『――どうか俺に、君の時間を分けてくれないか』
アデルさんとドラコに料理を振る舞った後、白い月明かりの下。
私はアデルさんから、この世界に居場所をもらった。
優しく純粋な彼。
人を傷つけることを
彼は、私の命を救ってくれた。
闇から救い出して、あたたかな居場所を与えてくれたのだ。
私はその晩、ふわふわした気持ちで、久しぶりになんだか幸せな夢を見た。
翌日。
私の身体は、まだ時折痛むものの、もう自由に歩ける程度まで回復していた。恵みの森の薬草は本当によく効くみたいだ。
ドラコは、私の背中に薬を塗った後、宣言通り出かけていった。今日は、アデルさんと二人きりだ。
私が一階にあるダイニングへ降りて行くと、アデルさんがテーブルについて、一休みしているところだった。
彼は昨日と同じ席に座って、お茶を嗜んでいる。テーブルの端には果物のバスケットが置いてあり、アデルさんの近くには、走り書きのメモのようなものが広がっていた。
「アデルさん、おはようございます」
「……ああ、おはよう」
私がアデルさんに声をかけると、彼はばっと顔を上げて、一瞬固まる。そうして、はにかむような笑顔を浮かべて、挨拶を返してくれた。
「ふふ、驚かせちゃいましたか?」
「すまない。まだ、レティがいることに慣れていなくてな」
私がアデルさんの向かい側に腰を下ろすと、彼は、テーブルに広げていたメモを集めて片付けた。
「えっと、お仕事中でしたか? お邪魔してしまって、ごめんなさい。どうぞ私のことはお気になさらず」
「いや、問題ない。このメモ……妖精たちに頼まれていたことを確認して、今日の予定を考えていただけだ」
そう言って、アデルさんは一番上のメモを、こちらに向けて見せてくれる。そこには、『依頼者ヒュギ 薬用植物採集 ミカンの皮、クズの根、カモミール』、『依頼者ドワーフ族 工房の火入れ作業』などと書かれていた。
「今日は、特に急ぎの作業はないな。ところで、怪我の具合はどうだ?」
「ええ、おかげさまで、もうすっかり良くなりました」
「そうか、良かった」
私がそう答えると、アデルさんはゆるりと口角を上げた。
「君の体調に問題がないなら、案内したいところがあるんだが……もう、歩けそうか?」
「はい、大丈夫です」
「なら、姉の外出着がないか探してくる。少しここでゆっくりしていてくれ」
アデルさんは席を立つと、果物のバスケットを私の手が届く場所に動かし、キッチンへ向かった。彼は私にあたたかいお茶を出してくれて、そのまま二階へ上がっていく。
なんだか、至れり尽くせりだ。私はむずがゆい気持ちになりながら、バスケットに盛られている果物に手を伸ばした。
*
アデルさんはお姉さんの外出着を探してくれたのだが、残念ながら、見つからなかったようだ。
「姉も二、三年前までは時折泊まりに来ていたんだが、結婚して子が生まれてからは、めっきり来なくなった。室内着はそのまま置いてあったが、外出着は全部持って帰ったみたいだな」
「アデルさんのお姉さん、ご結婚されているんですね」
「ああ。姉も、姉と一緒に森から脱出した同胞たちも、外でうまく暮らしているみたいだ」
私は、相槌を打ちながらアデルさんの表情をじっと見る。寂しさを覗かせるのではないかと思ったが、今の彼にとっては、そうでもないらしい。
「すまないが、室内着の上に、これを羽織ってくれるか。俺が数年前まで使っていたマントだ。古いがまだ傷んでいないし、君の身長にはちょうど合うと思う」
アデルさんが少年時代に使っていたという黒いマントは、あちこち擦り切れていた。だが、丈夫な生地で作られていて、彼の言う通り、まだまだ問題なく着られそうだ。
私は、マントを室内着の上から羽織った。
「さあ、行こうか。途中で具合が悪くなったり疲れたりしたら、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
アデルさんは、私に気を使いながら少し前を進んでゆく。玄関扉を開けて一歩外に出ると、目の前に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。
「わぁ……!」
――不思議な森だ。
南国にあるヤシの木、そのすぐそばには雪国に育つサトウカエデ。
ひまわりが咲き誇っている隣で寒椿が花開き、つくしが頭を出すその横にはイガグリが落ちている。
樹々の間には虹色の蝶や、花びらの服を身に纏った妖精たちが、透明な
雪国に育つ樹の周りには青白い妖精が飛び回って、上から魔法の雪を降らせて遊び、南国の植物ではオレンジ色の妖精がのんびりとひなたぼっこしている。
昨晩ドラコと一緒に洗い物をしていた、もこもこのアワダマたちも樹上に見え隠れしていた。
「すごい……! 妖精さんたちがいっぱい。それに、この植生……季節も育つ土壌もバラバラなのに、どうして?」
「この森は特別なんだ。ついて来てくれ、精霊に挨拶をしよう」
アデルさんは、私に手を差し出した。
私は、一瞬
「足元が悪い。転ばないように、気を付けてくれ」
「は、はい」
アデルさんの手は昨日と同じく、大きくて、あたたかい。ごつごつしているが、優しい手だ。
悪路に躓かないようにするために手を貸してくれたのだとはわかっているが、私とは随分異なっているその手に、どうしてもドキドキしてしまう。
「ゆっくりでいいからな」
彼は、私を支え、時々振り返りながら、私に歩調を合わせてくれている。
「ここだ」
そうして、目的の場所には、そう長くかからず到着したのだった。