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第3節 生か、死か Ⅲ


「――っ!」



 ――攻めかかっているのは自分のはずだった。


 それにもかかわらず、ほんの一瞬、スキだと自覚することすら困難なほんの一瞬のスキにねじ込まれてきた手刀は――寸分違わず、急所を狙っていた。


 それを、半ば勘頼みの反射的な動きでかろうじてかわし――グレンは一旦距離を取る。


 カインも、その一撃をかわされたことは予想外だったらしく……。

 深追いはせず、仕切り直しに合わせた。



「……どうしてだ」



 息を整えながら、グレンは言葉を投げかけた。

 喉の奥から絞り出すようにして――言葉を。


 そもそもは、問答などするつもりはなかった。


 だが、激しい戦いの高ぶりは、闘争本能以外の自制心まで――彼自身、そうと自覚する間もなく、融解させていたらしい。


 そうして一言形にしてしまえば、僅かな隙間から堤防が決壊するように……。

 次から次へと、言葉があふれ出た。


 ……その思いの丈が、胸の奥に湧き出るままに。



「どうしてこうまでして、娘を殺そうとする。

 娘を思いやるがゆえと言うが、死によって得られる幸福など、ありはしないだろうに!

 どうしてだ――!」



「……確かに、死は安らぎをもたらそうとも、その先の幸福まではもたらさないかも知れん。

 だが……死は次代の糧であり、歴史を刻むために欠かせぬもののはずだ。

 死によって受け継がれていくものが、次の、新しい世界を創り上げていくのだから」


「……よく言う。そうして――」


 言うや否や、グレンは一気に距離を詰めてナイフを突き出す。

 虚を衝かれながらも、危なげなく身をかわし反撃するカインだが――グレンもそれを避けた。


「そうして創り上げられた世界とやらは――歴史とやらはどうだった!

 大半の人間は、下らん無為な争いに明け暮れるか、怠惰と堕落を平和と崇めて腐り果てるかの、どちらかでしかなかっただろうが!

 挙げ句が――!」


 ナイフでの斬撃、さらに拳、蹴りと――必殺の意志を込めた連撃がカインを襲う。


「世界からあらゆる生命を一掃しかねなかった、あの戦禍だ!

 ならば、アンタの言う歴史とやらを刻むことに、一体どれほどの意味がある……っ!」


 連撃を捌いたところに、さらに突き出されたナイフを、カインはそれを握る右手ごと掴まえる。

 あるいは引き剥がそうと、あるいは引き込もうとする――二人の力が拮抗し、膠着を生む。


「そうして見限った人の歴史が、この星そのものに比べてどれほどの長さだったと思う。

 いかに文化技術の進歩が目覚ましかろうとも、たかだか数千年程度だ。

 人類はまだまだ若く幼く、それゆえに過ちを重ねようとも、それを省み、正すときは必ず来る――いや……」


 一瞬、力の押し引きの妙を制したカインが、素早くグレンの腕を引き込み、そのまま投げ飛ばした。

 しかしグレンも咄嗟に、受け身を取りつつ、掴まえられていた腕を外して逃れる。


「……来たはずだったのだ。

 人がこうして、人としての歴史を放棄しなければ……」


 体勢を崩したグレンに追い打ちをかけることはせず、立ち上がるのを待つカイン。


「――人は、愚かだ。

 だが、だからこそ学ぶのだ。

 学び、正していかなければならなかったのだ。

 人として在るべき形を捨てることなく……その限りある命の積み重ねの中で」


「……だから、俺たちは滅びなければならないと言うのか。

 死の恩恵を忘れた俺たちに、もう人としての歴史を刻む資格は無いと……!」


 立ち上がるグレン。

 その熾火おきびのごとき眼差しを受け止めるカインは――冷徹に、首肯した。


「――そうだ。

 お前たちは歴史を安定させたのではない。ただ、停滞させただけだ。

 そして、時の輪から外れ、永遠ゆえに時を刻むことを忘れたお前たちに――それをもう一度前へ押し進める力は無い。

 ……誰よりもお前たち自身が、そのことを理解しているのではないのか?」


「たとえアンタの言う通りだとしても……俺は、その時間の中に、救いを授かったんだ。

 一度は喪ったはずの光を……幸福を!

 それを、もう一度手放すのが正道だと言うのなら――」


 姿勢を下げた状態から、グレンは床を蹴る。


 あまりに鋭く、それゆえに防御を考えていないことが明確なその挙動に――。

 カインはそれが、決死の意を込めた渾身の一撃であることを悟った。



「――そんなものは、クソ喰らえだッ!!」



 己の意志すらも刃に乗せるかのごときそれは、これまでのどの一撃よりも速く――。

 刹那の交錯に、肉を切らせて骨を断つことも辞さない……正真正銘の、捨て身の一撃だった。



 ――だが。



 それも――死を告げるためだけに在る、死そのものたる死神には無力だった。


 少なくとも、何らかの手応えは確信していたはずのグレン自身が。

 そこにある黒衣が、残像に過ぎないと悟った瞬間――。


 その左胸を、研ぎ澄まされた圧倒的なまでの衝撃が――文字通りに撃ち抜いた。



「――それでも。

 外れてはならないからこその、正道だろう」



 グレンの突撃の勢いを利用し――さらにカイン自身も渾身の力を込めて放った貫手は。

 まさしく槍のごとく、肘まで深々と……グレンを刺し貫いていた。



「ちっ……。

 やっぱり、アンタにゃ……敵わん――か」



 グレンの手から滑り落ちたナイフが、床で乾いた音を立てる。

 次いで、腕を引き抜くのに合わせて、力無く崩れ落ちようとするグレンの身体を……カインは受け止めた。



「しかし、あるいは私も……。

 立場が違えば、お前と同じ道を選んだかも知れないな」



 グレンを手近な柱にもたれかけさせてやりながら、カインは静かな声でそう告げる。


「それは……お互いさま、だろうよ……」


 血を吐き出しながらも、グレンは微苦笑さえ浮かべて――。

 また、ふん……と鼻を鳴らす。



「ああくそ、まったく……情けねえ……。

 どのツラ下げて……家族に会えばいいんだか…………なァ……」



 そうして、柱にこつんと頭を打ちつけ――。

 グレンはゆっくりと、瞼を閉じた。



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