アデルさんの家に常備されていた食材のほとんどは、ドラコが森で採ってきたものだ。
ドラコはアデルの執事――書類仕事などがある訳ではないので、正確にはお手伝いさんだと思うが、ドラコには執事という役職にこだわりがあるらしい――として、ずっと食材の調達や掃除、洗濯など家のことをしてきたという。
家の内外にある生活必需品や人工物は、アデルさんの一族が森に住んでいた頃から備わっていた物もあれば、必要に応じて妖精たちと取引をして入手している物もある、とドラコは説明してくれた。
それでも手に入らないものは、アデルさんの姉、ジーナさんから分けてもらっているらしい。
「
「取引?」
「はい。取引と言っても、そんなに複雑な話じゃなくて、その時々に応じて互いに助け合ってる形です。例えば、ドワーフ工房で火入れを手伝ったら、ナイフを研いでくれたりとか。薬の原料になる素材をヒュギに持って行くと、薬を分けてくれたりとか。それから――」
ドラコの話を聞く限り、取引といっても、人間同士のように複雑な思惑があるわけでもなく、どの妖精ともシンプルで裏のない付き合いをしているようだ。
考えてみれば、みんな『恵みの森の家族』なのだから、協力しあって当然ということだろう。
そうして話しているうちに、森の中でも、ひときわじめじめと薄暗い場所に分け入っていく。目的地が近いのかもしれない、と思ったそばから、ドラコが空中で静止した。
「ほらほらレティ、見て下さい。きのこの群生地に着きましたよ」
「わぁ、本当だ! 色んな種類がある」
太い木々に光を遮られ、湿気の多いこの一角は、きのこの育ちやすい環境になっている。
シメジやヒラタケなどの見慣れた物から、マツタケのような、普段なかなか目にすることのないキノコも生えていた。
他にも、薬効のあるサルノコシカケや、実物を見たことすらなかった高級食材、キヌガサダケまで。まさに天然の宝物庫だ。恵みの森ならではの何でもアリな植生は、菌類にまで適用されるらしい。
「毒きのこも紛れてるです。知らないきのこは無闇に触っちゃダメですからね」
「うんうん、分かってる――まあ、これ、真っ白で綺麗」
「あーっ、それは猛毒のドクツルダケです! 採っちゃダメ! めっ!」
ただ綺麗だな、と思っただけで、心配しなくても触ったりしないのに。
結局おめめを吊り上げたドラコに背中を押されるようにして、私たちはきのこの群生地をすぐ離れることになった。
「もぉ、せめてマッシュルームとシイタケぐらいは採って帰りたかったのに」
「レティに何かあったら大変です! 怒ったアデルに尻尾の先を焦がされちゃうですよ! やっぱり、これからもきのこはドラコが持ってくるです。絶対に一人で近づいたらダメですからね!」
「はぁーい」
私は口を尖らせて返答する。どのみちまだ森のことを何も把握していないから、一人で森に入ったら迷子確定だ。
野菜の収穫だって、下手に頑張って筋肉痛になると次の日は家から出られなくなるし、食材に関しては、しばらくはドラコやアデルさんを頼るしかないだろう。
「それにしても、一昨日も思ったけど、本当に豊かな森ね。想像以上に色んな食材が手に入りそう」
私は今後のことに思いを馳せた。
肉類や海の幸、乳製品、それから一部の調味料が手に入らないので、出来ることは限られてくる。だが、それを補って余りあるほど、森は恵みに満ちて豊かだった。
「妖精さんたちって何が好きかな? どこでレストラン開いたらいいと思う?」
「レティは相変わらず、お料理のことになると楽しそうですね。目がキラッキラです」
「ふふふ、だって本当に楽しいんだもの!」
私がうきうきと話をしていると、ドラコもつられて、にししと笑った。
「さてさて、時間が余ったですね。せっかくだから、風車小屋でも見てから帰りますか?」
「森の中に、風車小屋があるの?」
風車小屋はその名の通り、風の力で歯車を回し、小麦などを挽いて粉にする施設だ。通常、風がよく吹く、開けた場所に造られている。
「近くに棲む風の妖精が、風車を回してくれるです。粉挽きは危険な作業なので、ドラコが担当しているです」
「ドラコは大丈夫なの?」
「ドラコには頑丈な鱗があるし、何かあったら風の妖精がすぐに魔法を止めてくれるので、平気なのです。それに、粉が飛び散ってドッカーンてならないように、アデルが火の精霊に呼びかけてくれるので、安全です」
「
私の住んでいたファブロ村にも、急流であるファブロ川の水流を利用した水車小屋があり、熟練した職人が粉挽きを生業としていた。
摩擦による火の粉や静電気が原因となって起こる粉塵爆発、巻き込み事故など、粉挽きは危険と隣り合わせの仕事なのだ。
「今日はアデルもいないし、小麦粉の在庫はいっぱいあるので、外から見るだけです」
「うん、わかったわ。小麦粉を使う時には、大切に使うね。ドラコたちが、頑張って加工してくれてるんだもんね」
「そんなの、気にしなくていいんです。ドラコのことより何より、美味しい物が優先なのですー!」
ドラコはそう言うけれど、何でも手に入った前世の日本とは違って、本来、食材を入手するのはとても大変なことなのである。
この森では比較的に安全に手に入るようだが、小麦を小麦粉にするのは、先程も述べたように命がけの作業。
それに、季節を問わず、生育の手間もかけず、病気の心配もせずに高品質の野菜や果物が入手できることなんて、この森以外ではあり得ない。
油だって、そうだ。先日、自分でオリーブから搾油をしてみようと思い立って頑張ってみたが、半日以上時間をかけて、手に入ったのはたったのひと匙程度。
それも、不純物が混じっていて、妖精の油屋で販売しているオリーブオイルの品質には到底及ばなかった。
「食材を集めるの、大変だよね。私、あんまり力になってあげられなくて、申し訳ないなあ……」
「にしし。全然いいのです!」
「でも……」
「だって、ドラコは、知ってるですよ。レティは、食材を無駄にしたりしません。この間も、いつもは捨ててしまう野菜の皮で、
道すがら、ドラコはご機嫌に話を続けている。私は、今日だって、きのこの収穫を全く手伝えなかった役立たずなのに。
ここ数日で何度も思ったことだが、ドラコもアデルさんも、他者の美点を見つけて、自然に褒めるのが上手だ。
「レティは控えめすぎるです。もっと思う存分わがままを言って、美味しいお料理をたくさん作ってください。レティのお料理をご馳走になるかわりに、ドラコが食材を集めるです!」
それが適材適所というもので、持ちつ持たれつということだ、とドラコは胸を張った。
私を励ますためではなく、真実、それが恵みの森の在り方なのだろう。
「それに、レティのお料理は、変化に乏しいこの森での、ドラコとアデルの毎日の楽しみなんです。妖精たちも、きっと気に入るですよ」
「……うん。ありがとう、ドラコ」
にしし、と笑うドラコを見ていると、明るい気持ちになる。何だか、本当に上手くいきそうな気がしてきた。
その後、風車小屋を見学した私は、家に帰ってからもドラコに色々と聞き取りをして、レストランを開業するための仕込みに取り掛かった。
そこから更に数日後――私は、ずっと夢だったレストランを、とうとう開業したのだった。