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第2節 咲花の覚悟 Ⅲ


 ――その日サラは朝早くから、春咲姫フローラの身支度を手伝っていた。


 他にも身の回りの世話をする女官はいるのだが、今日ばかりは彼女自身と春咲姫の希望により、彼女一人でゆっくりと長い時間をかけて、磨き上げるように少女の身なりを整えていく。


 しかし、特別な装いを手がけているわけではない。

 肌や髪の手入れから服装に至るまで、普段の正装とほとんど変わりはない。


 ただその普段の身支度を、細部までいつも以上に気を遣い、ひたすら丁寧に、心を込めて行っているのだった。


 普段と同じ、質素ながら穏やかで優美な、淡い色合いのドレスを選ぶのも、それが最も少女を引き立てるからに他ならない。



 温室に育つ高貴な麗花でも、大樹に咲き誇る佳花でもなく。

 野に秘めやかに咲く、可憐で純朴な愛花――。


 それが、春咲姫と呼ばれる少女だからだ。



 今日という日は、庭都ガーデンにとって、春咲姫にとって、そして……人類にとって。

 節目とでも言うべき、特別な一日になるのだろう――。



 そんな思いを噛みしめながらサラは、まるで嫁ぐ娘に母親が最後の愛情をかけるように……ゆっくりそっと、ザクロ石を思わせる、艶やかに赤みを帯びた素直な髪をすいていく。


 昨日の会議にも出席したサラは、これが、ともすれば少女の死化粧となるかも知れないことも承知している。

 承知しているが、意識はしていない。



 彼女はただ――。

 今日の春咲姫がこれまでで最も美しく、愛らしくなるように――と。

 ただ、それだけに心を砕いていた。



 ……サラの動きに合わせて、春咲姫が小さく鼻を鳴らす。

 気持ち良さそうに目を細め、されるがままになっている姿は、日だまりで昼寝する子猫のようで、サラも思わず頬を緩めていた。


 春咲姫が死を迎えるということは、自らもまた、死ぬということ――。

 彼女はその事実も理解していたが、自分でも不思議なほど、心は穏やかに落ち着いていた。


 その理由は、そもそも彼女たちの勝利を信じているということもあるが……。

 何より、春咲姫と命が繋がっている事実があるからだった。



 彼女にとっては、母のようでも姉のようでもあり……。

 同時に、妹のようでも娘のようでもある……。


 実の両親と同じぐらいに、敬愛する春咲姫。



 そんな彼女とともに死を迎えられるのなら――死して後も、共にいられるのなら。

 それは、一人生きて取り残されるよりも、よほど慈悲深いことだと思えるからだ。



「……ごめんね、サラ」



 何の前置きもなく、唐突に謝罪を口にする春咲姫。


 一方サラは、髪をすく手を止めることなく……。

 ゆったりとした口調で「どうしました?」と問い直す。


「うん……。

 不老不死に疑問を抱いていたこととか、それをずっと黙っていたこととか」


 前方の姿見を見据えたまま、凛とした調子で答える春咲姫に――思わず、笑みをこぼすサラ。



「……存じ上げておりましたよ」



 その返事はよほど予想外だったのだろう――。

 少女は、目を丸くして勢い良く振り返った。


 それを、「せっかく整えた御髪おぐしが乱れますよ」と笑顔でたしなめてから、サラは続ける。



「正確には、あれほどまでに思い悩んでいらっしゃるとは思いませんでしたけど。

 それでも、ずっと何かを気にかけていらっしゃることには気付いておりました。

 ――そう……もう、ずっとずっと以前から」



 春咲姫は小さくため息をついた。


「……すごいね、サラ。

 誰にも気付かれないようにしていたつもりなのに」


 賞賛の言葉に、サラは姿見越しに首を横に振ってみせる。


「……いいえ――。

 結局、その内容までお察し出来ませんでしたし、たとえ打ち明けていただいていたとしても、新史生まれの私では、満足されるほどの答えは差し上げられなかったでしょう。

 ですから、私の方こそ……。

 お力になれなかったことを、お詫びさせていただきたいぐらいです」


 そんなこと――と言いかけて、このままでは不毛な水掛け論になることに気付いたのだろう。

 春咲姫は気を抜くように一つ息をついて、表情を和らげた。


「それじゃあ……ありがとう。

 そうして、いつもわたしのことを気にかけてくれて」


 謝るのではなくお礼に切り替えたことに、サラも笑顔で応じる。



「こちらこそ。

 ――お仕えさせていただき、ありがとうございます」



 ……部屋のドアがノックされたのは、そんなときだった。


 春咲姫が応じると――。

 「広場の方の準備は整いました」という返事が返ってくる。



「分かりました。

 こちらも準備が済み次第、すぐに向かいます」



 ドア向こうの気配は、かしこまりました、と答えて遠ざかっていった。


「……さて、いよいよですね」


 労るようにサラは、春咲姫の細い肩にそっと手を置く。


 庭都全域には無理でも、せめてこの天咲茎ストークを――そして自分を護って戦ってくれる人たちには、最低限の礼儀として自分の口から、自分の言葉で、事の経緯を説明したい――。


 そんな本人のたっての願いにより、春咲姫はこれから演説を行うことになっていた。


 先程の連絡からすると、すでに会場となる庭園の広場には、警備隊や枝裁鋏シアーズを中心とした多くの人間が集まっていることだろう。


「うん。……さすがにちょっと、緊張するね」


 聴衆にとって、決していい報せではない事実を語るのだ。

 非難を受ける可能性も考えれば、緊張して当然だろうとサラは思う。


 だから、少しでもそれを和らげられればと、彼女は……。

 二度、三度と深呼吸する少女の肩を優しくさすりながら、自らの考えを告げる。



「……春咲姫。

 あなたのお父様が懸念されているように、もしかしたら、不老不死というのは世界にとって、ことわりを歪める罪深いことなのかも知れません。


 ですが……私は、それがあったからこそ、こうして世に生を受けることが出来たのです。


 ですから、これが過ちで、今の世界が実態のない夢のようなものだとしても――。

 今、私が幸せであること。それは確かなのです。


 そして、もう一つ。


 もし……もし仮に、今日を最後にこの身が滅びることになっても。

 私はあなたを、決して恨んだりはしません。


 昨日、父グレンが申しましたように……。

 私たちのことを想い、幸せを願い、そしてそれを実践し続けてくれたあなたに寄せるのは――どのような結果になろうとも、ただ、感謝の心のみなのですから。


 どうか、そのこと……お心に留め置いて下さい」



「うん……うん。

 ありがとう、サラ。――ありがとう…………」



 心からの感謝とともに――。

 春咲姫は、自分の肩に置かれたサラの手に……そっと、自分の手を重ねた。



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