ノアが去った部屋で、レオナルドは頭を抱えた。
かれこれ十分はこの体勢で過ごしている。
(どうしてこうなった……!)
もしもこの世に「神のいたずらで賞」とか「どうしてこうなった大賞」なんてものがあれば、堂々の1位に輝くだろう。
王宮でまことしやかに行われている男の格付けランキングで、1位を独占しているレオナルドは呻いた。
喉から漏れるのはまごうことなき男の声。女どころか男もたまに顔を赤らめるバリトンボイス。
(ノアと結婚するために努力した結果が、――え? なにこれ?)
公爵家には伏せた伯爵家の事情。それは借金だ。
伯爵家の領地には鉱山があり、それが主な収入だった。
単純に鉱石が利益になっただけではなく、鉱山で働く人々、彼らが住まう麓の町で働く人々、発掘に必要な道具の職人、流通に携わる人々……。
鉱山ひとつで多くの雇用が生まれ、領民は生活の糧を得る。それは納める税金にも直結していた。
鉱物というのは、掘った側から再生するような資源ではない。
大地が長い年月の末に溜め込んだ物質を、一方的に人間が頂戴しているのだ。
年々採掘量が減っていたので、先代のヴァレリー伯爵は閉山を見越した計画を立てていた。
娘には採算が捕れなくなるギリギリを見極めて閉山したと嘯いていたが、本当はかなりの損失を叩き出してから手放したとわかったのは、当主夫妻が不慮の事故で命を落としてから。
相続にあたり、エレオノーラが資産を整理しているときに発覚した。
事前に計画を立てていたので、領民のシフトは上手くいった。
不幸中の幸いとで言うべきか、領地に失業者があふれかえる事態は避けられた。
だが損失を賄うべく伯爵家の資産から補填した結果、引き続き領地を運営することはできるが伯爵家そのものはちょっとやそっとでは返せない負債を抱えることになった。
領地は安定しているので大災害でも起こらない限り十年もあれば元の状態に戻せる。が、問題はそんなに時間がかけられないことだ。
従来通りの領地経営で、表沙汰にせず返済するのは不可能。
借金の額を前に、エレオノーラは『今と同じように』実家の執務室で頭を抱えた。
相続拒否すれば借金を背負わなくて済む。
だが爵位も返上することになるので、貴族の婿養子になることを前提としたノアとの婚約は破談だ。――はい没。
借金を隠してノアと結婚するのは裏切りだ。
裏帳簿を作ってコツコツ返済することはできるが、配偶者であるノアにも返済義務が生じる。もし返済が滞ることがあれば、何も知らない彼が債権者に詰め寄られるのだ。
愛する人を嵌めるなんてできない。――はい没。
ならば正直に言ったらどうなるか。
ノアは一緒に頑張ろうと言ってくれるかもしれないが、彼の親は違うだろう。
息子が苦労するとわかっている縁談を許すわけがない。
ノアが親を説得して、婿に入ってくれるか? それは否。
彼は自分に求められる役目を理解している。
普通に婚約解消して終わりだろう。――はい没。
(どれもこれも没!!)
初恋の人と婚約できるなんて奇跡だ。
エレオノーラはなんとしてもノアと結婚したかった。
窮地に追い込まれた彼女は、新たな収入源を作って秘密裏に借金を返すことを決意した。
結婚前に完済してしまえばよかろうの精神だ。
とはいえ、ヴァレリー伯爵家の収入は領地からの税収と、盛大な置き土産をくれた廃鉱山くらいのもの。
エレオノーラが事業を始めたら、こっそり返済にはならない。
急な代替わりで落ち着かないはずなのに、新しく商売に手を出したら「のっぴきならない事情があります。ぶっちゃけ金に困っています」と言っているようなものだ。
誰かを代理に立たせるのが正解だが、関わる人間が増えるほど秘密を守るのは難しくなる。
エレオノーラが全幅の信頼を寄せる相手は、屋敷の使用人と数名の代官。
彼らの身分で、巨額の金を動かす商売をさせるのは論外。
エレオノーラがやるのと大差ないレベルで悪目立ちする。
そうして彼女が考えた苦肉の策が、架空の兄を作って『彼』に稼がせることだった。
*
ヴァレリー伯爵家の固有魔法。そこに魔導具を組み合わせることにより、彼女は性別の変換に成功した。
ヴァレリー伯爵家の庶子・レオナルドはこうして誕生したのだった。
庶子の存在は亡き父の名誉を傷つけることになるが、そもそも父が判断を誤らなければ借金を抱えることもなかった。死後の不名誉くらい甘んじて受けてもらいたい。
弟ではなく兄にしたのは、幼いと働けないからだ。
現在のリオルト王国の法律では、エレオノーラに兄ができたところで、彼女の権利は脅かされないというのも大きい。
新しく手に入れた男の体。
当主として突如現れた異母兄を伯爵家の一員として認めて、さあ金儲けするぞ!と意気込んだが、そうは問屋がおろさなかった。
マジで問屋が商品をおろさなかった。
先代当主が認知する前に亡くなったので、レオナルドの立場は確たるものではない。
外見は嫡子であるエレオノーラによく似ているし(当然)、固有魔法も受け継いでいる(当然)がそれだけ。
現当主であるエレオノーラが認めたところで、ぽっと出の胡散臭い存在だ。
エレオノーラ自身、若くして爵位を継いだということで、領内はともかく外部の商売人からすれば、どこまで信用していいのかはかりかねる状況だった。
大損してから「ヴァレリー女伯爵と一緒に騙されましたー!」なんてことになったら笑えない。
そんなわけで信用第一の商人達は、まともに取引してくれなかったので、エレオノーラは別の手段で金を稼ぐことにした。
出自が怪しかろうが関係ない。社会的地位を問わず金を稼げる場所――即ち戦場。
なんとエレオノーラは戦経験ゼロの貴族令嬢でありながら、剣を持って戦うことで借金を返済しようとした。
女伯爵として立つ予定だったので、護身術として剣術の嗜みはあったが実戦とは無縁。
実に無謀。無謀の極み。
エレオノーラから留守を任された上級使用人は当然反対した。
戦争というのは命の危険があるだけではない。他人の命を奪う場でもある。
勝負がついたらお終いの試合ではない。殺すか殺されるかの世界だ。
だが彼女の覚悟は揺るがなかった。
命がけの世界だからこそ、平民が叙勲されて貴族になれるほどのチャンスが戦場には転がっているのだ。
リスクと報酬は比例関係。
毎度のように「この戦いが終わったら結婚するんだ」と、フラグ以外のなにものでもないことを考えながら、彼女もとい彼は戦い続けたのだった。