リオルト王国は、決して好戦的な国ではない。
ここ数十年は精々国境付近で小競り合いが起きる程度で、最後に国を挙げての戦争が起きたのはエレオノーラの祖父の代。
内陸にある国のため四方を他国に囲まれているので気を抜くことはできないが、侵略戦争をふっかけてくる国もなかったので危機感が薄れていたのは否めない。
平穏な日々が続いていたので、防衛費は年々減少傾向にあり兵士の数も必要最低限となってきていた。
そんなさなかに寝耳に水のような事件が起こる。
隣国ベリタスのクーデターだ。
新たな国王は、かねてよりリオルトの東国境沿いにある鉱脈に目をつけていた。
長雨で住民が家に籠もったタイミングを狙い、人為的な地滑りを工作して復興支援と称して派兵。あっという間に一帯を占拠してしまった。
これを許してしまっては、国土を無条件で割譲してしまうことになる。
頼んでもいない支援だが、一応感謝の言葉と共に謝礼を渡してお引き取り願おうとしたが、ベリタス軍はのらりくらりと躱して居座り続けた。
終いには自国民を移住させはじめたではないか。
これにはリオルトも我慢の限界を超え、侵略行為だと激しく抗議した。
周辺国にも協力を求め、経済封鎖しようとしたが、もっと前から根回ししていたベリタスの方が上手だった。
奪われた領土を取り戻すだけだと最初は楽観視されていたベリタスとの戦いだが、一進一退を繰り返すうちにどんどん泥沼化していった。
使用人達の協力のもとエレオノーラは領地に戻り、屋敷内で仕事をしていることにした。
ヴァレリー伯爵家は宮廷貴族ではないので、夏の社交シーズン以外は領地に引きこもっていても何もおかしくない。
戦時中は社交界も自粛の方向に動くので、参加を見送っても怪しまれることはなかった。
そして本物はといえば、男として戦場で剣を振るった。
エレオノーラが手に入れた魔導具は、見た目そのままに性器だけを置換するものではない。
仮に彼女が男として生まれたらどうなっていたかを反映するものだ。
エレオノーラは女性の平均身長より頭一個分くらい背が高いので、レオナルドも男性の平均身長よりそれくらい高くなった。
女性の体だと目立たないが筋肉質な体質だったようで、レオナルドは最初からある程度筋肉がついた、いわゆる締まった体つきだった。
体格には恵まれたが、それだけでなんとかなるほど簡単な話ではない。
なにせ彼女が習っていたのは、非力な女性が逃げる隙を作るための剣術。
しかも「戦果あげられそうな場所へ配属よろしく!」と、エレオノーラがヴァレリー伯爵として一言添えたら謎の忖度が発動して、どう考えても武勲とは無縁そうな場所に飛ばされた。
当時のエレオノーラは十代後半。「小娘の言うことなんて聞くか」という嫌がらせかと思ったが、今ならわかる。あれはエレオノーラに気を遣っての行為だったのだと。
急に出てきた腹違いの兄をよろしく頼むと言われたら、相手はどう考えるか。十代後半だった小娘は、そこまで思い至らなかった。
リオルト軍では平民は歩兵から、貴族は小部隊の隊長からスタートする。
爵位が高いほど後方支援や、幹部候補として扱われて前線には出てこない。彼らが命を落とすと、偉い人たちが色々と困るからだ。
レオナルドの場合は、一応隊長職からのスタートだった。
任務はベリタス国境付近にある農村部の占拠。
がっちり武装した部下を率いて、無辜の民が住まう村を襲撃するという、簡単だが名誉とはほど遠い――ぶっちゃけローリスクの汚れ仕事だった。
*
言われた通りに働いたところで、借金返済の足しにはならない。
レオナルドは命令違反にならない範囲で上手く立ち回り、部下のみならず隣国の村人からの信頼まで勝ち取った。
端的に言えば、彼は「高潔な騎士」であることを部下に命じた。
占拠はするが、略奪も暴行もしない。
男手を奪われた村には、女子供と老人しかいなかった。
だから力仕事を手伝い、その見返りとして必要な分の食糧をわけてもらった。
村を捨てて逃げるのであれば、目的地まで護衛を買って出た。
情勢不安で野盗が急増すれば村を守った。
普通なら絶対にしないことを、レオナルドの部隊は行った。
人は誰かに何かをしてもらったら、同じように返そうとする習性がある。
そこに両者の特殊な関係も影響を与えた。
どんなに気さくでも敵国の兵士。その気になれば簡単に自分を殺せる。
監禁された被害者が犯人に好意的な感情を抱くように、村人たちは無意識にサバイバル術を発動させた――つまり危機的状況に順応しようとした。
国のためにひたすら畑を耕し続けたのに、当然な顔をして食糧だけじゃなくて人手も奪っていくベリタス。
力づくで奪うこともできるのに、村人相手でも礼儀正しいリオルト。
守ってくれて、助けてくれる。
祖国よりも隣国の方がよっぽどいい。
このまま占拠していてほしい。
騎士様、ずっとここにいてくれよ。
いっそのこと、そっちの国民になりたいなぁ。
この異常事態をエレオノーラがどこまで読んでいたか。
答えはすべてだ。
当主教育の一環に人心掌握術がある。万人を操れるわけではないが、ある程度なら人間の行動を誘導することが可能だ。
兵の数には限りがある。
常に警戒を続けることも、占拠した村にずっと兵を置くこともできない。
従来の方法だと滞在中に寝首をかかれたり、村を立ち去った後で反旗を翻されかねない。
だが好意を抱かせ、依存させて自ら従うようにすれば次の村に移動しても、前の村は支配されたままでいることを望むだろう。
高潔すぎると部下はついてこない。
エレオノーラは村に押し入る前に、部下たちにちゃんと意図を説明した。
ちなみに兵士たちに恋心を抱く娘が現れるのも織り込み済みだ。これもエレオノーラは「お前らはこんなところで満足するのか? ずいぶん安いな」と揶揄して釘をさした。
羊飼いになるのはいいが、相手に入れ込むのはいただけない。
自分たちはあくまでコントロールする側だ。羊を愛するあまり本分を忘れてもらっては困る。
お綺麗な顔でえげつないことを考える上司に、部下たちはこの人を侮ってはいけないと心に刻んだ。