私は皇太子の側から逃れたくて、ジュリウス様と船室に入った。
「行き先を変更するか」
ジュリウス様は地図を片手にそんな事を言ってくれる。まだ新婚旅行を続行してくれるつもりらしい。
「帰ってもいいです……」
「落ち込み過ぎだ」
「私が愚かだったので皇太子に目をつけられて……」
あそこで……デビュタントで本気だして歌ったりしたから。
「どうしても目障りなら殺せばいい」
サラリととんでもない事を言う、彼の瞳は驚くべきことに欠片も揺らいでいない。
「そ、それはクーデターでは?」
「俺がやれないと思うか?」
「戦いは人が…沢山死ぬことになります、こちらの騎士の皆様にも迷惑がかかります」
「いざと言う時は自分が生き延びることだけ考えろ」
「……なるべく平和にいきましょう」
「我が妻は欲が薄く、欲がないことだな」
……不思議な気がする。
雪崩で死ぬかもしれないって、平民の心配をできる人なのに。
まるで人格が二つあるみたいに感じる……。
そもそも彼の一人称は「俺」だったろうか?
人前ではないと、身内だけになると、もしかして俺になるのかしら?
彼は、時々人ならざる者のような雰囲気になる。
これが竜血の者の性質なのだろうか?
けれど、ひとまず今考えるべきことはだいなしにされた新婚旅行をどうするか……よね。
「観光地以外のところなら、もう皇太子とも会わないかもしれません、逆に何にもないところとか」
「そんな所に新婚旅行に行って楽しいのか?」
「何処に行くかより……誰と共に過ごすかが重要かと」
「そうか、軽食をもらってくる」
「……行ってらっしゃいませ」
そう言ってジュリウス様は少しだけ船室を出た。扉の外には護衛騎士が立っているから、流石に他人が乱入してきたりはしないだろう。
私はベッドの上で白いブランケットをかぶって丸くなった。
しばらくした後、ジュリウス様が軽食を持って来てくれた。
「どうした? 夏に雪うさぎみたいになって」
そしてジュリウス様にブランケットをはぎ取られた。引きこもり作戦は秒で終わった。
「砂糖とピーナッツ、バナナ、生姜をペーストしたものをクラッカーに挟んだ菓子らしい、そしてこちらはそのままオレンジだ」
トレイに載せたスイーツとオレンジが目の前に置かれた。
「美味し……そうですね」
「聞くだけで甘そうだが、そなたは好きかもしれないと思ってな」
せっかく私の為に……持って来てくださったし、今はあまり食欲がないけれど……食べてみよう。
「……美味しいです」
「そうか」
ジュリウス様は甘いスイーツはスルーして、オレンジを手にし、彼が皮を剥いた瞬間、爽やかな柑橘系の香りが弾けた。
「いざとなったら、皇家を滅ぼしてやるから、そう落ち込むな」
「……そんな励まし方ができる方と結婚出来たなんて……私は……たいしたものですね」
「クズばかりだからむしろいたるところから感謝されそうだ」
彼は冗談めいた言い方をしつつも、決意を感じさせる目をしていた。ただの契約結婚なのに、まるで全力で守ると言われてるかのよう。
「あなたは、とてもお強いのですね」
私は布巾で手を拭いて、水を一口飲んだ。
「だから私を夫にと望んだんだろう?」
「……それは、そうですね」
確かに皇家にも負けない神秘的な力をお持ちだし……カダフィード公爵家は武力もあるし。
「気分転換が必要だな」
そう言ったジュリウス様がベッドの上に置いていたトレイをよけて、テーブルに移動させた後に、急に私の手を掴んだ。
「え?」
そして手の甲と、手のひらと、手首にキスを落としていく。
この遊覧船が、どのくらい海を回遊するのか、私はよく知らない。そして今私はベッドの上にいる。
……まさか、その気分転換というのは……、
私の腰を引き寄せて今度は唇にキスをした。
その口づけは深くて、オレンジの味が残っていた。
「やはり甘いな……」
と、言って笑う、私の旦那様。
「少し、声を抑えていろ……」
彼の低い声と熱い吐息が首筋をくすぐり、鼓動が跳ねた。
波が船室を揺らし、私は目眩に似た感覚の中で全身を揺さぶられ、彼の事以外、何も考えられなくなった。
……それは、初夜から数えてニ回目の、営みだった。
──夕陽の黄金色が、この海に満ちる頃。