ドラコに連れられ、二階にある客室から一階に降りて行く。目的の場所は、階段からすぐ近くにあった。
「ここがキッチンね」
広くて、使い勝手の良さそうなキッチンだ。
見たところ、鍋やフライパン、ナイフなどの基本的なものは揃っているようだ。
ただ、設備がちょっと特殊なので、後で使い方を聞く必要がありそうである。
「広いし、素敵なキッチンね。綺麗にしてるんだね」
「もちろんです。ドラコとアワダマたちが、毎日、丹念にお掃除してるですから」
「アワダマ?」
聞いたことのない単語が飛び出して、私は首を傾げた。
「お掃除やお洗濯が大好きな、ムクロジの木に棲む小さな妖精です。お片付けを始めたら、わらわら集まってくるので、後で会えると思うです」
「へえ、楽しみ!」
「それから、食材ですけど――」
食材は、恵みの森に実るものならいつでも用意できるらしい。果実、野菜、穀類。豆類や芋類もある。
乳製品や肉類は手に入らないが、季節によっては川魚が釣れるとか。だが、川が森の端の方にあることと、時間がかかることという二つの理由から、釣りには滅多に出かけないらしい。
また、卵は時々、巨鳥エピが分けてくれるので、その時だけ食べられるそうだ。
「エピオルニスの卵は、鶏卵の180倍の大きさがあるです。焼くだけでは到底食べ切れないので、その時に小麦を挽いてパスタを打って、乾燥させて保管しているです」
「自家製パスタもあるんだね」
「はい、月に一、二回、アデルと一緒に作ってるです。エピの卵は先週も貰ったばかりだったので、パスタもまだたくさん残ってるです。持ってきますか?」
「うーん、そうねえ……ちょっと考えさせて」
パスタもいいが、せっかく新鮮な野菜が手に入るのだ。素材の味を活かした野菜料理を用意してみたいというのもあるし、アデルさんに振る舞う料理なのだから、彼が打ったパスタを使うのは少し違う気がする。
次に、調味料だ。
油はオリーブや紅花、菜種などから
人の手では抽出するのも大変だが、森には油屋を営業しているガマという妖精が棲んでいて、色々な種類の植物油を抽出し、保存しているようだ。
油は、ガマから物々交換で購入できるのだとか。
甘味に関してだが、さすがに精製糖は用意することが出来ないようだ。そのため、甘い果実やメープル、花の蜜、蜂蜜を砂糖の代用としているらしい。
塩は、森の外から調達してくるらしい。明日のドラコの外出も、森で手に入らない塩や日用品を、受け取りに行くのが目的だそうだ。
「受け取りに行くって、誰に?」
「アデルのお姉さんです。十何年か前の事件のとき、生き残った子どもたちを連れて森から避難して、それからずっと外で暮らしているです」
「生き残った人がいたんだね。それも、アデルバートさんのお姉さんかあ」
アデルさんの姉……どんな人なのだろう。子どもたちのリーダー的存在だったのなら、面倒見の良い人なのかもしれない。
実際、今もアデルさんのために必要なものを用意してくれているのだから、当たらずとも遠からずだろう。
しかし、生き残っている人がいたのなら、ひとつ疑問が残る。私は率直に尋ねた。
「ねえ、ドラコ。アデルバートさんは、どうしてお姉さんと一緒に森から逃げなかったの?」
「それには、ふかーい訳があるです。けど、森の大切な秘密なので、アデルの許可がないと、ドラコから話すことはできないのです」
「そっか」
アデルさんが何故一人での生活を選んだのか、気になるところではあるが、私にそれを詮索する権利はない。
私は、調味料の確認を再開したのだった。
「ええと、それで。他には、こしょうや唐辛子なんかの香辛料ね。こっちは薬味、ハーブ類。パセリにバジルにミント……色々あるわね。発酵調味料は、お酢しかないか」
「はっこう? 調味料が光るですか!?」
「あはは、違うよ」
ドラコは、発酵を発光と勘違いしたらしい。暗闇の中でぼんやりと光る調味料を想像して、私は笑ってしまった。
「発酵調味料っていうのは、酵母や乳酸菌、麹菌なんかを利用した調味料のこと。お酢やお酒もそうだし、醤油や味噌、みりん、塩麹、魚醤というのもあるわね」
「お酒ですか! 火酒だったら、ドワーフたちが持ってるですよ」
「まあ、この森にはドワーフさんたちもいるの?」
「はい。この森の地底に棲んでるです」
ドワーフは、妖精というよりも亜人に分類される種族だ。鉱山から繋がる地底に棲んでいて、金属の鉱石を採掘して精錬、加工することを生業としている。金属加工品を販売し、お酒や食糧などを調達するために、人間の街にも販路を持っているという。
ただ、それは大きな街に限った話だ。ファブロ村では、一度も彼らの姿を見たことがない。村でも、帝国での生活を経験している年長者は、実際に人間の街で金物屋を営むドワーフに会ったことがあるそうだ。
「でも、ドワーフたちはお酒が大好きなので、分けてくれないと思うです」
「ああ、それはいいの。ドワーフさんたちの火酒はかなり度数が高いんでしょう? 料理にはあまり向かないと思うわ。ここにある物を使って作れる料理を、考えてみるね」
明日はドラコが不在ということを考えると、アデルさんに料理を振る舞うのは今晩か、明後日以降になる。だが、せっかくキッチンを使う許可を貰ったのだし、早めにお礼をしたい。やはり、今晩が最適だろう。
限られた調味料、食材、慣れないキッチン。
その上思うように動かせない体で、短時間でできるもの――。
私はドラコに手伝ってもらいつつ、野菜の保管庫を物色し、レシピを考え始めたのだった。