目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第3節 生か、死か Ⅳ


 ――データルームの中央に鎮座する、無機質に黒光りする大きな機械……。

 それを見たナビアは最初、金属で作った大樹のオブジェかと思った。


 幾つもの高機能コンピューターを繋ぎ合わせて築かれているそのメインシステムは――。

 根のように幾重にも延びるケーブルに、硬質な樹皮のような外枠……といった見た目をしていたからだ。


 そして実際にそれは、庭都ガーデンの中心たる天咲茎ストークという大樹同様に……。

 庭都のあらゆる情報網の中心と言う意味で、やはりもう一つの大樹だった。



 その大樹の前に用意されていた、整備用らしい大きな端末に、さらに自前の掌携端末ハンドコム3枚も接続して……ノアは今まさに、激戦の真っただ中にいた。



 まだ違和感が残るとぼやいていた義手すらも巧みに操り、何をどう動かしているのか、ナビアの目では追うことすら困難な速さで、総計4つに及ぶ端末の――。

 キーやら、モニターやら、はたまた宙に浮かぶ映像そのものの間に……全部で僅か10しかない指を、これでもかと舞い踊らせる。


 そうして、やがて――。



「よし……これで…………勝ったっ!」



 額に浮かぶ汗を拭うことはもちろん、瞬きすら忘れているのではないか――。

 それほどまでに端末の操作に没頭していたノアが、そう叫んで顔を上げる。


 ふとナビアが気付けば、いつの間にか……。

 さっきまで目まぐるしく移り変わっていたはずの4つの端末の映像はすべて、まったく同じものになっていた。



「……勝った――って?」


碩賢メイガスのじーさんにだよ。

 別の場所――多分自分の部屋から、このメインシステムが俺に乗っ取られないように邪魔してたんだ。

 でも……もう、システムは俺が完全に押さえたから大丈夫だ」


 得意気にまくし立てる兄にナビアは、曖昧に頷くことしか出来ない。

 彼女の知識では、どう説明を受けても……喜びを完全に分かち合うことは不可能なようだった。


 ただ、カインのサポートをするという、一番の目的に近付いたことぐらいは理解出来る。


 改めてそのことを尋ねると……。

 ノアは、任せろとばかりに胸を叩き、早速新たな作業に入った。


「あたしは……」


 何か自分でも手伝えることは――と、周囲を見渡してナビアは……。

 ノアが向かい合っているものとは別のモニターに気になる映像を見つけ、慌てて兄を呼ぶ。


「お、お兄ちゃん、あれ!」


「ん? この部屋の前の映像か?

 ……って、あれは――!」


 監視カメラのようなものなのか、データルーム前らしい映像の中に映っていたのは――。

 ドアの前に押し寄せて来る、ライラと……その部下らしい枝裁鋏シアーズの集団だった。


「どうしよう、今入ってこられたら……!」


「ドアは真っ先にロックしたから、そう簡単に突破されやしないさ。

 大丈夫……大丈夫だ……!」


 大丈夫と繰り返しながらも……。

 打って変わって緊張した面持ちで、ノアは作業を再開する。


「今はとにかく、カインの前に――!

 春咲姫フローラのところへ辿り着く道を開くことに、集中しないと――!」





     *     *     *



「……まったく、やってくれるわい……」


 肺に溜まっていた空気を根こそぎ外に出すかのように、碩賢は大きな大きな息を吐き出す。


 ……メインシステムのコントロールを巡る攻防は、彼の完全敗北だった。


 まだ不慣れな義手というハンデを抱えているはずの少年は……。

 しかし、全身全霊を傾けて相対あいたいした彼を上回ったのだ。


 今さらながら、ノアの才覚、そして――モニターを通して伝わってくる気迫に、彼は舌を巻くしかなかった。


「本当に、まったく……。

 子供というのは、あっと言う間に成長するものじゃな……」


 戦跡と化した端末を前に、そんな想いを呟く碩賢は、どこか満足げですらあった。


 もはやモニターは何を映すこともないが、碩賢はその先に……。

 カインの――そして自分たちの信念のためにと、奮闘する兄妹の姿を思い描き、研究者らしい思索に意識を移す。



 果たして人間の、生への飽くなき執着は、彼らを――。


 人の都合だけでなく、世界との調和を考慮するがゆえに、人を諫めようとする彼らを――超えることが出来るのだろうか……と。





     *     *     *



「これ以上先に進ませるな! 食い止めるんだ!」



 回廊の先に、黒衣の人影が見えるや……。

 列を成しバリケードとなっていた警備隊員たちは一斉に、構えていた拳銃を発砲する。


 有効射程距離から言えば、明らかに早過ぎるタイミングだったが――。


 とにかく牽制して近付かせないようにしたい、という思いが念頭にある彼らの心情からすればむしろ、相手の姿が見えている時点で既に遅いぐらいだった。


 ……実際のところ彼らは――。

 死を恐れてはいたものの、その源を止めるのは決して難しいことではない――と、誰もが心のどこかで高をくくっているところがあった。


 しかし、それも当然だろう。

 なにせ相手は、いかに強くとも一人――。

 対してこちらは、グレンのような強者を始め、総勢100人を超える戦士が集っているのだ。



 だが――。



 正門前を突破されたのをきっかけに、要所を守っていた守備隊の壊滅の報せが次々に届けられるにつれ……。

 彼らの戦意のうちに、徐々に剥き出しの恐怖が幅を利かせ始める。


 しかも、データルームのコントロールが乗っ取られたということで、機器による通信が途絶してしまい、原始的な人伝での情報しか入ってこなくなっているところが――。

 相手を正確に捕捉出来ていないというところが、また、不安を大きく煽った。



 そして、その恐怖は――。

 実際に、黒衣の死神が視界に入ると……頂点に達した。



 これまで積み重ねてきた訓練のもとに戦う――という意気など、もはや無いに等しく。

 ただただ、泣き喚く幼子のように――。

 恐怖の対象を遠ざけるべく、手にした武器を闇雲に振るうのみ。


 あるいは、死を持つ普通の人間ならば、ここまで追い込まれれば逆に開き直り――実力を上回る底力と気迫で、それこそ、命を賭けて戦おうとしたことだろう。

 そしてそうなれば、いかにカインとて、苦戦は免れなかったかもしれない。


 だが皮肉にも、彼らは死から解放され、死を知らないがゆえに――。

 命の本来の形を知らないがゆえに――命の使い方をも知らなかった。


 人が人として生を為す上で、己の命は必ずしも第一には成り得ず――。

 時として、より大切なもののために、なげうたなければならないということを。


 そして、それこそが……人が困難を打ち砕く、最も強い力の一つであるということを。



 ……それでも銃器なら、逃げ場の無い狭い回廊内という地の利も加わって、カインを止めるのに充分な力を持つはずだった。


 そして、その程度でも勝算があったからこそ……。

 彼らは、逃げ出したりせずにいられたのだ。



 しかし――それすらも。

 カインを相手にするには、甘すぎる算段だった。



 遠間では絶えず身体を左右に振って狙いを外していたカインは、ある程度の距離まで近付くと、勢いを付けて壁へと跳ぶ。


 そして――壁に彫り込まれた彫刻の僅かな凹凸を足場に、一気に天井近くまで駆け上がると。


 自ら天井を蹴って自由落下に角度と勢いをつけ、一瞬のうちに距離を詰め――バリケードの眼前へと着地した。


 ……人は往々にして、左右に比べて上下の動きへの対応が弱い。


 ましてや、正常な精神状態でないとなればなおさらで……。

 ただ直進する相手を追い払うつもりでいた守備隊たちは、回廊を立体的に使ってのカインの動きに、まるで反応が追い付かずにいた。


 そして――状況を理解したときには、既に何もかもが遅すぎた。


 恐慌の内に思考など吹き飛び、ただ本能の命じるままがむしゃらに、銃を、軍刀サーベルを向けるも――。

 その向けた相手から……黒衣の死神は命を刈り取っていく。


 黒衣が翻るたび、その闇の中に命が取り込まれていくように……一人、また一人と。



 ……やがて、回廊を塞ぐほどだった人数の守備隊が、倒され、逃げ――。

 最後の一人となるのに、それほど時間はかからなかった。


 残った一人は、軍刀を抜くことも銃を構えることも、逃げることすら忘れ、腰を抜かして。


 返り血すら浴びていないかのような死神を見上げ、その大鎌が自らに振り下ろされる時を待つばかりだった。

 ――少なくとも、彼自身はそう思っていた。



 しかし、結局――その時は訪れなかった。



 戦意どころか敵意すら失った彼に、カインが立ち去る前に向けたのはただ、一瞥だけだった――。


 殺意ではなく……憐れみに満ちた眼差しの。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?