――ざあっと、強い風が吹いた。
それでも、ノアもナビアも、その場を動こうとはしなかった。
白み始めた空の下、ただ、じっと待ち続けていた。
――ざあっと、強い風が吹いた。
さらわれた花びらがつむじを描き、空へと大きく舞い上がった。
* * *
――横たわる少女の愛らしい顔は……。
苦痛に歪みも、恐怖に引きつりもしなかった。
そこにあるのは、ただ。
心の底から安堵したような……安らいだ表情だけだった。
「……ねえ、パパ……」
力の失われていく娘の手を握ったカインは、どうした、と優しく聞き返す。
「わたしでも……ママと同じところ……いけるかなあ……」
「もちろんだ。母さんならきっと、お前を迎えに来てくれる。
そうしたら、あのシチューを作ってあげるといい。……きっと、驚く」
カインは微笑みを浮かべた。
それは、少女の思い出にあるのと、同じ微笑みだ。
「……よく独りで再現したものだ、とな。
ナビアが、お前から受け継いだあのシチュー……。
あれは間違いなく、母さんの味そのものだったぞ」
嬉しそうに、無邪気に……少女は笑った。
「えへへ……そっか。
じゃあ、パパには……ママと一緒に作ったのを……ごちそうしてあげるね」
「……私は――」
一瞬、カインは返答に詰まる。
……彼は、自らの魂に安らぎなど無いと信じているからだ。
――娘のため、という私利により、限りない命を手にかけたばかりか。
隠されていた不死の花を奪い、人類が
その贖いきれない罪があるゆえに、人の世に終焉を告げるという、最後の大罪を担うことになったのだと。
そしてまたその罪ゆえ、この仮初めの命が消えたあとも、闇の中、永劫の責め苦と終わりなき孤独に囚われるのだと――。
……しかし、彼にそれを拒む気はない。
いや、むしろ選んだ道の対価として、甘んじて受け入れる覚悟だった。
それが、安息も転生も許されない――。
娘や妻との、完全な離別であることを承知の上で。
だから彼は、一瞬、約束を躊躇った。
だが――
「ああ……そうだな。楽しみにしていよう」
そんな真実を告げることに、何の意味があるというのか――。
彼は笑顔を保ったまま、愛する娘にやわらかく頷いてみせた。
「……うん……きっとだよ……」
言って、オリビアはそっと瞼を閉じる。
そして――
「みんな……生きたいっていう望み……。
叶えてあげられなくて……ごめんね……」
「――オリビア」
「それと、パパ………………ありがとう――」
春咲姫としての謝罪の言葉と、オリビアとしての感謝の言葉を残して。
1000年を生きた少女は――静かに、息を引き取った。
「…………オリビア――――。
オリビア…………オリ、ビア……ッ……!」
……カインはその小さな亡骸を、力の限りに抱きしめていた。
胸に渦巻く慟哭を、嗚咽を、叫びを、涙を――。
身を引き裂かんばかりの想いを。
自らの罪の慰みとなってしまうそれらを、外に吐き出す代わりに。
1000年の空白を埋めるにはあまりに短い――。
しかし、かけがえのない僅かな時の間――。
その尽きることない愛情が、微かにでも伝わるようにと……。
彼は…………娘をただ、抱きしめ続けた。
「…………そろそろ、お別れだ…………オリビア」
やがて――。
父は愛する娘を、改めて……ウェスペルスの隣に、並ぶように寝かせる。
そして――この先も、彼らの『約束』が続くように。
二人が離ればなれになったりしないようにと、願いを込めて……手を繋がせた。
「――ウェスペルス。
どうか、これからも……オリビアを、頼む」
庭園に咲いていた花をいくつか摘み取ったカインは……。
そのうちの二つを、それぞれオリビアとウェスペルスの胸元に供える。
そして――ただの一度だけ。
穏やかな表情で手を繋ぐ二人を振り返ってから、庭園を後にした。