目次
ブックマーク
応援する
12
コメント
シェア
通報

2-5. 主人の帰宅



「あ! アデルが帰ってきたです!」


 玄関扉が開く音より前に、気配を察知したらしいドラコが、嬉しそうに声をあげる。

 ドラコは食器棚から取り皿を用意しているところだったが、持っていた皿をテーブルに置くと、一目散に玄関の方へ飛んでいった。


「アデルー! お帰りなさいですー!」

「ああ、ただいま。ん? 良い匂いがするな」

「アデルが出かける前に、キッチンを使っていいかって聞いたでしょう? 実は、レティがアデルのために、お料理を作ってくれてるですよ!」


 ドラコとアデルさんの会話が聞こえてきて、私は小さく笑いをこぼした。

 この調子だと、ドラコはアデルさんをすぐにでも引っ張ってきそうだ。もう、テーブルの準備を整えてしまってもいいだろう。


 取り皿とグラス、カトラリーを三箇所にセットし、個別に盛り付けたラタトゥイユとサラダを各々の席の前に用意する。よそい切らなかったラタトゥイユは、小鍋に入れて、テーブルの中央に置いた。


 大皿に盛ったフルーツも、先にテーブルに持ってきて、端の方に置いておく。下に氷皿を置いているので、デザートの時間まで冷えたままのはずだ。


 水差しには、冷たい飲料水を入れ、薄くスライスしたレモンを浮かべてある。

 ここの水道水も充分飲用可能なものではあったが、今回は泉の精霊の魔法を使って、美味しい天然水を用意した。


「レティ、アデルが帰ってきたですよ!」


 ドラコの元気な声がダイニングの入り口から聞こえ、私は振り返った。

 ふよふよ飛んでいるドラコの後ろから、外出用のマントを羽織ったままのアデルさんが姿を現す。


「お帰りなさい、アデルバートさん」

「……あ、ああ。ただいま」


 私がにこりと微笑んで挨拶をすると、アデルさんはなぜか面食らったような表情で、もごもごと返事をした。不思議な反応に、私は首を傾げる。


「あの、どうかされました?」

「いや、その……何だか新鮮でな」

「新鮮?」


 私がアデルさんの言葉を繰り返すと、ドラコが補足した。


「今までドラコしかいなかったですし、ドラコが多少手伝うことがあっても、食事の支度はアデルが自分でしてたですもんね」


 アデルさんは、無言で頷き、指先で頬を掻いた。耳がほんのり赤くなっている。


「それで、レティ。アデルに手伝ってもらって、仕上げをするんですよね?」

「ええ。あの、コンロを使いたくて……お願いできますか?」


 ドラコに促されて、私はアデルさんに尋ねた。

 これまでベッドの住人と化していたから気付かなかったが、こうして向き合ってみると、アデルさんはけっこう身長が高い。私は逆に小柄だから、見上げる形になる。


「ああ、構わないが、先に上着を脱いできても――」

「あっ、マントはドラコが預かるです! ドラコは出来る執事なのです!」

「……わかった。頼む」

「合点承知ですー!」


 アデルさんはそう言ってきびすを返そうとしたが、ドラコがすいっと横に動いて、彼の進路を塞いだ。

 アデルさんは仕方なく、その場でマントを脱ぎ、ドラコに預ける。ドラコはマントを預かると、そのまま二階へと飛んでいった。


「帰ってきて早々、すみません」

「いいや、構わない。それより、体調は平気なのか?」

「はい。おかげさまで、だいぶ動けるようになりました。心配して下さり、ありがとうございます」

「そうか。無理はするなよ」


 アデルさんは、ぶっきらぼうにそう言うと、腕まくりをして水道で手を洗う。私はその間に、最後の料理の準備に取りかかった。


「それで、火を使いたいと言ったな? どの程度の強さだ?」

「えっと、最初は中火、後から弱火で加熱します。火を弱くするタイミングはお伝えするので、お願いします」

「わかった。とりあえず中火だな」


 オリーブオイルをたっぷりひいたフライパンをコンロに乗せると、アデルさんが私の隣に立ち、コンロに向けて軽く手をかざした。ぼう、と小さな音がして、青白い炎がフライパンの下に広がる。


「綺麗な蒼炎……アデルバートさんは、色んな種類の炎を扱うんですね」

「ああ。君も、水だけでなく氷や熱湯も出せるのだろう? それと同じだ」

「なるほど、言われてみればそうですね」


 話をしながら、フライパンに千切りにした芋を全体に広げて入れる。本当はバターの方が香り高くて美味しいのだが、無いものは仕方ない。


 中火で加熱しながら、フライ返しを使い、時々押し付けるようにして芋を焼き付けていく。

 頃合いを見て火力を弱くしてもらって、焼き色がつくまで焼いたら、慎重にひっくり返す。

 フライパンの縁から油を追加して、くるくると回しながら裏面も焼いていく。それを何度か繰り返したら、皿に取り、味を調整して、じゃがいものガレットの完成だ。


「よし、完成!」

「ほう……見事なものだな」


 アデルさんは、目をみはって、皿の上のガレットをまじまじと眺めている。


「ふふ、アデルバートさんの火加減が完璧だったからですよ。ありがとうございました」

「いや、それは君の指示が的確だったからだ。それに、このように美しく焼き上げる技術は、間違いなく君の力だろう」


 私がアデルさんにお礼を言うと、彼はふっと目を細めて、私の方へ視線を向けた。

 こうして褒められると、なんだか照れくさい気持ちになる。私が思わず笑みをこぼすと、アデルさんの口元も柔らかく綻んだ。


「あ……」


 私は、アデルさんの柔らかな表情に、思わず小さく声をあげてしまった。どき、と胸が甘く音を立てる。


「ん? どうした?」

「い、いえ、何でもないです。それより、二枚目、三枚目もどんどん焼いてっちゃいましょう!」

「ああ、そうだな」


 一体、私はどうしてしまったというのだろう。心臓が急に早鐘を打ち始めて、顔が熱くなってきた。

 私は首をぶんぶんと振ると、再び手を動かし始める。

 アデルさんの視線が、じっと私の手元を見つめているのを感じながら――。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?