――データルームの中央に鎮座する、無機質に黒光りする大きな機械……。
それを見たナビアは最初、金属で作った大樹のオブジェかと思った。
幾つもの高機能コンピューターを繋ぎ合わせて築かれているそのメインシステムは――。
根のように幾重にも延びるケーブルに、硬質な樹皮のような外枠……といった見た目をしていたからだ。
そして実際にそれは、
庭都のあらゆる情報網の中心と言う意味で、やはりもう一つの大樹だった。
その大樹の前に用意されていた、整備用らしい大きな端末に、さらに自前の
まだ違和感が残るとぼやいていた義手すらも巧みに操り、何をどう動かしているのか、ナビアの目では追うことすら困難な速さで、総計4つに及ぶ端末の――。
キーやら、モニターやら、はたまた宙に浮かぶ映像そのものの間に……全部で僅か10しかない指を、これでもかと舞い踊らせる。
そうして、やがて――。
「よし……これで…………勝ったっ!」
額に浮かぶ汗を拭うことはもちろん、瞬きすら忘れているのではないか――。
それほどまでに端末の操作に没頭していたノアが、そう叫んで顔を上げる。
ふとナビアが気付けば、いつの間にか……。
さっきまで目まぐるしく移り変わっていたはずの4つの端末の映像はすべて、まったく同じものになっていた。
「……勝った――って?」
「
別の場所――多分自分の部屋から、このメインシステムが俺に乗っ取られないように邪魔してたんだ。
でも……もう、システムは俺が完全に押さえたから大丈夫だ」
得意気にまくし立てる兄にナビアは、曖昧に頷くことしか出来ない。
彼女の知識では、どう説明を受けても……喜びを完全に分かち合うことは不可能なようだった。
ただ、カインのサポートをするという、一番の目的に近付いたことぐらいは理解出来る。
改めてそのことを尋ねると……。
ノアは、任せろとばかりに胸を叩き、早速新たな作業に入った。
「あたしは……」
何か自分でも手伝えることは――と、周囲を見渡してナビアは……。
ノアが向かい合っているものとは別のモニターに気になる映像を見つけ、慌てて兄を呼ぶ。
「お、お兄ちゃん、あれ!」
「ん? この部屋の前の映像か?
……って、あれは――!」
監視カメラのようなものなのか、データルーム前らしい映像の中に映っていたのは――。
ドアの前に押し寄せて来る、ライラと……その部下らしい
「どうしよう、今入ってこられたら……!」
「ドアは真っ先にロックしたから、そう簡単に突破されやしないさ。
大丈夫……大丈夫だ……!」
大丈夫と繰り返しながらも……。
打って変わって緊張した面持ちで、ノアは作業を再開する。
「今はとにかく、カインの前に――!
* * *
「……まったく、やってくれるわい……」
肺に溜まっていた空気を根こそぎ外に出すかのように、碩賢は大きな大きな息を吐き出す。
……メインシステムのコントロールを巡る攻防は、彼の完全敗北だった。
まだ不慣れな義手というハンデを抱えているはずの少年は……。
しかし、全身全霊を傾けて
今さらながら、ノアの才覚、そして――モニターを通して伝わってくる気迫に、彼は舌を巻くしかなかった。
「本当に、まったく……。
子供というのは、あっと言う間に成長するものじゃな……」
戦跡と化した端末を前に、そんな想いを呟く碩賢は、どこか満足げですらあった。
もはやモニターは何を映すこともないが、碩賢はその先に……。
カインの――そして自分たちの信念のためにと、奮闘する兄妹の姿を思い描き、研究者らしい思索に意識を移す。
果たして人間の、生への飽くなき執着は、彼らを――。
人の都合だけでなく、世界との調和を考慮するがゆえに、人を諫めようとする彼らを――超えることが出来るのだろうか……と。
* * *
「これ以上先に進ませるな! 食い止めるんだ!」
回廊の先に、黒衣の人影が見えるや……。
列を成しバリケードとなっていた警備隊員たちは一斉に、構えていた拳銃を発砲する。
有効射程距離から言えば、明らかに早過ぎるタイミングだったが――。
とにかく牽制して近付かせないようにしたい、という思いが念頭にある彼らの心情からすればむしろ、相手の姿が見えている時点で既に遅いぐらいだった。
……実際のところ彼らは――。
死を恐れてはいたものの、その源を止めるのは決して難しいことではない――と、誰もが心のどこかで高をくくっているところがあった。
しかし、それも当然だろう。
なにせ相手は、いかに強くとも一人――。
対してこちらは、グレンのような強者を始め、総勢100人を超える戦士が集っているのだ。
だが――。
正門前を突破されたのをきっかけに、要所を守っていた守備隊の壊滅の報せが次々に届けられるにつれ……。
彼らの戦意のうちに、徐々に剥き出しの恐怖が幅を利かせ始める。
しかも、データルームのコントロールが乗っ取られたということで、機器による通信が途絶してしまい、原始的な人伝での情報しか入ってこなくなっているところが――。
相手を正確に捕捉出来ていないというところが、また、不安を大きく煽った。
そして、その恐怖は――。
実際に、黒衣の死神が視界に入ると……頂点に達した。
これまで積み重ねてきた訓練のもとに戦う――という意気など、もはや無いに等しく。
ただただ、泣き喚く幼子のように――。
恐怖の対象を遠ざけるべく、手にした武器を闇雲に振るうのみ。
あるいは、死を持つ普通の人間ならば、ここまで追い込まれれば逆に開き直り――実力を上回る底力と気迫で、それこそ、命を賭けて戦おうとしたことだろう。
そしてそうなれば、いかにカインとて、苦戦は免れなかったかもしれない。
だが皮肉にも、彼らは死から解放され、死を知らないがゆえに――。
命の本来の形を知らないがゆえに――命の使い方をも知らなかった。
人が人として生を為す上で、己の命は必ずしも第一には成り得ず――。
時として、より大切なもののために、
そして、それこそが……人が困難を打ち砕く、最も強い力の一つであるということを。
……それでも銃器なら、逃げ場の無い狭い回廊内という地の利も加わって、カインを止めるのに充分な力を持つはずだった。
そして、その程度でも勝算があったからこそ……。
彼らは、逃げ出したりせずにいられたのだ。
しかし――それすらも。
カインを相手にするには、甘すぎる算段だった。
遠間では絶えず身体を左右に振って狙いを外していたカインは、ある程度の距離まで近付くと、勢いを付けて壁へと跳ぶ。
そして――壁に彫り込まれた彫刻の僅かな凹凸を足場に、一気に天井近くまで駆け上がると。
自ら天井を蹴って自由落下に角度と勢いをつけ、一瞬のうちに距離を詰め――バリケードの眼前へと着地した。
……人は往々にして、左右に比べて上下の動きへの対応が弱い。
ましてや、正常な精神状態でないとなればなおさらで……。
ただ直進する相手を追い払うつもりでいた守備隊たちは、回廊を立体的に使ってのカインの動きに、まるで反応が追い付かずにいた。
そして――状況を理解したときには、既に何もかもが遅すぎた。
恐慌の内に思考など吹き飛び、ただ本能の命じるままがむしゃらに、銃を、
その向けた相手から……黒衣の死神は命を刈り取っていく。
黒衣が翻るたび、その闇の中に命が取り込まれていくように……一人、また一人と。
……やがて、回廊を塞ぐほどだった人数の守備隊が、倒され、逃げ――。
最後の一人となるのに、それほど時間はかからなかった。
残った一人は、軍刀を抜くことも銃を構えることも、逃げることすら忘れ、腰を抜かして。
返り血すら浴びていないかのような死神を見上げ、その大鎌が自らに振り下ろされる時を待つばかりだった。
――少なくとも、彼自身はそう思っていた。
しかし、結局――その時は訪れなかった。
戦意どころか敵意すら失った彼に、カインが立ち去る前に向けたのはただ、一瞥だけだった――。
殺意ではなく……憐れみに満ちた眼差しの。