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【 罪殉 】


 ……起動したエレベーターが降下していくのを確かめると、カインはその場を後にした。



 ――行く当てなどない。

 そもそも、どこかへ行くほどの時間も残されていない。



 天咲茎ストークの緑地を歩き、小高く見晴らしの良い裏庭のような場所に出たところで……。

 ついに彼の両足は、ここまでだと言わんばかりに、大きな樹の傍らに力無く膝を突いた。



 ……足下には、花が供えられた小さな石があった。

 それは、子供が動物のために作った墓のように思えた。



 どちらにしろ、自分のような人間のついの地としては出来過ぎだと……カインは苦笑混じりに視線を上げる。



 彼方に上る太陽が、ちょうど真正面にあった。

 それは……彼の記憶に鮮烈に残る光景と、重なって見えた。


 ――最愛の妻を喪った日の、朝の光景と。




「……さっきもまた、嘘をついてしまった。

 私は……嘘つきだな。今も、昔も――」




 病で死に瀕した妻に、きっと元気になると言い続けていたことを思い出し――カインは自嘲気味に笑いかける。


 彼方の太陽――その向こうに思い描く、懐かしい妻へと。



 ……もう間もなく、この1000年、自分が囚われていた闇に再び呑まれることだろう。


 だがそれは、己の深い業に相応しい罰として、甘んじて受け入れたものだ。

 今さら恐れるはずもない。



 愛する娘の、穏やかな最期を思い――

 その魂が安らかであるのなら、と。


 彼女に連なる、すべての人の眠りが安らかであるのなら、と。



 愛する兄妹の、新たな門出を思い――

 その未来に希望があるのなら、と。


 彼らがその願いのままに、かけがえのない生を全う出来るのなら、と。



 自分の魂が罪を負い、その礎となれるのなら、これ以上喜ばしいことはない――と。


 永劫の責め苦も、永遠の孤独も――。

 すべてを受け入れるように、手を広げる。


 ……そのときだった。




「――いいえ。あなたは、嘘つきにはなれない人よ」




 ……それは、幻聴だったのかも知れない。


 しかし、耳朶を微かに揺らした、その懐かしい声に導かれるように――。

 もはや役割を終え、ろくに見えもしない目を、カインはもう一度見開いた。



 そこには――思い描いた通りの、妻の姿があった。



 黄金色の陽光を背に、娘と同じ慈母の微笑みを浮かべ……。


 彼に向かって手を差し伸べる、かつて愛し、今も愛する妻の姿が。



「……ああ……」



 それこそ、幻に違いないと思った。

 だが――それでも良かった。



 土塊つちくれへと還り、崩れゆくばかりの手を、彼は必死に伸ばした。

 そうして、意識が、身体が、光の中に溶けて消えるその最期の間際――。



 彼は指先に、確かなぬくもりが触れるのを感じた。


 光の先に、小さな白い鳩が飛び行くのを見た――。



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