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第4話 真実の愛だそうです(白目)

 はっきりと放たれた言葉に、決壊寸前だった涙が止まる。


(え? は?)


 音は聞こえたのに、なにを言われたのか理解ができなかった。

 耳から入ってきた音はしばし彼女の中で漂い、ゆっくりと意味ある言葉として浸透した。


「す、好きな人ができたってこと?」


 叫び出したい。気絶したい。

 でもそれをしてしまったら、もう話し合いの場すら与えられないかもしれない。

 荒れ狂う感情を押し殺して、感情的にならないよう自制する。

 成果を出した途端に配置換えを命じられた時や、ろくな支援もない状態で無謀な作戦を命じられた時よりも自制心を保つのが難しい。


「……ああ。その方への想いを抱えたまま、君と結婚することはできない」

「……。いったい誰なの?」


(婚約者がいる男を誘惑するとか、品性下劣なカス虫が!)


 公爵家の血筋であるノアは、幼い頃からしっかり教育されている。

 親に決められた結婚なんてと反骨精神旺盛なタイプではないし、誘惑に弱い質でもない。

 ならば彼からではなく、相手の女が卑怯な手を使ったに違いない。


 再起動したエレオノーラは、脳内で候補者をピックアップしようとしたが該当者はいなかった。

 天才魔導師にして公爵家の血筋。しかも見目麗しく、性格は至って穏やかで品行方正。

 戦前にノアに秋波を送る女は多かったが、これといって彼と親しい人間はいなかった。

 エレオノーラの目の届かないところで、という可能性はあるが、少なくとも社交界にはいない。


 彼女があずかり知らないところだと同僚の魔導師だが、これも可能性としては微妙だ。

 戦時中は男性魔導師は後方支援のために戦地へ、女性魔導師は王宮にて通常業務を行っていたので仲を深める機会はなかったはず。


 戦場で現地の女、もしくは従軍看護師と……という話はよく聞くが、ノアは魔導師だ。治療される側ではなくする側。


 レオナルドが見た限りではあるが、ノアに期間限定の恋人だの現地妻だのがいる様子はなかった。

 レオナルドとノアが同じ現場にいたのは、従軍期間のうちほんの一時だった。

 ノアはずっと拠点として配属された砦で勤務しており、最後だけランブイオ戦線に動員されたのだ。

 対するレオナルドは転々と配置換えを繰り返し、ノアがやってくる少し前にランブイオ戦線に移動になった。実は入隊初期に一度挨拶する機会があったが、お互いに名乗っただけなのでノーカウントでいいだろう。


「ご迷惑をかけるわけにはいかないので言えない。俺が一方的に懸想しているだけなんだ。俺の気持ちに気づいてすらいないと思う」


 なんだそれ。

 不貞関係にあるどころか、相手はなにも知らないらしい。


「私は片想いに負けるの?」


 現在、二人は二十一歳。

 婚約は家同士の契約。

 婚約者として十六年間を共にした情。

 それらが、ぽっと出の女への恋心に負けるなんて。


 怒りと屈辱。何より自分の存在は、そんなにも軽かったのかと悲しくなる。

 目の前が暗くなり、声が裏返る。


「……う、浮気したわけじゃないのね。なら大丈夫よ」


 感情を上滑りした言葉がこぼれ出る。

 怒るべきだ。責めたっていい。だが一縷の望みに縋るように、エレオノーラはぎこちない笑みを浮かべた。


「俺が大丈夫じゃないんだ。君とは結婚できない」

「どうして! 私たちには時間がある。今はその気になれなくても、これから一緒に過ごせば愛を育むことができるはずよ。私は気にしないわ!」

「すまない。でもどうしても無理なんだ。俺は生涯あの方だけを想うと決めた。君に限らず、誰とも結婚するつもりはない」

「そんな……」


 ノアと結婚するために、必死に頑張ってきた。

 文字通り死ぬ気で我武者羅にやってきた。

 そのすべてが無駄になる――?


「両親には近いうちに俺から話す。――親子の縁を切られるかもしれないが、覚悟の上だ」


(ああ、もうダメなのね)


 エレオノーラ・ヴァレリーという人間を形作っていた土台が崩壊した。

 水の中でたゆたうように、ノアの言葉をぼんやりと聞いた。


 思えばノアは物静かで、物わかりが良かったが、他人のいいなりになる性格ではなかった。

 むしろこうと決めたら周りが何を言ってもやり遂げる男だった。

 立場に相応しくない振る舞い、家の名に恥じることをよしとしないタイプなのに、婚約解消などと言い出した時点で、それだけ強い決意なのだと察するべきだった。


 考え直すまで縋り付きたい。

 どんな卑怯な手を使ってでも結婚したい。

 でも体が動かない。

 そんなことで彼の行動を変えることはできないとわかっているから。


 やる前からわかってしまうほど、彼女はノアを見てきたのだ。

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