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3-2. 世界樹の祝福



 目的地に到着し、アデルさんは立ち止まった。それと同時に、繋いでいた手も離れていく。


「あ……」

「ん? どうした?」

「い、いえ」


 遠ざかっていく温度を名残惜しく思っている自分に気がついて、私は少しだけ驚いた。私は慌てて首をぶんぶんと振り、誤魔化す。

 アデルさんはその仕草を見て不思議そうにしていたが、すぐに気を取り直して、目の前に聳えている、巨大な存在感の塊に言及した。


「――これは、『精霊の樹』と呼ばれるものだ。この星に広がる、世界樹ユグドラシルの枝葉のひとつが、星の中心からここまで伸びている」

「きれい……」


 純白の、神々しい樹だった。

 雪よりも白く、天使の羽のごとく柔らかな葉のドレスを纏っている樹は、息を呑むほど美しい。


「この樹こそが星の大精霊であり、恵みの森そのものなんだ。俺たちの一族は、森の一角に小さな集落を作り、この樹を永きにわたって保護してきた」

「樹の保護、ですか?」

「ああ」


 アデルさんは、私にもわかるように、この樹のこと、世界のことを丁寧に教えてくれた。


 世界樹ユグドラシルは、この星の核であり、生命と魔力を循環させる役目を持った、神樹である。


 魔力を循環させるために、世界樹ユグドラシルは、地水火風光闇の六大精霊に星の力を与える。

 星の力を受けた六大精霊たちは、自身が認めた人間に精霊の力を与える。


 六大精霊の力を授かった、『神子みこ』と呼ばれる人間たちは、世界各地に散らばった世界樹ユグドラシルの枝葉が伸びる地に人や亜人、妖精や動物――生命あるものたちを集めて、保護する。


 そうして、集まった生き物たちから、より多くの魔力と生命が、世界樹ユグドラシルの元へ還る。

 魔力と生命を還元された世界樹ユグドラシルの枝葉は、その地に住む者たちに、様々な恩恵をもたらす――。


「俺たちはずっと、この樹を保護し、森に生きる者たちを守り、森の恵みを享受して暮らしてきた」

「森と共にある一族なのですね」

「ああ。『精霊の樹』は、枝葉に過ぎないものの、世界樹ユグドラシルと繋がっている。きちんと管理しないと、この地が朽ち果ててしまうばかりか、星全体に影響が出てしまう可能性もあるんだ」

「アデルさんは、そんな大きな役目を……」


 その話を聞いてようやく私は、アデルさんが一人、この地に残った理由を悟った。

 逃げたくても、彼は――火の精霊の加護を授かっている彼だけは、ここから出られなかったんだ。


「妖精たちがここを出て行かず、むしろ近隣からも集まってきたのは幸いだったな。人間の数は減ったが、ここは妖精と動物たちの楽園になった。そのおかげで、世界樹ユグドラシルの循環に、今のところ問題は起きていない」


 私は、納得して頷いた。

 ここに来るまでの間だけでも、かなりの数の妖精たちを見かけたのである。

 巨鳥エピのような一風変わった動物たちも、他の森でも見かけるような小動物たちも、ここでは共存していた。


「レティ。俺には、こうして恵みの森を守る責務がある」


 アデルさんは、私に向き直った。その顔は、ほんの少しだが、かげりを帯びている。


「俺は、この森の外周を覆う、浄化炎の結界を維持する必要がある。だから、この森からあまり離れられないんだ。しかし、君は違う」

「……えっと」


 彼が一体どういうつもりで言っているのかが読めなくて、私は眉をひそめた。


「君は、ドラコの翼を借りれば、比較的安全に外へ出ることが可能だ。それに、結界を問題なく通り抜けられる君なら、再びここに戻ってくるのも、不可能ではない」

「それは、どういう……?」

「……その……、つまり――」


 アデルさんが、もごもごしながら何か言おうとしたその時。

 突然、目の前にあった精霊の樹が、ひときわ白く光を放ち始めた。


 そして、それに共鳴するように、私の身体の中から、ぽう、と魔力が溢れ出す。

 隣を見ると、アデルさんも同様だった。身体からじわりと魔力が滲み出し、淡い光を放っている。

 彼は安心させるように柔らかく口端を上げ、頷いた。


 紅く輝くアデルさんの魔力と、水色に煌めく私の魔力が、空中に立ち昇り、混ざり合い、光の螺旋を描いてゆく。

 螺旋は頭上へと舞い上がってゆき、ふわりと弾けて炎の花を咲かせた。

 炎の花は空へと溶け消えて、光の粒となって森へと降り注ぐ。


「わぁ……!」

「精霊の祝福……」


 あたたかい光だ。

 藤色、紅色、薄桃色、水色。

 色とりどりの光の残滓が、あちらこちらに散っては消えていった。


「森に気に入られたみたいだな、レティ」

「嬉しい……ありがとう、精霊さん」


 返事をするかのように、純白の木の葉がさわさわと揺れる。


 爽やかな風が吹き抜け、鳥のさえずりが響き始める。

 先程よりも光に満ち、あちらこちらに感じられる明るく優しい気配に、私は森が心を開いてくれたことを直感した。


 シャララン、チリリン。


 その時、後ろから鈴を鳴らしたような音がして、私とアデルさんは振り返る。

 そこには、鮮やかな花のドレスを纏った、小さな妖精たちが、たくさん集まって来ていた。


 花の妖精たちは、好奇心に満ちた瞳で、こちらを観察している。

 花の髪飾りと膝丈のドレス、もしくは、花の帽子にベストとショートパンツを身につけ、足元はショートブーツだ。背中の翅は薄く透き通っていて、きらきらと光を反射していた。


『アデルーこんにちはー』

『新しい人間ー?』

『誰ー?』


「わぁ、しゃべった!?」

「おっと、平気か?」


 私は、びっくりしてよろめいてしまった。アデルさんが、慌てて支えてくれる。

 彼女たちの言葉は、耳では鈴のような音色に聞こえるのに、何故かその意味を理解することが出来るのだ。


『人間ー、森に祝福、もらったんだねー』

『それなら、私たちの言葉、届くねー』

『こんにちはー、人間ー』


「こ、こんにちは……」


 私は、自分の周りにわいわいと集まってきた妖精たちに、おずおずと挨拶を返したのだった。



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