「ノアの様子はどうじゃな、カイン?」
部屋から出てきたカインに、グレンとともに待っていた
「……思っていたよりも元気だが、さすがに疲労が限界に来たのだろう。今は休んでいる」
「
老成した仕草で、碩賢は頭を掻く。
「それで……先生。
あなたはこれから、あの子たちをどうするつもりだ?」
「うむ、
「! 待ってくれ碩賢、それじゃあ約束が――」
慌てた様子でグレンが口を挟もうとするが、当の碩賢が手を振ってそれを止めた。
「――のが一番じゃが、内密に……という
……それより、お前さんの方はこれからどうするつもりなんじゃ?
よもや、オリビアのもとへ帰ってやろう――というわけでもあるまい?」
碩賢の問いに、カインは目を伏せ、言葉を選ぶようにやや沈黙を置いた。
「……私の目的は、ノアとナビアを護り、無事に地上へと送り届けること。
そして――」
改めて見開いた涼やかな瞳で、グレンと碩賢を交互に見やる。
「そして、もう一つ。
我が娘オリビアの願いにより、
――死の安息を、告げることだ」
カインの言葉を聞いたグレンは、信じられないとばかり――。
怒りも露わに詰め寄った。
「おいアンタ……自分が何を言ってるか分かってるのか? 実の娘だろう?
かつて、殺し屋に成り下がってまで助けようとした娘だろう!?
それを――殺すと、そう言うのか!?」
「……グレン。お前も人の親だというなら分かるだろう。
親だからこそ――子を想う親だからこそ。
涙を呑んででも、下さなければならない決断があることを」
「あの子を手にかけることが、その決断だと言うつもりか!?
そんなことが――ッ!」
「待たんか、グレン。落ち着け」
今にもカインに掴みかかりそうになるグレン――。
その大柄な身体を押し退けるように、碩賢の小さな身体が二人の間に割り込んだ。
「すぐそこには安静にしているケガ人もおるのだぞ。
ここで暴れて巻き込むつもりか?」
碩賢の説得を受け、グレンは渋々といった感じで引き下がる。
そのさまに、子供を見守る親のように満足げに頷き……。
碩賢は、カインを振り返った。
「その行為の是非についてはひとまず置いておくとして……カインよ。
知っての通り、ワシらはともかくオリビアは、オリジナルの不凋花をその身に宿す、正真正銘の不老不死。
ヨシュアとは違い、本人が痛みや苦しみで生存を否定しようと、不凋花がそれを許しはせんじゃろう。
そんなあの子に……どうやって死を与えるというのじゃ?」
「――根拠は分からない。
だが……今の私にはなぜか、それが出来るという確信がある」
自らの手に視線を落とし、静かに断言するカイン。
碩賢は、ほう、と興味深げに唸る。
「ノアも言っていた。
私が死者である以上――この身をかつての姿のままに保つ、オリビアの願いを受けた死者である以上――。
それが出来るのは、私しかいないはずだ……と」
「……そうか……。
ノアの坊主も、その答えに行き着いたか」
そう応じる碩賢は、ほんの僅かなものながら、微笑さえ浮かべていた。
面倒を見てきた教え子の出した答えに、いかにも満足していると言いたげに。
「先生――あなたは、何か知っているようだが」
「後でノアに聞いてみるんじゃな。
あの子に、お前さんの推察通りだと、ワシが太鼓判を押したと言ってやれば……話してくれるじゃろう」
カインの問いをそう受け流して、碩賢はくるりと背を向けた。
「さて……では戻るか、グレン。
馬鹿正直な宣戦布告を受けてしまったことじゃしな」
ちらりとカインに目を遣り――。
グレンは、放っておいていいのか、と碩賢に確認を取る。
「カインが言ったじゃろう? 春咲姫の死は、本人の願いだと。
それが心の底から強く発したものであれ、迷いの中で偶然こぼれ出たものであれ……あの子から生まれたものであることには変わりがないんじゃ。
ならば、ワシらがまず先にしなければならないことは、春咲姫の真意を確かめること。
降り立った死神に大人しく
碩賢の答えに、グレンは気を抜くように小さく息をつき、素直に同意する。
そしてそうかと思うと……。
依然として険しい視線を、カインに向けた。
「……カイン。
以前、春咲姫に牙を剥くのなら容赦はしないと――そう忠告したこと、覚えているな?」
「――無論だ。
お前に受けた恩、仇で返すような形になったのは心苦しいが……覚悟している」
グレンは、ふん、と鼻を鳴らす。
そして――
「……思い上がるな。俺が助けたのはあの兄妹だ。
アンタに返される恩なんざ――元より無い」
そう言い残して碩賢に先立ち、部屋を後にしていった。
「さて――ではな、カイン。
お前さんらに言わせれば、お互い、『真っ当な命』ではないんじゃろうが……。
こうしてまた、お前さんと言葉を交わせたことは……望外の喜びじゃったよ」
「……私もだ、先生。
それに、ノアを助けてくれたこと、そして――永きに渡り、オリビアを見捨てることなく、側に付いていてくれたこと。
――改めて、礼を言わせて欲しい」
「なァに、どちらも望んでやったことじゃよ。
……礼には及ばんわい」
にかっと、子供とも老人とも取れる無邪気な笑みを残し、碩賢もまた部屋を出ていく。
カインはそのドアに向けて――その先の二人に向けて。
もう一度、深く深く頭を下げた。
「……それで、碩賢。
本当に、カインは……春咲姫の命を奪うことが出来るのですか?」
先に施設のエントランスで待っていたグレンは――。
廊下を近付いてくる小さな人影を見て取るや否や、早速、先刻から抱いていたその疑問を投げかけた。
「先程のあなたは、春咲姫の不凋花が絶対のものだと言っていながら、まるで……それが覆される事態がありえることを、予め知っていたようでもありました」
「うむ……知っておったよ」
グレンの問いに碩賢は頷いた――かと思うと、すぐさま首を横に振る。
「――いや、少し違うな。
ワシは……そもそもは信じておらんかったのだから」
「……どういうことです」
「可能性として考えてはいたが、それも、不凋花を絶対だと信じるがゆえのことでしかなかったのじゃよ。
何があっても揺らがないと信じていたからこそ仮定した、言葉遊びのようなもの……と言うべきか。
――
それゆえに、生の象徴である不凋花にも、同じく死の象徴となる真逆のものがあるはずだ……とな。
それが――ワシがかつて存在を仮定し、〈
「それが……カインだと?」
「……そうじゃ。
つまり永朽花たるカインには、粒子の対消滅のように、不凋花を死滅させる因子があるということじゃな」
「ですが……どうしてそれがヤツなのです?」
自分の前を通り過ぎ、出入り口のゲートへ向かう碩賢に、足とともに言葉の上でも追い縋るグレン。
「お前さんなら、ウェスペルスから聞いておるじゃろ?
どうしてカインの亡骸が、この1000年の間、かつての姿を維持し続けたのか――。
その理由を考えれば、科学的な検証が出来るわけではなくとも……答えとしては納得のいくものになるのではないか?」
碩賢の助け船から、彼の言う納得のいく答えを導き出したのか――。
グレンは、はっとする。
「……そういうことじゃよ」
言って、碩賢は柔らかな朝陽の射し込むゲートを前に、はたと立ち止まった。
「のう、グレン。……かつてどこかの詩人が詠んだ、こんな内容の詩を知っておるかな。
死に際して、誰より『死』そのものが、最も慈悲深いがゆえに、自らの役割を嘆き悲しんでいるのだと。
哀しく、つらく――しかし本当に大切なことだと理解しておるから、涙を呑んで役割を果たしているのだと。
そして、それゆえに……死の先は、安らかなのだと――」
「いえ……浅学なもので」
グレンに背を向けたまま、碩賢はゲートの先、陽の光を追って空を見上げる。
「……そうか。
しかし、その詩が正しいのであれば……死を取り除くばかりか、あまつさえ死者を甦らせようとまでしたワシらは、そんな『死』の悲痛なまでの決意と覚悟を、自分たちの都合ばかりで踏みにじり――冒涜していたのかも知れんな」
「たとえ、そうだとしても――」
グレンは碩賢を追い抜き、ゲートを開いて振り返った。
「あなたたちによって救われた命――いや、魂もある。
それは間違いないんですよ」
碩賢は一度ちらりと、そう告げたグレンの顔を見上げると――
「そうか。
――であれば、何よりじゃがな」
開け放されたゲートを抜けて、陽光の下へ足を踏み出した。