「わぁ、いい匂いですー!」
じゃがいものガレットを全て焼き終わったところで、ドラコがキッチンに戻ってきた。
二品ともフライパンを振ったり、たくさん動くことなく作れる料理だったので、何とか作り上げることが出来た。だが、私一人だったら到底完成させることは出来なかっただろう。
「お二人が手伝ってくれたおかげで、無事に完成させることができました。お二人とも、ありがとうございます」
「にしし、どういたしましてですー」
「いや、俺は何も……」
素直に返事をするドラコに対して、アデルさんは謙遜しているのか、首を横に振った。
そんなことはない、と私が口を開くより前に、ドラコがアデルさんの目の前で、腰に手を当て、不満げに胸を反らす。
「もう、アデルったら、忘れちゃったですか? ドラコは『ありがとう』って言われたら『どういたしまして』って返すのが礼儀だ、って教わったですよ」
「……は、そうだったな。――どういたしまして」
ドラコの言葉に、アデルさんは小さく息をこぼし、改めて私に向き合ってそう告げた。私は嬉しくて、また笑う。まっすぐに私を見つめていたアデルさんは、耳を赤くしてふっと目を逸らした。
「さ、どうぞ座って。お料理が冷めないうちに」
私は二人を促して、皿を持ってダイニングへ移動する。アデルさんが席に着くと、ドラコは彼の席の横に置かれた、背の高い椅子にちょこんと座った。
私は、アデルさんの正面に座ればいいようだ。
「旨そうだな」
「大したものができなくて、お恥ずかしいんですけど」
「いや、そんなことはない。普段はこんなに手の込んだ料理を作らないからな。――誰かに料理を作ってもらうなんて、本当に久しぶりだ」
アデルさんはテーブルに目を向けながら、優しい声色で、感心したように言った。もう、最初の頃に抱いた冷たい印象は、全くない。
「――ありがとう、レティシア」
アデルさんと、目が合う。深紅の瞳は、澄み切った美しい光をたたえている。
最初に見た時は血のような瞳と思ったけれど、今は、そうは感じない。
白雪の中にも気高く咲く、季節外れの一輪の薔薇のようだ。
「どういたしまして、アデルバートさん」
私はくすりと笑って、微笑んだ。ドラコが横で満足そうに、うんうん、と頷いている。
「では、ガレットを切ってお取りしますね」
私は椅子から立ち上がって、ナイフでじゃがいものガレットを八等分にカットしていく。中はふんわり、外側はカリッと、上手いこと焼けているようだ。
「わぁ! 美味しそうなのですー!」
「ふふ、いっぱい食べてね。アデルバートさん、ドラコも、すごくたくさん手伝ってくれたんですよ。サラダはドラコが用意してくれました」
「そうか。ドラコ、偉かったな」
アデルさんにねぎらいの言葉をかけられたドラコは、「にししー!」と嬉しそうに笑っている。
「レティシア、君もまだ傷が治りきっていないのに、大変だっただろう」
「いいえ、お薬がよく効いたみたいで、かなり良くなりましたから。それに、作っている時は夢中で、あんまり気になりませんでした」
話をしながら、アデルさんとドラコ、そして自分の皿にも、ガレットを取り分けていく。ドラコは待ちきれないとばかりにそわそわしていて、皿の上にガレットが乗せられると、嬉しそうに目を輝かせた。
「さあ、どうぞ」
「ああ」
「ドラコ、もうお腹ペコペコなのですー!」
アデルさんは、恵みの森の野菜がたっぷり入ったラタトゥイユに、スプーンを沈める。
赤橙色に艶めく野菜たちが、形良い唇に近付いていくのを見て、私の心臓がどきどきと音を立て始めた。
人に料理を振る舞う時、最初のこの一瞬は、何回経験しても緊張するものだ。
「……旨い」
アデルは目を見開いて、嘆息した。
「……! 良かった……!」
私はほっとして、笑顔と共に吐息をこぼす。
アデルさんは、柔らかく目を細めて、もう一度ラタトゥイユを掬った。
「これ! カリカリして、とっても美味しいです!」
ドラコは、上手にナイフとフォークを使って、じゃがいものガレットを食べている。先程も思ったのだが、やはりドラコは手先が器用みたいだ。
アデルさんもガレットを上品に切り分けて、口に運ぶ。
「こちらも旨いな」
「お口に合いましたか?」
「ああ、とても美味しいよ。何と言ったらいいか……すごく優しくて、ほっとするような味だ」
アデルさんは、一口一口、ゆっくりと味わって食べている。
ドラコは逆に、大きな口で、ぱくぱくとあっという間に平らげていく。
二人とも、食べ方は真逆だが、すごく美味しそうに食べてくれている。それを見ていると、私の心にもじわじわと幸せがこみ上げてきた。
「喜んでもらえて、良かったです」
「最高れふぅ! れふぃは、お料理、ろっれも上手でふね!」
「こらドラコ。口に物を詰め込んだまま喋るんじゃない」
「らっれ、美味ひいんれふもん」
「ふふ」
ドラコがアデルさんに注意されているのを見て、私は思わず笑いをこぼした。たくさん用意しておいて、良かった。
「ドラコは食いしん坊なのね。そんなドラコに、お料理がさらに美味しくなる食べ方を伝授してあげちゃいます」
「んぐっ、もっと美味しくなるですか!? どうするですか?」
「ラタトゥイユを少し掬って、ガレットに乗せて食べてみて。アデルバートさんも、良かったら」
「ああ」
「こうですか?」
アデルさんとドラコは、早速私の言った通りにした。
野菜をこぼさないよう、切り分けたガレットをスプーンで掬って口に運ぶと、二人は、同時に目を輝かせた。
「……これは、いいな」
「美味しいのです! 美味しいのですー!!」
「濃い味付けのトマトソースと、素朴なガレットが組み合わさって、丁度良い具合だ。最初からかけてしまうのではなくて、食べる分だけ上に乗せることで、食感も損なわれない」
「カリカリ、シャキシャキ、ホクホク。この幸せ食感はそのままに、トマトとニンニクでガツンとパンチが効いて、いくらでも食べられるですー!」
二人は、この組み合わせを気に入ってくれたようだ。
こういう反応をしてくれると、本当に作り甲斐がある。
「トマトソースとじゃがいもって、とってもよく合うんですよ。単体で食べても美味しいですけど、組み合わせることで、また違った印象になるんですよね」
「組み合わせか……考えたこともなかったな。本当に旨い」
「アデルは、こだわりがなさすぎるのです。いつも、じゃがいもは茹でて塩をかけて食べるぐらいですもんね。トマトはサラダにしちゃうし、ズッキーニや玉ねぎもサッと炒めるだけです」
「栄養さえ取れれば生きていけるからな」
どうやら、アデルさんは、食事にあまりこだわりを持っていなかったようだ。彼は、少しだけ気まずそうに続ける。
「食事の用意は毎日のことだろう? だから、そこまで手間暇をかける気にならなくてな。それに、たまに変わった物を食べてみたいと思っても、俺にはレシピもアレンジも思いつかなかった」
「そうですよね」
私は納得して頷く。私のように、料理が好きとか、美味しいものを食べるのが生き甲斐とか、そんなタイプでもない限り、毎日の食事の支度は煩わしいことに違いない。
それに、この世界にはインターネットもない。レシピを検索することもできないし、特にこの森においては、レシピ本を入手するのも難しいだろう。言わずもがな、外食や出前だってできない。
「にしし、アデルもレティのお料理が気に入ったみたいですよ。もちろん、ドラコもです」
「ふふ、本当に良かった。これで、少しでもご恩返しができたなら嬉しいんですけど」
私がそう言うと、アデルさんは、目元を優しく細めて、ふっと笑った。