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3-4. 森の家族



「――妖精相手のレストラン、か。ふむ」


 アデルさんは目を瞬かせて、私の言葉を繰り返した。彼は、顎に手を当てて考えを深めている様子だ。

 私はアデルさんの思案顔を見つめたまま、彼の返事を待つ。伏せた眸子ぼうしを覆うまつ毛が、白皙の頬に影を落とす様は、やはりこの上なく秀麗である。


「……いいんじゃないか? 珍しいものに興味を持つ妖精もいるだろう。賛成するよ」

「わあ、良かった……!」


 アデルさんの賛同を得ることができて、私はほっと息を吐いた。彼も、ゆるりと頷く。


 ――ああ、私、今度こそ自分のレストランを開けるんだ。


 村では、母がやっていた食堂を手伝っていた。母がいなくなってからは、村の皆が私を避けていたので、食堂の営業もできなくなってしまった。

 そして、前世ではキッチンカーの営業を始める直前に、命を落としてしまった。


 お客様の好みに合わせて、自分でメニューを決めて。食器を選ぶ……のは難しいかもしれないが、布と糸があれば、テーブルクロスやランチョンマットぐらいなら自分でデザインできるかもしれない。

 そうして自分がデザインしたテーブルで、自分が作った料理で、妖精たちを幸せな気持ちにしてあげられたら、最高ではないか。


「さあ、ひとまず帰――」

「アデルさんっ」

「ん?」


 私はアデルさんの袖をぐいっと引いた。聞きたいことが山ほどある。

 こちらを見る真紅の瞳には、満面の笑みを浮かべて彼を見上げる私が映っていた。アデルさんは、何故だか目を丸くしている。


「レティ、どうし――」

「あの、妖精さんたちは、どんな食べ物が好きなんですか? 飲み物は? 味は薄いのと濃いのと、どちらが好みですか? 食べられない食材は? 食事は一日に何回とりますか?」

「ま、待て、レティ。落ち着け」


 アデルさんは私の両肩をがしっと掴んだ。私は、ようやく我に返る。


「あっ」


 またいつもの悪い癖を発揮してしまったようだ。私は慌てて、口元を手で覆った。


「す、すみません」

「いや……構わないんだが、その、少し驚いたな」


 私が縮こまって謝罪すると、アデルさんは私の肩から手を離し、ぽりぽりと頬をかいた。


「……確かに賛成はしたが、それより君は、先にやるべきことがあるだろう」

「え? ……あ」

「そうだ。一旦家に戻ろう」


 そうだった。つい舞い上がって、優先すべきことをないがしろにしてしまった。

 アデルさんは、気分を害してしまっただろうか。


「まずは怪我を治し――」

「アデルさん! アデルさんの好きな料理は、何ですか?」

「…………は?」


 アデルさんは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。大丈夫、誰が何と言おうと彼が最優先だというのは、きちんとわきまえている。

 命の恩人で、衣食住まで保証してくれて、大切な森の精霊に私を紹介してくれた――彼と、ドラコ以上に、優先すべき者なんていない。


「私、誰よりもアデルさんとドラコに、一番に喜んでもらいたいんです。レストランを開いても、これから毎日アデルさんたちのご飯は私が作りますから、リクエストがあったら遠慮なく言ってくださいね」

「いや、俺は……」


 アデルさんの眉間に、皺が寄っていく。その反応を見て、私は一つの可能性に思い至った。私は眉尻を下げて、続ける。


「あ、そっか……私なんかがそんなこと、烏滸おこがましかったですよね。もし私の料理がお口に合わないようなら、ちゃんと練習して調整しますから。時間はかかるかもしれませんけど、きちんとアデルさん好みの味をマスターして――」

「レティ」


 私の言葉を遮ったのは、アデルさんの穏やかな一声だった。


「君は、もっと自分を省みた方がいい」

「……ごめんなさい」

「勘違いしないでくれ。俺は、君の手料理なら、何でも嬉しい。だが、それ以上に、君に無理をしてもらいたくない」


 アデルさんの声色は、想像していたものと異なり、ひどく優しいものだった。私は、うつむけていた顔を上げる。


「だから、まずはしっかり静養して、その怪我を治そう」

「……え……?」

「焦らなくとも、これから、時間はたっぷりあるのだから。君はもう、この森の一員。恵みの森の、家族なんだ」

「家族……」


 たったひと言、その言葉がもたらしたのは、心の底から泉のように湧き上がる、喜びだった。

 私が居場所を失ってしまってから、まだ一年にも満たない。けれど、私は……孤独が辛かった。


 森は、アデルさんは、今日この日――私を家族と認めてくれたんだ。


 目の前で柔らかく目を細める美青年が、これからの私の家族であり、友達でもあり、そして……。

 幸せがじわじわと心に染み込んできて、あったかくて、くすぐったい。


「さあ、帰ろう。俺たちの家に」

「――はい!」


 私とアデルさんは、どちらからともなく、自然と手を取り、微笑み合う。

 二人でゆっくりと歩いて戻る道は、差し込む木漏れ日に明るく照らされていた。



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