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第15話 それが問題だ

 抱きたいのか。抱かれたいのか。


 どうやって確認すべきか、エレオノーラは真剣に考えた。


 世間話のノリで軽く聞いてみる?

 いや、職場で上司がそんなこと質問するなんてセクハラ以外のなにものでもない。


 では飲みに誘って、酒の席での冗談として?

 ノアは下戸だ。そしてエレオノーラはザルを通り越してワク。

 体質的に酒を受け付けないので、ノアは一滴も飲むことができない。

 酒が飲めない人間を、飲みに誘う時点でパワハラだ。


 エレオノーラは、皿のそばに置かれたグラスを見つめた。

 中身は水ではない。ほんのりと黄みを帯びた色をしている液体の正体は、白ワインだ。

 独身男性も多い騎士団では、大規模な飲み会が頻繁に行われるが、レオナルドが酒にめっぽう強いことは有名だ。

 ノアを酔わせることはもちろん、自分が酔ったふりをして聞くこともできない。


「団長?」


 補佐官となったエリヤに声をかけられて、エレオノーラは我に返った。

 ランチミーティング中だというのに、つい物思いにふけってしまった。


「あのっ、なにか問題でもあったのでしょうか?」

「すまない、少し考えごとをしていた」


 エリヤとはノルド砦からの付き合いである。

 設定だけのレオナルドとは違い、エリヤは本物の貴族の庶子だ。


 本妻の嫌がらせで一兵卒として戦場に放り込まれ、男にしては可愛らしい容姿の所為で苦労していた。

 実家では使用人のようにこき使われており、満足な食事も休養も与えられていなかったので、出会ったときは女であるエレオノーラよりも華奢だった。

 後ろ盾もなければ、邪な考えを抱く輩をコテンパンにするような腕力もない。

 年下の少年を保護するような気持ちで、レオナルドは彼を従騎士に任命した。


 年若い者を従騎士にして自分の世話をさせつつ面倒を見る風習は、最近では廃れつつあるがまだ残っている。

 おかげで各所への転属に付き合わせることになったが、若くして騎士団本部の補佐官となれたのだから裏技で出世したようなものだ。

 だがこの裏技は主従セットであることが条件なので、レオナルドが失脚したらエリヤも一兵卒に逆戻りだ。

 レオナルドを消す予定だったときは、信頼できる人物にエリヤを托そうと考えていたが、続投するなら今のままでいいだろう。


「目下の心配事と申しますと、もしや叙勲式のことでしょうか?」

「え? あ、ああ。そんなところだ」


(そういえば、そんなものもあったな)


 王都への凱旋時に戦勝祝賀会があったが、あれは通常の夜会とは違う。

 生還した兵士全員が対象となる大規模な式典で、凱旋パレードのゴールである王宮で数名の代表が、主立った貴族の集まるホールで王に対して帰還の挨拶をして終了だった。

 そう考えれば、叙勲式はレオナルドとして参加する初めての正式な夜会だ。

 騎士団長就任にあたり先んじて爵位を得たが、次の夜会では改めてこの度の戦争の功労者として勲章が授与される。

 レオナルドのみならず、戦時中に著しい功績をあげた人物が表彰される予定だ。


「団長は初めて夜会へ出席されるんですよね」

「そうだな」


 エレオノーラの姿であれば何度も参加しているが、レオナルドとしては初めてだ。


「団長のお力になれたらよかったのですが、自分は生憎そういった場に参加できる身分ではなかったもので……」


 しゅんとする姿は子犬のようだ。

 数年のうちに身長も伸びて骨格も男らしくなったが、昔を知っているからか犬ではなく子犬をイメージしてしまう。


「気にするな。何とかなるさ」


 父親の爵位は高いが、愛人の子として正式な場に連れて行かれるどころか碌な教育を受けてこなかったので、エリヤに社交界の知識や経験はない。

 彼が今こうして騎士団本部で働けているのは、レオナルドのおかげだ。恩返ししたいのに、なにも持っていない我が身が口惜しい。


「うーん。団長と異母妹殿の仲は悪くないのでしょう? まだ年若いですが彼女はしっかりしておりますし、その辺も抜かりないのではぁ?」


 斜め向かいに座る魔術師長が、のんびりと言った。

 レオナルドの後ろにエリヤが控えているように、魔術師長の後ろにはノアがいる。


 この場は騎士団における各部署の代表が、月の報告をまとめて行う場なので、公爵家の人間で実力が抜きん出ていたとしてもノアに席はない。

 魔術師長が補佐官ではなくノアを連れてきたのは、いずれその地位を引き継ぐことになるので早めにどんな場か見せておこうという考えだろう。


「いや、それがそうでもないのです」

「と、いいますとぉ?」

「戦時中はなにが起きるかわからないので、伯爵家は大規模な遺品整理をして備えていたらしいのです」


 嘘だ。

 借入額が大きければ、利子も高額になる。

 少しでも返済額を減らそうと、売れるものを全て売っただけだ。母の遺品に紛れさせて、エレオノーラの私物もかなり処分したので、年頃の娘の部屋としては物が少ない部屋に住んでいる。


「賢明な判断だが、思い出の品もあるでしょうに。ご両親が亡くなった直後だというのに、あの年齢でそこまで思い切れるとは、いやはや頭が下がりますな。うちの息子に同じ真似ができるとは思えません」


 当主としては優秀だが、少々可愛げがない。

 エレオノーラの隣に座っていた補給隊長が苦笑いした。


「先代とは体格が違うので礼装は一から仕立てましたが、問題は小物ですね。どうしても手放せない物を除いて売ってしまったので、代々受け継いでいる品というのが無い状態です」

「あぁ、それは困りましたな」


 正確には『今の』レオナルドが身につけられる、カフスボタンなどの小物がない。

『どうしても手放せない物』というのは家宝であり、単に高価なだけではなく、売却できないほどの曰くがある物だ。たとえ国の式典だろうと、おいそれと家の外には出せない。

 エレオノーラの父が普段使いしていた小物は、全部処分してしまったので家にあるものでなんとかするのは不可能だ。


「女は流行を取り入れれば良いが、男はその辺りが難しいですからな。代々受け継いでいる物があれば楽なんだが、団長殿の場合は都度買わなければいけないわけですか」


 紳士服は、流行廃りが婦人服ほど激しくない。

 そして買い直す機会が少ない分、単価が高い。

 そして流行はないが、格はある。

 年齢と地位に相応しい物を身につけるのが常識だ。

 レオナルドの立場だと安物は許されない。だからといって、一生物の超高級品を一式揃えてずっと使い続けるのも駄目だ。年齢と共にランクアップさせなければいけない。


 代々の当主が買い足した品が残っていれば、手持ちを組み合わせてなんとかできたが、当時はこんなことになるなんて思わなかった。

 ヴァレリー伯爵家に男児はいなかったし、ノアは公爵家子息として必要な物は個人的に持っている。

 戦時中の備えという大義名分があったので、思い切って処分したのだがやりすぎてしまった。


「戦後の復興は順調だが、贅沢品の価格はいまだ落ち着かない。相当な額が飛ぶだろうな」


 戦前に比べると、馬鹿みたいに価格が高騰している。

 ニヤニヤと口元を歪めるのは、近衛隊長だ。


 武力だけではなく、血筋や外見も重要視される近衛騎士。

 生粋のエリートである彼は、たった数年活躍しただけで騎士団のトップに躍り出たレオナルドが気に食わなかった。


「必要経費だ。仕方ない」


 軍での立場はレオナルドが頂点で、その下に各部隊が存在する。

 親子ほど歳が離れていたとしても、上司であるレオナルドに敬語を使うのが暗黙のルールだが、近衛騎士隊の人間だけは知っていながら無視している。

 年配者への敬意を示して、レオナルドは年上の隊長格には敬語で話すようにしているが、近衛騎士隊長は三十路とそこまで歳が離れていないこともありお互いにタメ口だ。

 親しみを込めてではなく、気を遣う必要の無い相手認定したからである。


(懐に余裕がない状況で、高額の買い物。しかも男物)


 考えただけで憂鬱になる。

 適当に話を合わせただけだが、それなりに深刻な問題だ。いくらかかるか考えたくもない。


「……エリヤ。お前もこの先は色々と必要になってくるだろう。私のお下がりでよければいるか?」

「光栄です!!」


 終戦後は、今の平和な状態を維持するための仕事が増える。

 レオナルドの公式行事への参加が増えれば、補佐官にもフォーマルな装いが求められる場が出てくるだろう。

 エリヤは実家に居場所がなくて、ひとり暮らしをしているくらいだ。

 家の支援をあてにできないので、正装するなら自力で用意しなければいけないのだが、エレオノーラすら胃が痛くなる出費を、給料だけでなんとかしろというのは酷だ。


 今の年齢を考慮して買った物は、数年経てば使えなくなる。

 男としてノアと生きるのであれば、いずれ子供に譲ることを考える必要は無い。後生大事に持っていても意味はないので、エリヤにあげてしまった方が有意義だろう。


(他の人間だったら、こうも気前よくはいかないわよ。節約できてよかったわね)


 騎士団長の補佐官とはいっても、基本給はあまり高くない。多少の手当がついているだけだ。

 エリヤの給料だと、タイピン1つで月収2ヶ月分以上が消えるだろう。

 エレオノーラは、顔を輝かせて即答したエリヤを見て微笑ましく思った。

 存在しない尻尾を千切れんばかりに振っているのが見える。

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