秋の終わりの頃には、狩猟大会に向けて私はリボンに刺繍を入れていた。
お守り代わりに腕などに巻くリボンを贈る風習があるからだ。
人によってはハンカチに刺繍する。
私は巻きやすいように、リボンに刺繍を入れた。家紋である竜の紋章を。
「お上手ですね、奥様」
「ありがとう、オリエッタ」
刺繍の腕を褒めてくれたのはジュリウス様の乳母だった人、オリエッタだ。
「ジュリウス坊ちゃま、いえ、旦那様もお喜びでしょう」
そ、そうかしら? ホントに? こんな刺繍ごときで喜んでくださるのかしら?
「と、ところでオリエッタは体調を鑑みて冬には実家に戻るのよね? 欲しいお土産があるなら言ってみて、用意できそうな物なら手配するから」
「いいえ、今年は奥様がおられますし、あの何にも興味が無さそうな坊ちゃまがご結婚なされて、大変喜ばしいので、冬でもこちらで仕えさせていただくつもりです」
「何にも興味がなさそうだった?」
「さようです、記念日に欲しいものを聞いても特にないとおっしゃっておられて」
「……」
昔から側にいた人の証言だから、そうなのかもしれない……。
よく契約結婚の件は説得できたと、我ながら思う。
◆ ◆ ◆
そして、来る冬の狩猟大会。
吐く息も白く、森の木々も重そうな雪を被っている。
そんな中でもレディにいいところを見せようと、男性陣は意気込んでいる。ハンカチやリボンを受け取る姿があちこちで散見される。
皇太子は公爵令嬢などからリボンやハンカチを受け取っていたことに、私は少し安堵した。
そして当然私はジュリウス様の腕に刺繍入りのリボンを巻いた。
「ありがとう、大きな獲物を狩ってくる」
そう言うジュリウス様の眼差しが、随分慈しみを感じるので、私は……驚いていた。
「ぶ、無事で戻ってくだされば、私的には優勝など、どうでもいいいいです」
「相変わらず欲のない」
ジュリウス様は少し笑って森の奥に入って行った。
男性達が狩りにでている間は、レディはそれぞれ待機用の天幕で待つ。そこには守護結界の石が設置されていて、基本的には安全。
不細工メイクをしてきた私は、他のレディ達との歓談などできようはずもないし、とにかく寒いので天幕に引きこもり、本など読みながらジュリウス様の狩りが終わるのを待っていた。
しばらくするとカラスのような鳥のけたたましい鳴き声の他に、人の騒ぐ声が聞こえて、私は何が起こったのかと、天幕の外に出た。
「危ない! 上だ! カナリア!」
!? 危険を知らせる声に反応して思わず空を見上げたら、魔物がいた!
「きゃあっ!!」
「ダーレン皇太子殿下!」
私が悲鳴を上げ、そして騎士が叫ぶと、皇太子が高く飛んだ。
「はっ!!」
皇太子が飛行型の魔物を斬り伏せた。
だけどそのせいで私はそのまま鳥型の魔物の帰り血を盛大に浴びてしまった。 グレーのドレスが血に染まる。
「大丈夫か? カナリア」
「は、はい、お助けくださってありがとうございます、でも私はカナリアではございません」
何がおかしい……レディの天幕付近は守り石の結界があるはずなのに、魔物が来るなんて……。
誰かが意図的に守り石を外したのでは?
と、周囲をキョロキョロと見回していたけど、
「……セシーリア、体を洗って着替えてくるといい、血なまぐさいままでいると、魔物が寄ってくる」
と、皇太子に声をかけられた。カナリア呼びを封じたら今度は厚かましくファーストネームで呼びだした……。
なんなのこの男は……これだから皇族は……。
「はい……着替えて参りますので、御前を失礼します」
確かに皇太子の言う通り、このままでは血の匂いで余計なものを呼び寄せる。
メイドが天幕の中で着替えと湯の準備をしてくれていた。
「奥様、こちらに着替えと湯を用意します」
タライの中には湯が張られ、温かな湯気がたっていた。
おそらくは水の中に火の魔石を投入して作ったものだろう。湯の中に赤い石が見えるから。
早急に血を流すために、私は軽く湯を浸かって体を洗った。
その際、やはり顔の不細工メイクは落ちてしまった。
タオル代わりの布で急いで体を拭いて、下着を身につけた。
シュミーズ姿になって、ドレスに手をかけた瞬間、また悲鳴が響いた。
次にごうっと強い風の音がして、天幕の上が薙ぎ払われ、天井がふき飛んだ!!
「カマイタチだ!! 気をつけろ!」
騎士の叫ぶ声が聴こえた。
なんですって!? 鳥の魔物の次はカマイタチ!! 異世界にもいるの!?
つまり、風の刃で天幕の上を斬った!?
私の天幕は離れの端っこにあるとはいえ、天幕の上が薙ぎ払われるなんて!
私はまだ着替えの途中なのに!
「セシーリア!!」
ジュリウス様の声が聞こえた!
「旦那様!」
「セシーリア! 伏せろ!」
「はい!!」
ジュリウス様の斬撃でカマイタチと呼ばれるイタチの魔物は一撃で倒された。
「……カナリア……」
嫌な予感がした。
ジュリウス様が駆けつけてくれたけど、私は、見られてしまった……!!
素顔を、皇太子に!!
まだ近くにいたんだ、この人……。
ジュリウス様が急いで頭から毛皮のコートを被せてくれた。でも……、
「なんて美しいんだ……その緑の瞳も……何もかも……」
被せてくれたけど、遅かった……皇太子にしっかりと素顔を見られてしまった……。
何より、私を見るあの目が、私にかつて執着していた前世の皇帝にそっくりで、寒気がする。
私は思わず唇を噛んでしまい、口の中に血の味が広がった。
カダフィードの方達ともだいぶ馴染んできて、今までかなりうまく言っていたのに、また嫌な運命のルートに引きずり込まれて来たようだった。
「着替え途中の人妻を見ないでください。私の妻です。」
ジュリウス様が剣呑な表情で皇太子と対峙している。私を守る為に……。不安が込み上げる。
相手は腐っても最高権力者たる皇族だから。
「ああ、すまなかったな、思わず……心配でな」
皇太子に心配される筋合いはないのに……。
私は震える手で体を包む毛皮を必死で握っていた。
「妻をすぐに私の天幕に移動させろ! それと、殿下は今見たことは、全て忘れてください」
「天使を見たのに無理を言うなよ、竜血よ」
「妻は人間だ」
ジュリウス様が睨みつつそう言い放っても、瞳に狂気じみた炎を宿した皇太子には響いていないようだった。
私はジュリウス様の天幕に移動した。
「セシーリア、唇を噛むな」
私の顔を見て、彼は何故か切なそうな顔をしていた。
「す、すみません、ほぼ無意識に……」
「噛むなら俺を噛め」
「!?」
「遅れてすまない……おそらくは天幕側の結界石がすり替えられていた、何者かの手によって」
「………!」
飛行型の魔物も、カマイタチも、すり替えられた結界石も……全てが罠だったのかもしれない……。
その犯人は……おそらくは……私に執着し、狩りの最中なのに私の天幕の側に何故かいた、あの男………。
ダーレン皇太子……!!