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少なくともグレンの知る限りでは、これほどに沈鬱な空気は、
あのとき、庭都の安寧のためにと――。
周囲の進言を容れて、反乱扇動者たちの徹底排除を決断した
だが、今、上座に落ち着く少女の表情は……。
場こそ似通った空気の中にありながら、かつてのものとはまるで違う色を湛えていた。
それは、どこか涼やかですらあった。
元より、そうすべきときには気配からして凛としてみせる芯の強い少女だったが、今の彼女は……意識せず、自然とそうなっているように見受けられたのだ。
急に大人になったようだ、と――そんな風にグレンは感じた。
「――と、以上が、先日ワシとグレンがカイン本人と直接話した内容じゃが……」
そこで一旦言葉を切り、
本来なら、この会議場は新史生まれの者も含めた、十人を超える
現在長卓を囲んでいるのは、唯一、春咲姫の脇に控えるサラを除けば、全員が旧史生まれ――それも、
碩賢は、最後に視線を上座の春咲姫に戻して……着席しながら問いかける。
「……では、春咲姫。
改めて、お前さんの本心を聞かせてくれるか?」
……グレンや碩賢の独断行動については、ひとまず問題行為としての審議は先送りにすることが既に決まっていた。
だが、たとえそうでなかったとしても、この場の誰もが、わざわざ今そのことを追及しようなどとは考えなかっただろう。
皆の意識は、上座の少女の真意――。
ただ、その一点に集約されていたからだ。
そして、そのことを承知の上で……。
しかし
「――父の、言った通りです」
春咲姫のきっぱりとした一言に、反射的にライラが身を乗り出して何かを言おうとするが――隣席のウェスペルスが、腕でそれを制した。
春咲姫はそんな二人のやり取りをちらりとだけ見て、言葉を続ける。
「ノアたちが不老不死を否定して天咲茎を出たとき……わたしは確かに、父の墓前で願いました。
あの子たちが、何事もなく無事に保護されるよう護ってほしいと。
そして――もしも。
もしも、あの子たちこそが正しくて、わたしが間違っているのなら。
どうか、罰を――死を、与えてほしいと」
春咲姫自身の口から告げられた事実に、場の空気が、なおも張り詰めた。
……グレンは思わず、娘サラの様子を窺う。
不老不死の源であり庭都の平穏の象徴でもある春咲姫が、自らの死を願う――。
その事実は、新史生まれの人間には相当な衝撃ではないか――そう案じて。
だが、意外にも……。
サラは驚きこそすれ、取り乱してはいないようだった。
そこには、何かに納得しているような落ち着きさえあり――。
むしろ反応の大きさでは、ライラの方が激しいぐらいだった。
「オリビア、あなた……!」
春咲姫という公式の場での呼び名を使うことさえ忘れて絶句するライラに。
少女は一言「ごめんなさい」と謝った。
「……でも……これは、一時の気の迷いで出た願いなんかじゃありません。
ずっと……永い永い間。
不死にしてもらったそのときからずっと、わたしの心に刺さっていた小さなトゲ――本当にこれで正しかったんだろうか、っていう疑問。
そこから生まれた……願いだから」
1000年の間胸に秘してきた想いを、真摯に言葉にした春咲姫は――。
改めて、一同に向かい頭を下げる。
「……ごめんなさい。
わたしはずっと、そうして、不老不死への疑問を抱き続けていたにもかかわらず……。
それを秘して、庭都のみんなの命を巻き込んできました。
もちろん、そんなつもりはなかったけれど……そのことを、騙したと感じる人もいるかも知れません。
でも……今言ったこと――。
それが、嘘偽りの無い、わたしの本当の気持ちです」
春咲姫の言葉を受けて……。
その真意を考え、理解しようとしてか、一同はしばし沈黙する。
グレンも同じく押し黙っていたが……それは、少女の心情に思いを馳せてのことだった。
彼にとって春咲姫の告白は意外ではあったものの、不思議ではなかった。
旧史の標準的な倫理観の中で生まれ育った人間なら、それは抱いて当然といえるような疑問だったからだ。
だが、だからこそ――。
数多の人々の命を担う中心的存在として、永い年月をたった一人――。
その疑問と周囲の環境との折り合いをつけ続けてきた少女の心労は、決して軽いものではなかっただろう――と。
「では……春咲姫」
やがて、沈黙を破って口を開いたのは……。
少女に次ぐ上座に位置する、ウェスペルスだった。
「君の意志は、カイン――
……それでいいのかな?」
……一瞬、場の空気にさざ波が立つ。
だが、ウェスペルスは……まるで気にすることなく言葉を続ける。
「――勘違いしないでほしい。
僕はそれに反対しているわけでも、まして春咲姫、君を責めているわけでもない。
僕はただ、君の好きなようにして欲しい……と。
そう、背中を押してあげたいだけなんだ」
「! ウェスペルス、あなた……!
何を言ってるか分かってるのっ!?」
声を荒らげるライラに、対照的に静かな視線を向けて――。
ウェスペルスは「もちろん」と頷く。
「春咲姫が死を迎え入れるということは、即ち、彼女の
だけど、だからこそなおさら……僕は春咲姫の意志を尊重したい。
僕らの関係は、いわば創造主と被造物という形に近いだろう。
そして、創造主だからといって被造物――それも意志持つ存在を好き勝手に出来る道理なんて無い。
……けれど、この庭都に生きる誰もが、既に本来の人間の寿命を遙かに超越した、永い時間を生きてきている。
なら……創造主が死を望むなら。
これ以上生き続けることが苦しいと言うのなら――認めてあげるべきだと思う。
――許してあげるべきだと、思うんだ」
「……ボスの言うことにも一理あるな」
ウェスペルスが述べた思いの丈に、すかさずグレンは同意した。
「遙かな昔から、被造物の人間に救いの手を差し延べるどころか、散々に引っかき回す材料にしかならなかった本来の創造主サマに比べれば……だ。
春咲姫は、こうして悩み惑う人間の身でありながら、人々のためを思い、皆が幸せに生きていけるようにと、手を尽くしてきてくれた。
そして実際、俺たちは1000年の永きに渡って、満ち足りた生活を送ってきたはずだ。
――もちろん俺も、それがこの先も続けばいいと思う。
だがそれが、春咲姫一人の心に負担を強いて得られるものであるなら……素直に喜べるものじゃない。
だから、春咲姫が望むのなら……これまでの恩返しの意味も含めて、望み通りにさせてやるのが道理ってものじゃないか?」
「ウェスペルス、グレン……二人とも、どうもありがとう」
柔らかな微笑みとともに、春咲姫は礼を告げる。
「……おかげで……改めてはっきりと、心を決めることが出来ました」
「っ!? オリビア、あなたまさか本当に……!」
取り乱すライラに、静かに首を振ってみせると……。
春咲姫はキッと――毅然とした表情に戻り、真っ直ぐに前を見据えた。
「わたしは――抗います。
大人しく、死に
春咲姫の宣言に、その場のほとんどの者が驚きを隠さずに少女を見た。
――ただ一人、小さく頷く老成した少年を除いては。
「……わたしの中には、確かに死を望む心もあります。
それは、こうして意志を固め、宣言した今も、そしてこれからも……小さくなり、隠れることはあっても、決して消えることはないでしょう。
グレンが言ったように、わたしは神様なんかじゃなくて、迷い、惑う――ただの人間でしかないから。
でも……わたしはやっぱり、この庭都を護りたい。
ここで平和に暮らす、みんなの幸せを護りたい。
たとえそれが世の理に反したものだとしても。歪んだ幸せなのだとしても。
わたしは……今、ここにある命、ここにある笑顔を、失いたくない――」
そこで一度言葉を切り、春咲姫は小さく深呼吸した。
誰もが固唾を呑んで、凛々しくまなじりを決した少女の言葉を待つ。
「だから――戦います。
きっかけになったのはわたしの弱い心なのだから、こんなことを頼むのはおこがましいかも知れないけれど……。
どうか、みんなの力を貸して下さい。
願いを聞き届けてくれた父を、拒絶した上で、もう一度死に追いやる……。
そんな、ただのわがままではすまされない――どうしようもなく親不孝で、不敬極まりない大罪を背負うことになろうとも……!
わたしは――みんなとともに……!
この庭都とともに、生き続ける道を選びます……!」