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第60話・怨霊退治

 裏庭に住み着いている河童達の朝は早い。日の出とともに畑に出て、朝露を浴びながら野菜の世話を始める。日が昇り切ってしまうと皿の水が乾きやすくなるからというのもあるかもしれないが、おそらく一番の理由は……


「さすがやねー、今日も見事な実りっぷりやん! この黒くてツヤツヤの茄子は味噌汁の具にするか、漬物にするか悩むわー。いやー、美味しそうやわ」


 朝食に使う収穫したての野菜を河童から受け取ったミヤビが、黒目を煌めかせて褒めながら、「ご苦労さん」と小柄なあやかしの前に魚の切り身を乗せた皿を差し出す。それを河童達は両手を挙げて大喜びしながら受け取ると、深々と頭を下げて礼を伝える。

 これは毎日のことではないけれど、たまに朝食用の魚の切り身をお裾分けして貰えるのを河童達はとても楽しみにしているようだった。まだ焼く前の生の状態のものを水かきと鱗の付いた緑の手で摘まみ上げ、ぱくりと一口で頬張る。


 安全で自由が保障された住処と、趣味と実益を兼ねた労働。そして、猫又からの大袈裟過ぎるほどの激励とたまに貰えるご褒美を糧に、河童達は毎日活き活きと畑仕事していた。


 ダイニングでは季節の旬な野菜がたっぷり入った味噌汁を、和史は欠伸を堪えながら啜っていた。昨夜もまた商店街のご主人達と飲みに行っていたらしく、帰宅したのは随分と遅かった。


「もうすぐ『沙雪』の大将の三回忌だって言うからさ。閉店時間までみんなでしみじみと思い出を語り合ってたんだよ」

「それ、去年も同じこと言ってたけど、毎年続くの?」

「そりゃあまあ、語り合いたい仲間がいて美味しい酒と肴さえあれば……」

「確か先月は花屋のご主人の五回忌って言って朝帰りしてた気がするんだけど」


 昨晩の小料理屋での飲み会は亡くなった大将を偲ぶ会だったから参加しない訳にはいかなかったと、和史が当然のごとく言い張る。

 商店街を横道に入ったところにある『沙雪』は、美魔女と評判の女将が一人で切り盛りする小料理屋だ。莉緒も小学生の頃に何度か夕ご飯を食べに連れて行って貰ったことはあるが、当時は大将もまだ健在だった。

 三年前に病気を患って大将が亡くなってしまった後、一年ほど店は閉めていたが女将が営業時間は短縮しつつも一人で再開した。『沙雪』という店名は彼女の名前、雪乃から夫が付けてくれたのだと、まだ大将が元気だった頃に照れながら教えてくれたのは覚えている。


 勿論、五年前に亡くなったという花屋のご主人のことも莉緒はよく知っている。父の幼馴染でもあるから、莉緒が小さい頃にはこの屋敷にも何度か遊びに来たことがあった。でもお店へ花を買いに行ったことはないし、店の前を通っても店頭で接客しているのはいつも奥さんの方で、店主は奥で作業しているか配達に出ていることが多かったから、最後に見かけたのはいつだったかまでは覚えてない。


「花屋ってのは見た目の華やかさとは裏腹に、水を扱う仕事だし結構な肉体労働なんだぞ。大きな鉢植えを配達先まで運ぶのにも男手が欲しいらしくてね」


 そう言いながら、最近の和史は花屋の手伝いに出掛けることが増えていた。他の店でのアルバイトもあるから、さすがに一日中というわけではないみたいで、配達の重なる時間に少し顔を出すだけみたいだったけれど。子供がいない奥さんは店の二階に一人で暮らしているらしいから、変な噂にならなければと子供心に心配してしまう。

 今日は朝から花屋の配達を手伝った後、昼からはまた別の店でアルバイトする予定だと話していた。


 その日の学校帰りに商店街の中を通り過ぎる際、莉緒は頭に白色のタオルを巻いてエプロンを身に着け、ピックを駆使してたこ焼きを丸めている父親の姿を発見した。その隣には同じ朱色の店名入りエプロンを着た女性が、パック詰めされたばかりの商品を購入客に手渡して会計をしているようだった。女性は三十台後半くらいで、初めて見る顔だ。

 ここは以前には靴屋さんが入っていたが、随分前から空き店舗になっていた場所。外に面した屋台式のコンロで調理された物を、購入後には奥のイートインスペースで食べることもできるようになっているらしい。中を覗いてみるとガランとした空間にレトロなパイプ椅子と長机が並んでいた。多分、集会所で使っているやつをとりあえず借りてきたって感じだ。隅っこには靴屋さんの時の什器が積み上げられて残っている。なかなか味のある光景だ。


「お父さん……⁉」

「おう、莉緒。今から帰りかい?」

「こんなところにタコ焼き屋さんなんて、あったっけ?」


 ここ数日は商店街を抜けるルートは使ってなかったから分からないが、先週にはこんな店は無かったはずだ。


「ああ、昨日オープンしたばかりだからね。――あ、ユリさん、これはうちの娘です」

「あら、藤倉さん、こんな大きな娘さんがいらっしゃったのね。初めまして、お父さんにはお世話になってます」


 和史から紹介されて、莉緒はユリさんと呼ばれた女性へと、「こんにちは」と会釈する。父とお揃いのエプロンの女性は「私、ここにあった靴屋の出戻り娘なのよ」と自虐的に自己紹介してくれた。


「場所はあるから何か商売でもって思ったんだけど、素人に出来る店なんて限られてるでしょう? とりあえずタコ焼き屋でもって思ったんだけど、不器用だから上手に焼けなくって……あ、味付けには自信はあるのよ。ソースも自家製だし」


 だから最近は和史が毎日手伝いながら焼くコツを伝授している最中なのだと言う。料理なんて出来ないと思っていた父が器用に生地を丸にしていくのを莉緒は驚き顔で見る。


「子供の頃にお祭りでタコ焼き屋の屋台を手伝わせて貰ったことがあってね。お父さん、昔からこれだけは得意なんだよ」

「私、お料理は好きな方だと思ってたんだけど、なかなかキレイに丸くできなくって……営業している内に上手くなるかなぁ、なんて」


 何とも行き当たりばったりなと呆れたが、藤倉家も似たような自転車操業なのだから笑うに笑えない。ただ、サービスと言って貰ったタコ焼きからは甘めのソースの美味しそうな匂いが漂っていた。

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