した。今日は朝一の練習はサボってしまったと、始業ギリギリで教室に駆け込んできた詩織。三年生が引退した後、バレー部の副キャプテンとして誰よりも張り切っていたはずなのに、珍しいこともあるんだなと朝から驚いていた。
莉緒が気にして眺めている間にももう一度欠伸していた詩織は、相当な睡魔に襲われかけているのか少し頭をぐらつかせていた。居眠りが教師にバレはしないかと、莉緒の方がハラハラしてしまう。
「どうしたの、寝不足?」
終業のチャイムとともに、詩織の席へと心配で駆け寄る。部活に支障が出るからと人一倍体調管理には気を付けていたはずなのに、詩織の目の下には薄っすらとクマが出ていた。テスト前でもここまでになってることは一度もなかったはずだ。
「うん、昨日はミー太がちょっとね……」
「え、ミー太がどうかしたの?!」
こないだ会った時は元気そうだったのに、やっぱりもう歳だから何か大きな病気が見つかったんだろうかと、莉緒は焦って聞き返す。詩織の家で遊ぶ時は当たり前のように一緒にいたオス猫は、莉緒にとっても特別な猫だ。二人が漫画を読んでゴロゴロしていたら、隣に来て一緒に寝ころんでくるようなそんな猫だったから。
その莉緒の早とちりな反応に、詩織は苦笑を漏らしながら首を横に振ってみせる。
「ううん、ミー太はまだ元気。でも、最近やたらと夜鳴きして、何度も部屋に起こしに来るんだよね……おかげで完全に寝不足」
「夜鳴きって、何が原因で? 去勢済みだから発情期とかは関係ないんだよね……?」
「さあ、分かんないけど、お兄ちゃんが猫も年取ったらボケることもあるだろって言ってる」
動物病院で診て貰っても原因になるような病気は見つからなかったらしく、環境の変化による一時的なストレスかもと言われたんだという。最近の久我家の変化というと、父親が検査入院で不在だということがすぐ頭に浮かんだ。猫のお世話係が息子へと変わったことが原因なのか?
「確かに、お兄ちゃんはいい加減だけど、それは別に気にしてなさそうなんだよね。そんな神経質な子じゃないし」
「そうなんだ。じゃあ、他に原因になることは?」
「うーん……実はさ、ミー太っていうより、私の方が気になってることがあるんだよね。ほら、こないだ莉緒が家に来た時もあったでしょ、あの後も本堂で物音がすることが何度もあって……」
詩織がその話をもっと詳しく説明しようとしていたら、授業後に担任から呼び出されていた美羽が教室へ戻って来たのが見えた。周りのクラスメイトは席を確保して、とっくにランチタイムに突入している。三人も急いで移動させた机を囲んで、それぞれが持参したお弁当を開け始める。
「わ、今日の莉緒のお弁当も美味しそうー。親戚の人と一緒に住むようになってから、ずっと豪華なんだけど」
「ほんと、見た目もだけど、いつも栄養バランスもしっかり考えられてるって感じ」
「でしょ、すごく料理上手なんだよね。大抵の調味料とかも手作りしちゃうし、最近はぬか漬けにハマってるみたいで、いっつもぬか床をかき回してる」
冷凍食品が半分近く占めていた以前のおかず事情を知っているからこそ、ミヤビの作ってくれたお弁当を莉緒と一緒になって喜んでくれている。きっと言葉には出してなかったけれど、二人ともかなり心配してくれていたんだろう。
「……そんなことより、さっきの話なんだけど」
「聞いてくれる?」と言いながら、詩織は箸を置いた。お弁当はまだ数口しか食べてないけれど、寝不足のせいで食欲もあまりないみたいだ。お弁当が足りないからと毎日お菓子も持参してくるようなタイプだったのに……。
「何の話?」と横から聞き返していた美羽に、莉緒は「猫が夜鳴きするんだって」と掻い摘んで説明してあげたが、詩織が呆れ顔で違うと訂正してくる。
「いや、違うってこともないか……もしかしたら、ミー太もあれに反応して鳴いてるのかもしれない……」
ほとんど独り言のように呟いてから、詩織は少し怯えた表情でそれについて話し始める。