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4-2. 焦る必要はないけれど



「おかえりなさい、アデル」


 森から戻ってきたアデルを、私はいつも通りの笑顔で迎える。いくばくか、弱々しい笑みになってしまっているだろうことは否めないが。


「今日も閑古鳥か……レティの料理は旨いのにな」


 アデルは私の隣の席に座り、頭をよしよしと撫でてくれる。あたたかい手のひらが、いじけていた心を少しだけほぐしてくれた。


「うう……アデルだけだよ、そう言ってくれるの」

「ドラコも、レティのお料理美味しいと思ってるですよ! 移動販売用に作って売れ残ったサンドイッチは流石に飽きましたけど」

「売れ残りばっかり食べさせてごめんなさい……」


 移動販売には、自家製の白パンにレタスやトマトを挟んだ野菜サンド、キノコのソテーを挟んだキノコサンド、エピオルニスの卵を焼いて挟んだオムレツサンドなど、数種類のサンドイッチを用意していた。

 しかし売れるのは多くても二、三個。まだリピーターはいない。

 日持ちしないため、残ったものは自分たちの食卓に並ぶことになるのだが、味を変えていても、流石に数日続くと飽きてくる。


「花の妖精さんたちも宣伝してくれてるみたいだけど、なかなか、ね……」

「何度も言ってますけど、時間はあるんだし焦らなくていいのです」

「ああ。ゆっくりやっていこう。これからずっとこの森で暮らすんだからな」

「アデル……ドラコ……」


 二人とも、結果の出せない私を邪険にせず、優しく接してくれている。

 悔しいやら嬉しいやらで、じわりと涙が浮かんできた。


「レティ……」


 俯いている私の目尻に、優しい感触がそっと落ちた。

 人差し指で涙を拭ってくれたアデルは、穏やかな声で続ける。


「初めてのことだ。上手くいかなくても仕方ないさ」


 私は無言で顔を上げる。

 そこには、包み込むような優しい表情で私を見つめている、紅の瞳と秀麗なかんばせ。


 私たちが互いの気持ちを打ち明け合ってから、数日が経つ。

 私は彼のことを「アデルさん」ではなく「アデル」と呼ぶようになったし、彼は頭を撫でるだけでなく、こうして触れてくることが増えた。

 それでも、無理に私の嫌がることをすることは、絶対にない。彼の仕草からはいつでも、いたわりと遠慮が伝わってくる。


 まだ、恋人と言うには、微妙な距離感だ。けれど、目が合うたびに胸が甘く高鳴る。

 アデルへの想いが、さっきまでの悲しい気持ちを容赦なく上書きしていく。


 思っていたよりも単純な性格をしている自分に、私は心の中で苦笑してしまった。


「それにしても移動式のキッチンか。レティは面白いことを考えるな」


 アデルは、感心したようにそう切り出した。ドラコと話していた内容が、聞こえていたらしい。


「あのね、アデルも気づいてると思うけど、レストランだけじゃなく、移動販売も上手くいってないの。それは、妖精さんたちの性質だけじゃなくて、見せ方が悪いせいもあると思うのよ」

「見せ方?」

「うん」


 私は、先ほど考えた妄想をアデルに語る。


 調理器具を積んだ荷車で移動式のキッチンをこしらえ、その場で調理して提供することが可能だったら、調理中の匂いにつられて買ってくれたりするのではないか。

 荷車に看板を設置して、見本を大きく提示できたら、興味を持ってくれる妖精もいるのではないか。


 アデルは、決して鼻で笑ったりせず、真面目に私の話を聞いてくれた。


「確かにそれは一理あるかもな」

「そうでしょ? でも、森の道は狭いしでこぼこしてるから、荷車を引くどころか、荷物を持って歩くのも一苦労だし」

「車を引くのも荷物を持つのも、ドラコが手伝えば余裕ですよ」

「でも、ドラコも忙しいでしょ? 移動をドラコに頼るとなると、今みたいに時々手伝ってもらう形じゃなくて、ずっと一緒にいてもらうことになっちゃう。それに、道が整備されてないから、がたごと揺れて、食材が傷んだり散らかっちゃうかも。一番の問題は、調理設備よ。水はいつでも自分で用意できるけど、火の問題がね……」


 私がうーんと唸っていると、アデルも一緒に、難しい顔をして悩んでくれている。

 一方、ドラコは少し飽きてしまったようだ。さっきからあくびを連発している。


「ふわーぁ。レティったら、そんなに頑張らなくたっていいのに」

「そうは言っても、私は居候させてもらってる身なんだから、ちゃんとお役に立たないと……」

「そんなの、気にしてるのはレティだけなのです」


 適当なことを言ったドラコに、眉尻を下げて言い返すが、取り合ってくれなかった。ドラコもアデルも、私を甘やかしすぎだと思う。


「ふわぁ、ドラコはおねむになっちゃいました。ちょっぴりお昼寝するのですー」


 ドラコは大あくびをしながら、ふよふよと空を飛んで家の中に戻っていってしまった。


 一方、アデルはまだ何かを考えこんでいるようだ。顎に手を当てて、真剣な表情をしている。


「ううむ……道の整備、それに火の問題か。なるほど」

「あはは、そんなに気にしないで。無理な話だっていうのはわかってるから」


 私は顔の前で両手をぶんぶんと振り、明るい声で告げた。実際、そんなことは不可能だとわかっている。

 庭先でレストランの営業をさせてくれることだけでも、充分すぎるぐらい幸せなことなのだ。本来なら、開業資金とか材料費とか、色々先立つものが必要になるものなのに、何の元手もかかっていないのだし。


「あ……暗くなってきちゃったね。アデル、話を聞いてくれてありがとう」

「いや、あまり力になれなくて、すまない。だが、焦ることはないさ。……さあ、俺たちも部屋に戻ろうか」

「うん」


 アデルの差し出した手を取って、立ち上がる。彼の手は大きくて、あたたかくて――安心すると同時に、彼を失望させないためにも、やれるだけのことはやってみようと思えたのだった。


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