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【 巣立 】


 ――ざあっと、強い風が吹いた。


 それでも、ノアもナビアも、その場を動こうとはしなかった。



 天咲茎ストークの正門脇、広がる花畑の中で手を繋いで立ち、彼らは待ち続けていた。


 白み始めた空の下、ただ、じっと待ち続けていた。



 ――ざあっと、強い風が吹いた。


 さらわれた花びらがつむじを描き、空へと大きく舞い上がった。



 思わず目を細めて、そして改めて見開いたとき――。


 二人はそこに、待ち人の姿を見出した。



「カイン……!」「おじさん!」



 自らを呼ぶ兄妹の下に、正門を抜けたカインは、ゆっくりと歩み寄る。



「……さあ、行こうか」


 多くは語らず、カインは兄妹を促す。



 ノアはしばらく、カインの顔をじっと見上げたまま返答に詰まっていたが……。

 やがて大きく頷くと、地上へのエレベーターがある場所に向かい、先に立って歩き始めた。


 その歩みは、なぜか少し速く……。

 ナビアが横並びになろうとするたび、彼は引き離すように歩幅を大きくしたりした。


 わざわざ、風が強いと何度もぼやきながら……袖で目元を擦りつつ。



 そうしてしばらく歩き、彼が指し示したのは――。


 まるで離れのように、天咲茎の本棟からも渡り廊下の延びる……。

 大きな池の中央に聳えた、円筒形をした建物だった。




「これで……俺たちは、地上に降りる。

 庭都ガーデンを……去るんだ」




 橋を渡り、建物の中央に位置するエレベーターまでやって来ると、ノアは端末を操作してドアを開く。


 そして――なぜか、ナビアの背をやや乱暴に強く押し出し、ともに乗り込んだ。




 だが……カインは。


 カインだけはいつまで経っても、その場から動こうとはしなかった。




「――二人とも、約束を破ってすまない。

 私が一緒にいてやれるのは…………ここまでだ」




「……え? なんで、どうして……?」



 ナビアが当然のようにこぼした疑問に、カインはただ微苦笑を浮かべ――。

 もう一度、すまない、と繰り返す。



「おじさん……!」



 ナビアは、カインに駆け寄ろうとするが……。

 素早くその腕を掴まえたノアによって、引き戻される。



「――お兄ちゃん? 離してよっ!」



 妹の訴えに、ノアは無言で、俯けた頭を横に振った。


 ――彼には、分かっていたのだ。


 カインの仮初めの命は――不凋花アマランスに死を与える、永朽花アスフォデルとしての役割を果たすためだけのものだということを。



 そして――それが成された今。

 その命は、ただ消えゆくのみだということを――。



「ノア……迷惑をかけるな」



 理解されていることを察したカインの言葉に……。

 ノアは再び、ただ、頭を激しく横に振った。



「どうして? おじさん……一緒だって言ったのに!

 ヤダ、一緒じゃなきゃ……ヤダよ!」



 詳しい事情までは分からなくとも、カインもノアも本気だということを――。

 別れが事実として迫っていることを理解したナビアは、髪を振り乱して泣き喚く。


 それを必死に制していたノアは、やがて一言――。

 自らも泣き声で「泣くな!」と怒鳴った。



「カインを、これ以上……困らせるな……!

 困らせちゃ……ダメなんだよ……!」



 ……ナビアが見上げた兄の顔は、くしゃくしゃだった。

 必死に歯を食いしばって、涙を堪えているのが分かった。


 それでも……眼鏡は、雫に濡れていた。



「――ノア、ナビア……」



 カインの物静かな声に呼ばれたことで、二人は涙も忘れて顔を上げた。



「……いいか。精一杯……生きろ。

 その限りある命を、ただ、精一杯に」



 カインは、一歩退いた。

 ここまでだ……と、告げんばかりに。



 その後を追おうと、反射的に手を伸ばすナビアをなおも抑え――。

 ノアは拳を叩き付けるように、エレベーターの操作盤を押した。



「おじさん――っ!

 会えるよね? きっとまた……会えるよねっ!?」



「……ああ。いつか、きっと――な」



 起動を確認したエレベーターのドアが、ゆっくりと閉じ始める。


 その向こうでカインはいつもの、注意して見なければ――慣れていなくては分からない、優しい微笑みを浮かべた。



「ではな。――さらばだ」



 きびすを返すカイン。閉まりゆくドア。


 そのどちらをも引き止めるように――最後に、ノアは声を張り上げた。




「子供は――子供は、親の下から離れるものなんだ!


 親を想うから、親に想われるから――離れても変わらないと信じるから!

 だから離れる! 巣立つんだ!


 ――そうだろ、カイン――!!」




 ドアが閉じる。思わずそこへ張り付く二人。

 その視線の先、窓の向こう側で――。



 カインは、しっかりと、確かに……頷いてくれていた。



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