出会ったときから、エレオノーラはノアが好きだった。いや、大好きだった。
雪のような白い肌、黒檀のような髪、血のような瞳。お伽噺に出てくるお姫様のような色を持っていたが、ノアはプリンセスではなくエレオノーラの王子様だった。
好きに理由なんていらない、恋は落ちるものというが、初めて顔を合わせた瞬間、エレオノーラの胸の奥に決して消えない炎が宿った。
同じ空間にいるだけで心が浮き立ち、見つめられると恥ずかしさと喜びが身体を駆け巡る。
単なる挨拶だろうと言葉を交わすだけで満たされる。
ノアは同じ歳なのに大人びていて、いつもエレオノーラをさり気なく助けてくれた。
舞い上がったエレオノーラが失敗してしまうと、さり気なくフォローしてくれる。
どんな話にも耳を傾けてくれた。
親に窘められるくらい頻繁に手紙を送っても、日をあけずに律儀に返してくれた。
質問されたらはぐらかすことなく答え、嘘はつかない。
どれも普通のことだと言われるかもしれないが、それを行える人間は少ない。
人は誰しも自分のことで精一杯で、余裕のある時にしか他人を気遣うことはできない。
甘い言葉も、ドキドキするようなスキンシップも欲しくないと言ったら嘘になるけれど、ノアが望まないなら要らない。
どんな時もエレオノーラを受け止めてくれる、それだけで充分だった。
だから今度はエレオノーラが彼を受け止める番だ。
「殿下。私は男として責任を取ろうと思います」
「は?」
翌日。レオナルドとして出勤したエレオノーラは、カルロの前で宣言した。
「婚約解消後にエレオノーラは修道院に行ったことにして、兄であるレオナルドがノアを娶り「待て待て待て! エレオノーラとして頑張るために、週末にノアの好みを聞き出しに行ったんだろ。なのにどうしてそうなるんだ!」」
バンバンと机を叩いて問いただされたので、エレオノーラは先日の一部始終を報告した。
「使用人たちもわかってくれました」
「おいっ。俺の知らないところで話を進めるな! それにお前この国の法律忘れたのか! 我が国は同性婚を認めてないぞ!」
「ノアは身分を捨てる覚悟をしているのですから、法的に認められなくても構わないでしょう。それにこの世には事実婚というものがあります」
「思い切りが良すぎるっ!」
世間の目だとか他人の反応なんてどうでもいい。
大切なのはノアだ。
「ノアと結婚できるなら、レオナルドでもエレオノーラでも構いません!」
つい己の欲が混じってしまった。
「それが本音か! エレオノーラとしてノアを落とすのは諦めたのか!?」
「レオナルドにしか欲情しないみたいなので、エレオノーラじゃ無理ですっ!!」
悔しいが、レオナルドとエレオノーラではノアの反応が雲泥の差だった。
ここ数年はデコルテを見せるデザインが流行なので、エレオノーラも鎖骨を出したドレスを着ることが多いがノアが反応したことはなかった。
それに比べてレオナルドときたら。
開放的なドレスに慣れた身では、首元が詰まった軍服は窮屈極まりない。
息苦しくなるのでついボタンを外してしまうのだが、その程度のことであんな風に頬を染めてもらえるならいくらでもやってやる。
第三ボタンくらいまでなら、やっても怒られないだろう。第四までいくと谷間全開になってしまうので露出狂扱いになりそうだ。
(いや、でも男だし許されるか?)
「あああああっ! ぶっちゃけ嫌な予感がしていたが、こんな期待を裏切らない結果にならなくてもいいだろうが……」
「ふむ。もしかしてキッカケがレオナルド様だっただけで、元々恋愛対象が男性だったのかもしれませんね」
「やっぱりそう思います?」
頭を抱えるカルロを差し置いて、エレオノーラはエミリオと言葉を交わした。
女が対象外だったことに嘆くよりも、男が対象だったことに活路を見いだす方がよほど有意義だ。
このあたりの切り替えの早さが、貴族令嬢としてかわいげが無いと言われる所以であり、その一方で為政者や軍人として評価される理由である。
「実はうちのメイドが参考資料を用意してくれたんですが、その中に興味深いものがありまして」
「というと?」
「第二の性がある世界で、男同士でも妊娠可能という設定の小説です」
他にも生まれつき支配欲と、非支配欲という性質を持った世界なんてものもあった。
「……エレオノーラ様。私はそちらの界隈には詳しくないのですが、それはかなり玄人向けなのでは?」
「ああ、マニアックすぎる。参考資料ってどうせ恋愛小説の主人公が男同士になってるやつだろ。普通の男女のやつと性別が変わるだけじゃないのか?」
エミリオに続いて、カルロも困惑の表情を浮かべた。
「私もそう思ったんですが、メイド曰く現在では主流の設定だそうです」
「……もしかしたら、貴族の読者を意識した結果かもしれませんね」
「どういうことだ、エミリオ」
「貴族は婚姻による繋がりの強化と、次代に家を繋ぐのが一番重要な責務です。それなりの家格の者でなければ、娯楽小説を楽しむ余裕などないでしょう。通常の男同士の物語では、素直に楽しめない方も多いのではないでしょうか」
養子を迎えるという方法があるものの、義務を放棄しているように感じる者もいるだろう。
不倫ものと同じだ。
どんな演出をしようと、その辺りを冷静に見てしまう読者は、主人公たちの道義に反した行動にモヤモヤするのだ。
特に貴族令嬢は、家の為に嫁ぐ身の上だ。
自分ができないことを登場人物がやってくれて面白いではなく、自分は好いてもない相手に嫁がなければいけないのに、物語の中の彼らはなんて身勝手なのだとなってしまうのかもしれない。
「なるほど、物語に没頭できるよう問題点を排除したというわけか。しかしそれって同性でも問題ない世界ってことだよな。オープンすぎるというか、同性愛特有の背徳感などの魅力が薄れるんじゃないか?」
読んだことがないくせに、いっぱしに魅力を語るカルロ。
同性愛、年の差、身分差……。そういったものをテーマにしている作品にとって、葛藤というのは物語を盛り上げるための大切な要素ではないのか。
「そういった禁断の関係を好む人向けに、従来のものも残っているんでしょう」
「だからあくまで主流なんだな」
エミリオの言葉に、カルロは納得したように頷いた。
「お二人ともよろしいでしょうか。私が興味深いと感じたのは、男でも出産可能という点です」
「そんなの技術的に不可能だろ」
医療も魔法も日々発展しているが、そんな事例は聞いたことがない。
「いえ、可能です。私なら体の一部分を除いて性別を変換することができます」
「それって、つまり……」
「下半身の一部を女のままにすれば、レオナルドの姿で「止めろ想像させるなっっ!!!!!!」」
うっかり想像してしまい、カルロは鳥肌を立てた。
「部屋を暗くすれば誤魔化せそうだし、遠征をでっち上げて極秘出産すればヴァレリー伯爵家の血は残せます。エレオノーラが産んだ子供ということにして爵位はその子に。後見人として、レオナルドが養父になれば良いのではと考えたんですが」
「子供の気持ちを考えろ! 成長したその子が、養父が原因で母親が婚約者に捨てられたと知ったら頭おかしくなるだろ!!!!」
「あっ――!」
「自分が捨てた女の子供を育てるなんて、ノア様だって複雑ですよ」
「すっ、すみません。妙案を思いついたと視野が狭くなっていました」
二人の指摘はもっともだ。
「まあ、エレオノーラ様も貴族のご令嬢ですからね。何だかんだで、やはりお家のことは気になるのでしょう」
「それでノアや子供の気持ちを蔑ろにしていては本末転倒です。私が優先したいのはあくまでノアの幸せなんですから」
しゅんとするエレオノーラに、エミリオは「そもそもポジションが逆だったら、成立しない話ですよ」と言った。
「ポジション?」
「ノア様はレオナルド様に抱かれたいと思っているのか、抱きたいと思っているのか。男色家にとってポジションは重要な問題です。相手を探す際には先ずどちらの嗜好かでふるいにかけるくらい、譲れない条件らしいですよ」
「なるほど」
「相手に合わせる派もいるらしいですが、ごく少数かと」
奥が深い世界だ。業が深いとも言えるかもしれない。
「騎士団は男所帯なので、それなりに知識はあります。ノアに確認を取ります」
受け手の方が、攻め手よりも体に負担がかかるらしい。ならば頑丈な方が受け手になるのが平和な気がする。
ノアとレオナルドだったら、レオナルドの方が屈強だ。
女であるエレオノーラはノアに抱かれるつもりだったので、抵抗はない。
だが先日のノアは、顔を赤らめて乙女のような表情をしていた。
告白してきたときもそうだが、ノアはレオナルドに攻められたいのかもしれない。