深い紅の澄んだ瞳は、誤魔化しようもなく、強い喜色に輝いていた。そこに宿るのは、美しい紅に相応しい情熱の光と、ひと雫、悔恨の残滓――。
「俺は、君の意思を無視して、森に無理矢理引き留めてしまったと考えていた。君が外の世界に残してきたものがあるかもしれないと、俺は、気付いていながら無視してしまった」
すまない、とアデルさんは軽く頭を下げて謝る。私は、微笑んで首を横に振った。
彼は、顔を上げて、申し訳なさそうに続ける。
「――それに、君が俺に恩義を感じているのもわかっていた。俺が何か言えば、君は頷くだろう。だから俺は、自分の想いを君にぶつけて押しつけるのは、卑怯なのではないかと。迷惑なのではないかと……」
「迷惑なんかじゃ、ない」
私ははっきりとそう告げて、再び首を横に振る。
――だって、私は嬉しかったのだ。アデルさんの行動や言動の端々に、私への好意が滲んでいるのを感じるのが。
「レティ……」
「……アデルさん」
ふわり。
突然吹いた、花の香りの風に、身体が前へと押し出される。
「きゃっ」
「……っ」
突然の強風にたたらを踏んだ私を、目の前にいたアデルさんが抱き止めた。
私が反射的に彼のローブの背をぎゅっと掴むと、細く見えて逞しい腕で、より強く抱きしめられる。
「ご、ごめんなさい」
私は慌てて離れようとしたのだが、彼は私を解放してくれなかった。
『きゃはは、大成功ー、良いもの見たー』
『ごめんねレティー、アデルー』
『良いもの見せてもらったお礼とお詫びは、また今度ー』
『すごいもの贈るー楽しみにしててー』
『お茶とお菓子のお礼は置いてくねー』
「えっ」
『ごちそうさまー』
『いっぱい宣伝するー』
『お客さんいっぱい呼んでくるー』
『またねー』
アデルさんの腕の中で、私はなんとか顔の向きだけ変えたが、花の妖精たちはさっさと森へ帰っていってしまった。先ほどの言動からして、彼女たちが、アデルさんの方へ向けて私の背中を押したのだろう。
「行っちゃった……」
来店のお礼を言えていないし、感想もちゃんと聞けなかったけれど、彼女たちはどうやら満足してくれたようだ。また会う機会もあるだろうから、その時で良い。
それより――。
「あ、あの、アデルさん。そろそろ離して……」
「……嫌だ。離さない」
「アデル、さん……?」
「もう少し……もう少しだけ」
熱を孕んだ囁き声が耳をくすぐり、ぞく、と背中に甘い電流が走る。
アデルさんは、私の背を抱き寄せたまま、頭を優しく撫ではじめた。私は、与えられる熱の心地良さに、瞼をそっと下ろす。
かわりに、宙を彷徨っていた両の手を、彼の背にそっと添えた。
彼は、柔らかな熱のこもった声色で、ぽつりぽつりと気持ちを語りはじめる。
「……俺は、この森で独り、誰とも関わらずに生涯を終えるつもりだった。退屈な、変わり映えのない、つまらない一生を。当然、誰かにこんな想いを抱くことになるなんて、想定もしていなかった。だが――俺のもとに、突然、君が現れた」
私は、アデルさんの腕に抱かれたまま、頷く。彼の指先が、私の銀髪を耳にかけ、そのまま頬を優しくすべっていく。
頭を解放された私は、アデルさんの顔を見上げた。白皙のかんばせは朱に染まり、秀麗な面輪は甘く柔らかに綻んでいる。
「君は俺に、誰かと共に過ごす日々の楽しさを、疑うことなく心を開いて接することのできる安心感を、誰かを案じる時間の豊かさを、教えてくれた」
アデルさんは、私の耳のあたりに手のひらを添え、頬を親指で、ゆっくり優しくなぞっていく。何度も、何度も、愛おしむように。慈しむように。
「レティ。君と出会ってから、まだひと月にも満たない、短い時間しか経っていない。だが、俺は、君ともっと……何十倍、何百倍の時間を共に過ごしたいと、心から望んでいる。それほど、君と過ごす時間が愛おしい」
「アデルさん……私」
「いや、いい。わかっている」
アデルさんは、私の頭から手を離して、人差し指でそっと私の唇に触れた。私の言葉は、それで簡単に遮られて、迷子になってしまう。
「君のその気持ちが、恋なのかどうかわからないと言うのだろう。だから――ゆっくりでいい。君の気持ちが育つまで、俺はいくらでも待つよ」
そう告げると、アデルさんは私から身を離した。
「アデルさん……」
「……さあ、そろそろ戻ろうか。テーブルの片付けを手伝うよ」
そう言ってアデルさんは、テーブルの上の皿を手際よくまとめていく。
「あ、ありがとう……でも、それは私が」
「俺が手伝いたいんだ」
そうやって優しい笑顔で言われてしまえば、私はお礼を言って、手伝ってもらうことしかできない。
食器を抱えて家の中に入っていくアデルさんの背を、追いかける。私の手の中の食器が、どうしようもなく震えて、かちゃかちゃと音を立てていた。
「――ああ、そうだ。大事なことを言い忘れていた」
アデルさんが突然そんなことを言い出したのは、片付け物も洗い物も、全て終わった時のことだった。
もうすっかり、何てことない普段通りの調子になっていて、少しほっとしていた所にかけられた言葉だ。
――だから、私は、油断していたのである。
「なあに?」
「レティ、好きだ。愛している」
「――――!!」
不意打ちでさらりと告げられた愛の言葉に、私は目を瞠って固まってしまった。
言葉がどこかへ行ってしまったようだ。口をはくはくと動かすも、まともな声が出てこない。
アデルさんは、そんな私の様子を見て、嬉しそうに微笑む。
「今日は、お疲れ様。ゆっくり休んでくれ。花の妖精たちからのお礼の品は、そこに置いておいたぞ。後で見るといい」
アデルさんは言うだけ言うと、二階にある自室へ戻っていってしまった。
私は、激しく鳴る心音が落ち着くまで、胸を押さえて、その場でしばらく立ち尽くすことになったのだった。
――――第三章 妖精たちのティーパーティー fin.
【参考資料】
日本紅茶協会「紅茶の大事典」東京 成美堂出版、2013年、271p
「紅茶のいれ方」日本紅茶協会、参照日2025.03.29
https://www.tea-a.gr.jp/make_tea/
hamakawa著、「紅茶ができるまで!自宅でもできる紅茶の作り方も教えます。」日本茶マガジン、2020.06.02
https://nihoncha-magazine.com/?p=1205#