目次
ブックマーク
応援する
10
コメント
シェア
通報

1-9. 美しき異常な一皿 ★アデル視点



 アデル視点です。


――*――


 ドラコが持ってきた美しい一皿を見て、俺は心底驚いていた。

 皿の中央には煌めく氷の山があって、その頂上には、俺とドラコを模した物が飾られている。


「……これは?」

「ねっ、すごいでしょ? レティはりんごだから食べていいって言ってたですけど、もったいなくて食べられないです」

「そうだな」


 確かにドラコの言うりんごの飾り切りは、非常に精緻で芸術的だ。

 皮の赤い部分と実の黄色い部分を上手く利用し、削り方にも緩急を付けて、見事に立体感を出している。


「こんなにすごい物を作れるのに、どうしてレティは村人に疎まれたりしてたんでしょう。人間って、不思議なのです」

「……村人に疎まれている?」

「はい。レティは、美味しい物を食べると人は笑顔になるって言ってたですけど……美味しい料理と綺麗な料理は、また別なのですか? ドラコは、見た目だけでとっても嬉しくなっちゃったですけど」


 ドラコは心底不思議そうに、首を傾げている。

 実際、料理には見た目も大切だし、こんな技術を持っているなら、普通は喜ばれることだろう。

 だが、それでも村人に疎まれているというなら、その原因は――。


「あ、そうだ。レティからアデルに伝言があるです。『親切でお薬を塗ってくれようとしたのに、突き放してしまってごめんなさい』って」

「あ、ああ」


 俺は彼女の反応を思い出して、ドラコから目を逸らした。

 小柄で痩せていたから、もっと年若い子供かと思っていたが、ドラコの話によると、彼女の年齢は十八歳。俺と三つしか違わないらしい。……恥ずかしいに決まっている。

 人間と関わりを絶って長いとはいえ、どうして俺はそんな当然の感情すらも忘れてしまっていたのか。


 ――悪魔! 化け物! 人でなし!


 あの日、森に攻め込んできた人間たちに投げかけられた、怨嗟のこもった言葉を、憎しみに満ちた恐ろしい形相を思い出す。

 彼らが言ったように、人間なら当たり前の気遣い一つもできない俺は、人であって人ではないのかもしれない。



 俺は、真っ赤になって涙目で俺を睨む彼女の顔と、自分の失態を振り切るように、煌めく氷の細粒に目をやった。

 本当に美しい皿だ――しかし、やはり、どう見ても異常・・である。


「それよりドラコ……お前、気づいたか?」

「え?」


 ドラコは、こて、と首を傾げた。


 だが俺はそれに答えず、細かい氷の欠片を、スプーンで掬って口に運ぶ。

 ザクザク、シャリシャリとした氷は、口の中であっという間にほどけて消えていく。味はしないが、口の中が程よく冷やされ、すっきりと心地良い。


「気づくって……何にですか?」

「氷だ」


 俺はドラコにもう一本のスプーンを差し出すと、自分も再び氷を掬って、口に運ぶ。

 今度は氷と一緒に、ベリーも。キンキンに冷えたベリーの爽やかな香りが鼻腔を抜け、酸味と甘みが口内に弾けた。


 ドラコも俺に倣って、パクリと氷を口に放り込むと、驚いたように頬を押さえた。


「ひやひや冷たいのです! 不思議な食感ですね」 

「ああ。さっぱりして、いくらでも食べられそうだ」

「はい、ドラコもそう思います! えっと、それで、アデルは結局、何が言いたいですか?」


 ドラコは再び氷を掬う。どうやらドラコもこの氷が気に入ったようだ。しかし、この皿の異常性に気付いた様子はない。


「……ドラコ。この氷は、どこから持ってきた?」

「もちろん、レティの部屋からに決まってるです」


 当たり前だろうと言わんばかりの表情で、ドラコは即答した。

 ――聞き方が悪かったようだ。


「お前は、彼女の部屋に氷を持って行ったのか?」

「いいえ」

「だったら、彼女は、どうやって・・・・・氷を用意した?」

「……あ、確かに。んん……? どうやったんでしょう……?」


 そもそも、この森では氷は貴重だ。冬に凍った川から切り出してきて、氷蔵室に保管しておけば、次の冬まではつ。

 それでも食材や薬品などの保冷に使うのが主であって、そのまま食べるなんて贅沢な使い方はしない。

 森の外、人間たちの集落では氷を取っておける特別な設備もあるらしいが、夏でもそれなりに涼しいこの森には必要のない設備だ。


「これは、彼女からのメッセージだろう」

「メッセージ?」


 ――普通に考えても、説明が付かない現象。

 それを可能にする不思議な力を、俺はよく知っている。


 それは、長年俺を苦しめてきたもの。

 選ばれた者にだけ授けられた力であり、自分を縛る鎖であるもの。

 すなわち。


「――『魔法』だ」


 精霊が気まぐれで人間にもたらした、異能力。

 精霊の与えた加護であり、自然の恵みそのものの力。

 だが――この地にあっては、ただの呪い。


「精霊の力を閉ざしてしまったこの地に、外から紛れ込んだ異物。――恐らくレティシアは、俺と同類・・だ」


 ――私も、あなたと同じ。


 きらきらと光を反射する白い細粒には、彼女の痛みと叫びが込められているような気がした。


 ……あの少女のことを、もっと知りたい。

 いや、保護した責任もあるのだから、知らなくてはならないのだろうが。


 ◇


 この地に、精霊の力を持たない者たちがやって来た時。

 本当なら俺も、生き残った姉や他の子供たちと共に、大人しく他の場所へ逃げれば良かったのだ。


 けれど、そうしなかった。そうできない理由があった。


 ここ、恵みの森の奥地にひっそりとそびえる、精霊の樹。

 星の中枢から世界中に根を張り枝葉を伸ばす、世界樹ユグドラシル――その枝葉のひとつが、この森にあるのだ。

 世界の、精霊の恵みそのものであるその樹を護るのが、俺たち一族の役目だった。


 俺は、精霊の樹を護る役目を負った『神子みこ』の家系――数ある精霊たちの中でも最も強い力を持つ、火の精霊の加護を受けた人間だ。

 だから、俺には精霊の樹を護る責任がある。この森を護れるのは、誰よりも強い力を持つ俺だけだ。俺は、姉や他の子供たちを全員森から逃がし、誰も入れないよう、森に炎の結界を張った。


 自分の選んだことだが、時折、俺の身に降りかかったこの理不尽に腹が立つこともあった。けれど、復讐や報復だけは望まなかった。

 俺個人の感情に、精霊を巻き込みたくない。俺が怒りに任せて力を暴走させたら、浄化の白炎はすぐさま破壊の黒炎へと変わってしまう。そうすれば、この地の全てが業火に沈んでしまうだろう。

 人間どもはどうでもいいが、一族が愛したこの森を焼き尽くしてしまったりしたら、俺を信じて全てを預けてくれた精霊や、外へ逃げ延びた同胞たちを裏切ることになる。


 人の業は深い。

 精霊に授かった力を人間同士の争いに用いるなど、本来、あってはならないのだ。


 ◇


 俺は、残りの氷をドラコに譲って、部屋を出た。

 廊下をゆっくりと歩きながら、俺は考えを深めていく。


「……人間は、信用できない。だが」


 ――村人に疎まれている。

 ――帰る場所も、頼れる人もない。


 昨晩、ドラコと俺を目の当たりにした時の、彼女の表情を思い出す。

 あの時、レティシアは、驚き怯えこそしていたが、その瞳には憎しみも嫌悪も宿っていなかった。

 彼女が顕にした感情の中で、一番強かったものは――そう、諦念だ。


「彼女は、妖精のドラコを拒まなかった。エピにも、律儀に挨拶を返していた。――なら」


 もしかしたら。

 俺と同類・・の彼女だったら、もしかしたら。


「――俺のような化け物とも、正面から向き合ってくれるのだろうか」


 そんな淡い期待を胸に抱くと、何故だか急速に鼓動が高鳴っていく。


「……緊張、している? この俺が?」


 だが、それだけではない。

 緊張感の奥に、わずかに感じるこの掴みどころのない気持ちは、一体何なのか。考えたところで、答えは出そうになかった。



 そうしていると、レティシアに貸している部屋の前にたどり着いた。

 俺は深呼吸をして、しばらく扉の前に佇む。

 どうにか気持ちを落ち着けてから、その扉をノックした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?