「……そっか。
どうして自分が、
カインが碩賢に言われた通り、目を覚ましたノアに問いかけると……。
ノアは感覚を慣れさせようと、何度も義肢の左拳を握り直しながら、カプセルの中で上体を起こした。
丸一日近く、特別製の医療用カプセルで休息したためだろう。
ノアの顔色は、生死の境をさまよっていたとは思えないほどに良くなっている。
「じーさんが不凋花について書いた論文の中に、
世の中、ありとあらゆる存在に裏表があるんだから、不凋花もまた例外じゃないはずで、絶対の死を司る存在があってもおかしくはない……って仮定してるんだけど」
「永朽花……か。つまりは、それが私だと?」
「そう。――多分、じーさんもその論文を書いたときには、世の摂理に沿った仮定をしたっていう程度で、本気でそんなものがあるなんて信じてなかったと思う。
でも……その仮定は間違ってなかった。
確かに、まさに奇跡そのものである不凋花の対極の存在となると、突然前触れもなくぽっと世に現れるとは思えないし……。
しかも、実際それについての伝説なんてまるで無いんだから、存在そのものに否定的になるのは当然だ。
けど……それがそもそも、不凋花から分化するものだとしたらどうだろう。
まさに表裏であるように、不凋花の別の一面でしかないとしたら……?」
「生の象徴たる不凋花の、死の一面が永朽花――ということか?
しかし私は、その不凋花がオリビアに移植される前に死んでいるのだが」
「だからこそ、だよ」
ノアは少しぎこちない動きで、左手の人差し指を立ててみせる。
「カイン、アンタは……。
死んだ後に、不凋花を受け入れたんじゃないかな」
「死んだ後に……?」
「アンタが甦ったことも、一度完全に腐敗して土に還ったのが、超常的な力でこうして元の姿形に復元された――って考えるよりは、そもそも死んだときのままだった、と考えた方が納得出来るだろう?
そしてそれが、不凋花による作用だったんじゃないかな。
生き返らせることは出来なくても、遺体をそのままの状態で完全に保存する――。
つまり、いわば死者を不老不死にしていたんだと思う。
もっとも……その効果は、副次的なものに過ぎないんだろうけど」
そこまで言って、ノアは僅かに目を伏せた。
「……昔はさ、それこそ不老不死だって奇跡だったんだろ?
だから、アンタを喪ったと知ったとき……
――俺だって、同じ立場なら……きっと、そうしていたと思うしさ」
ノアはついと、隣室に通じるドアの方に視線を向ける。
……その先にある備え付けの簡易キッチンでは、ナビアが食事の準備をしているところだった。
「しかし、私は甦ることなく……ただその姿形だけが保たれた、ということか」
「ああ。それで、この1000年で少しずつ変化していったのか、それとも春咲姫の死を望む強い気持ちが引き金になって突然変異したのか……そこまでは分からないけど。
ともかく、アンタの中で永朽花と成った不凋花は、アンタにもう一度、死者としての仮初めの命を与えたんだろう。
だから――」
「私は、不凋花に死を与えることが出来る……か。
――そのために目覚めた死者であるがゆえに」
自らに宿る何かを確かめようとしてか、カインは手の平にしばし目を凝らす。
ノアも何を言うでもなく、その姿を見守っていた。
やがて……自分なりに納得したのか。
一つ頷いたカインは、「それで」と、ノアに次の話の矛先を向けた。
「お前たちがこれからどうするか、だが……」
「まさか……決着がつくまでどこかに隠れてろ、なんてことは言わないよな?」
胸を反らせたノアはふん、と力強く鼻を鳴らした。
「どのみち、俺たちが地上へ降りるためには、
しかも、アンタは確かに強いけど……いざ天咲茎に乗り込んだとして、ゲートのロックを外したりとかは出来ないだろ?
サポートする人間が必要じゃないか?」
「それはそうだが……」
「それにさ、言っただろ? 俺たちは見届けるのが役目だって。
そりゃ、ずっとアンタに付きっきりってわけにはいかないだろうけど……。
人の歴史の幕引きを頼んだ俺たちが、最後の時を安全な場所で隠れてるなんて、そんなの……そんなの、無責任じゃないか」
正しいと信じての行いでも、人の死――。
それも10万を超える人間の最期に関わるとなれば、その重責は計り知れないものだろう。
出来れば、兄妹にはその重荷を背負わせたくはないカインだったが……。
ノアの提案に、長くは迷わず同意する。
「……分かった。力を貸してくれ」
それはノアの言い分に納得したからでもあるし……。
同時に、彼らの決意、その固さを再認識したからでもあった。
自分がそうであるように、彼らもまた覚悟を決めたのだ――と。
「ああ。当たり前だろ」
ノアとて当然、自分たちがやろうとしていることの重さは充分に理解している。
……決してそれが、正義などという綺麗な言葉で便利に片付けてしまえるようなものでないことも。
この先ずっと、決して捨てることなく背負い続けなければならないものだということも。
だがその上で敢えて――。
彼は自らを鼓舞するように、明るく、強気に振る舞ってみせる。
「そうと決まれば、まずは腹ごしらえだよな。
……薬液だけじゃ、腹が減って仕方なくてさ」
「それこそが、お前が生きている証拠だな」
そう微笑んでカインは、簡易キッチンに続くドアに目をやる。
すると、ノアの訴えが届いたとばかりに……。
ドアを開けて、大きなトレイを両手で捧げ持ったナビアが姿を現した。
「おっ、いいタイミング!」
期待に輝く目で、手近な大きい箱形の機械をテーブル代わりに、ナビアが置いたトレイを目で追うノア。
トレイを飾るのは、様々な具材とともに炊き込んだらしい大鍋の米料理だった。
「保存食ぐらいしかなかったから、適当に組み合わせてお料理してみたんだけど……」
「これだけ出来れば充分過ぎるほどだ。
――そうだろう、ノア?」
料理を取り分けるナビアを見つつ、カインはノアに話を振る。
素直に褒めるのが気恥ずかしいのか、僅かに躊躇いはしたものの……。
結局ノアは、カインの言うがままに大きく頷いた。
「――そうだ、ナビア。
以前、作ってくれたシチューだが……」
「あ、ゴメンねおじさん!
あれは……ちゃんとした食材がないと作れなくって」
「いや、そうじゃない。
……お前にあれを教えたのは……春咲姫、だな?」
「……うん、そうだよ。
あれだけは他のお料理に比べて、春咲姫がもう、すっごい細かいところまで気にするから、覚えるの大変だったんだ。
――って、どうしておじさんそんなこと……」
そこまで言って、自分なりに思い至ったらしいナビア。
カインはカインで、それだけ聞ければ充分だったのだろう――。
穏やかに微笑みつつ、「そうか」と、静かに頷いていた。