――目を覚ましたとき、わたしは不思議で仕方がなかった。
いつもみたいに息苦しくなくて、普通に呼吸が出来て、重いどころか軽いぐらい自由に体が動く。
頭は熱でぼんやりすることもなくはっきりして、全身の痛みも、ウソみたいにキレイさっぱり消えている。
夢なのかとも思った。
わたしはまだ寝ていて、夢を見ているだけなんじゃないかって。
先生に、お兄ちゃん、お姉ちゃん――。
わたしを取り囲んだみんなが喜んでくれているところも、何だか夢のようだった。
最近はずっと、みんな、心配そうにわたしを見ていたから。
――わたし、生きてるんだ……。
みんなに祝福されてそう実感するまで、少し時間がかかった。
生きていることが――死を怖がらなくていいことが、こんなにも幸せだとは思わなかったから。
……だけど、そんな幸せな夢は、すぐに悪夢に塗りつぶされた。
一番会いたかった人――大好きなパパ。
幸せな夢に絶対に必要な人を探し求めたわたしは、そこで、現実を突き付けられた。
……どうしようもない、現実を。
「パパ……?」
再会したパパは、穏やかに、静かに、眠っていた。
神父さんとかが着ているような、いつもの黒い服を着て、何だか重々しい箱の中で……たくさんの花に囲まれて。
――そう言えば、わたし、パパの寝顔って見たことなかったな。
思ったより普通で、ちょっと残念かも。
でも……こんな堅苦しい格好のまま寝てるところなんかは、とってもパパらしい――。
「肩……凝っちゃうよ?」
せっかくだから、着替えを手伝ってあげようと思って、起こそうと手を伸ばしたら……その手が、視界の中でゆらっと揺れた。
ううん、違う……手だけじゃない。
いつの間にか、パパも、パパを包む花も――何もかもみんな揺れていた。
揺れて霞んで、良く見えなくなっていた。
――あれ。これ……涙だ。
わたし……泣いてるんだ。
「どうして? どうしてわたし……泣いてるんだろ。
ねえ、パパ、どうして……」
――どうして? そんなの、決まってる。
わたしは知ってるからだ。本当は分かってるからだ。
ここが礼拝堂で……。
パパが寝ているのが棺で……。
周りを囲んでいるのが、献花だってことが。
そう――。
パパが、死んだっていうことが。
「どうして? ねえ、どうして?
パパ、パパぁ……っ!」
縋り付いて泣いて聞いても、パパは応えてくれなかった。
いつもみたいに、口数少なく怒ることも。
大きな手で、優しく頭を撫でてくれることもなかった。
認めたくない。認められるわけない。
でも、パパを呼べば呼ぶほどに……。
それに応えてくれないって思い知るほどに。
「パパぁぁーーっ!!」
悲しかった。
何が悲しいのか分からなくなりそうなぐらい、とにかくどうしようもなく悲しかった。
泣かないと、泣き続けないと、どうにかなりそうだった。
助けて欲しくてパパを捜し、求めて、呼んで……。
呼ぶたびに、パパが死んだことを思い知らされて。
また悲しくなって怖くなって、パパを呼んで……もっと、どうしようもなく悲しくなる。
わたしはただ、泣き続けることしか出来なかった。
あとからあとから湧いてくる悲しさを、泣いて泣いて、涙と一緒に外に出すことしか出来なかった。
涙はいつまでも枯れないんじゃないかと思った。
ずっと泣き続けるんじゃないかと思った。
でも、泣いて、泣き疲れて、眠って――起きたらまた、泣いて。
そんなことを何度も繰り返しているうちに、いつの間にか、涙は止まっていた。
悲しいのを涙で外に押し流さなくても、受け止めていられるようになった。
「……パパ……」
今日もパパは、ただ眠っているだけみたいに、棺の中に変わらない姿で横たわっていた。
――パパが亡くなってから、もう1年になる。
捧げた献花は萎れるたびに何度も替えたけど、パパは――パパの姿だけは、何も変わらない。
……パパが死んだと知ったあの日。
わたしは先生に縋り付いて、パパを生き返らせて欲しいと願った。
先生はこれまでの実験の結果から、それが不可能なのは分かっていたんだろう。
でも、わたしを納得させるために、わたしの願い通りの処置をしてくれた。
そして、その結果が……パパのこの姿だった。
蘇生することもなければ、土に還ることもない――。
死んだときのままの変わらない姿だけを、不凋花は保たせていた。
予想外で……しかも、ヘタに蘇生の希望をもたせるような皮肉な結果だと、先生はおっしゃってたけれど――。
わたしは、そうは思わなかった。
勝手なようだけど、たとえ生き返ることがなくても……。
大好きなパパが、わたしの思い出の姿そのままでいてくれることが、わたしにはただ嬉しかった。
不凋花が、せめて姿だけでもそのままに――と、力を尽くしてくれたように思えた。
「……そう言えばパパ、先生ね。
今でもちょっとずつ若くなってて、もうおじいちゃんじゃなくなってるのに……まだ今までみたいなしゃべり方してるんだよ。おもしろいでしょ?」
パパに会いに来て、こうして話しかけるのはいつものこと。
でも今日は――。
いつもと違う一つの決心を固めて、わたしはここに来ていた。
「……わたしはね、まだ成長してるみたい。大人になるか、その前に止まるかは分からないけど。
身長も伸びたんだよ? パパと最後に会ったときよりも。
だって、もう……1年になるんだもんね」
そう……1年だ。
今はまだ実感がわかないけど、これから永遠の時間を生きると言われたわたしにとっては、とても短いはずの……でも、長かった1年。
この1年という区切り――。
今日を最後にわたしは、パパとお別れする決心をしていた。
もしかしたらパパが息を吹き返すかも知れない……そんな思いで待ち続けるのを止めて、パパの死をきちんと受け入れ、そして――前を向いて、新しい生き方をしようと。
それは、お兄ちゃんたちが提案した、誰も死ななくて、苦しまない……。
そんな穏やかな世界を創る、そのお手伝いをする生き方だ。
こんな風に、大事な人を喪って悲しむことのない、みんながずっと一緒にいられる――幸せな世界を創るための。
「だからね……パパ。もうこんな風に、毎日会いに来るのはやめるね。
いつまでも立ち止まってたら、なにしてるんだって怒られそうだから。
せっかく、新しい命をもらって、元気になったんだもん……ちゃんと役立てないといけないよね」
そっと両手を組み、口の中で、昔教えてもらった祈りを唱える。
パパが死んだと知ってから今まで、決してしなかった――別れの祈り。
亡くした人を天国に送るための……。
パパの死を受け入れるための、けじめの祈り。
「さようなら……パパ。
天国から、ママと一緒に……わたしのこと、見守って下さい」
――もう大丈夫だって思ってたのに。
別れを口にしたとき、また一滴……わたしの頬を、涙が伝い落ちた。
「……さようなら――」