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第69話 月の美しい夜に

 我々は春の嵐のような強風と曇天の中、皇家主催の春の社交パーティーからさっさと帰還し、今は皇都のタウンハウスの私の寝室に戻った。 


 するとしばらくして、夜中だというのに旦那様が軽食を手にわざわざ訪ねて来て下さった。

 トレイにはフルーツとナッツとチーズの他にはカナッペなどがのっていて、美味しそう。


 パーティーでは豪華な料理も沢山並んでいたけど、そう言えば食べてなかったので、私達は二人でテーブルを囲んだ。




「帝都近辺に教会が一つ欲しいだと?」



 ジュリウス様は軽食をつまみつつも、私の突拍子もない願いに面食らう。



「古い、うち捨てられた神殿か教会を綺麗にして使うのでも良いのですが」



 リノベーションをして、再利用しようという魂胆。



「何の為に? まさか個人のお祈りの場が欲しい訳ではないだろうな?」 


「巫女に扮装し、懺悔室で反皇帝派の貴族との密会の場にしようかと思いまして」

「それで……まさかの懺悔室か……。密談は商談の場だけは足りぬか」


「もしもの時の連絡、合流場所にもなるかと……神殿や教会ならポータル、転移装置の設置も可能ですし、通う貴族の懺悔を聞きつつ、どれだけ今の皇家に不満があるかも分かるでしょうし」



「分かった、手配しよう。ところで……あの皇家から届いたセシーリア宛の贈り物はどうする?」



 私の旦那様は不機嫌そうに眉毛をよせた。そこに軽い嫉妬のようなものを感じて、私の胸が騒いだ。



「あの白いドレスですね、ワインでも零してから燃やしてやろうかとも思いましたが、布に罪はありませんし、素材がいいのでいっそ売って資金にしようかと」


「そのまま店に流せばバレるだろう」



 なるほど、足がつくってことね。



「では、染色したり、リメイクを施しますか」

「そうまでして……」

「お金は多いにこしたことは有りません」

「そうか、好きにしろ」



「はい、ありがとうございます」

「そもそもそなたが貰ったものだ」

「宝石などの装飾品の方は奴らを倒した後に目立った活躍をされた方の褒賞として差し上げればよろしいでしょう」


「ああ、ところで……咳はしずまったようだな?」

「そうです……ね、こちらの土地は暖かいので……」



 ジュリウス様は私の様子を見た後に、ベッドに視線を移した。

 ……えっと、つまりはそういう、夜の営みは出来るかという、確認?




「そうか、なら大丈夫なんだな?」

「は、はい」



 初めてでもないのに、まるで生娘のように、まだ心臓がバクバクしてしまう。



「ところでセシーリア、あの例の短剣、少し預けて貰えないか? 追加機能を取り付けたくてな」



 今からベッドに行くかと思っていたら、急に意外な言葉をかけられた。竜谷の洞窟でサバイバルを覚悟して選んだ、あの短剣よね。




「追加機能ですか?」

「防御魔法を付与したりする」



 私を心配して下さっているのね。



「ええ、分かりました」



 私はお風呂の前に太ももの装備を外し、机の引き出しに入れておいたので、それを手渡した。



「それと、これはそなた発案の商品を売る為の財団設立用の書類だ、サインをしてくれ」


 彼の上着の中から、筒状のものがでてきた。


「財団……」

「私に万が一のことがあった時、やはり金や仕事があった方がその後、生きやすいだろう」


「あなたに万が一……だなんて、そんな不吉な」



 不測の事態や、万が一に備え、私の資産や居場所を作ってくれようとして下さろうとしている……。

戦争では何があるか分からない。それはそうだけど……。



「そなたが契約結婚を望んだ動機、最初の願いは生き残ること……そうだったろう? それを最優先にせよ」

「何故……です……か?」



 声が……震える。



 今は過去の、大昔の記憶持ちのヒューゴ様ではなく、ジュリウス様だと思えるから。

 何故そこまで私の事を心配してくださるの?




「何故だと? それはもはや私の願いでもあるからだ」



 ジュリウス様はあの短剣を手にしたまま目を伏せ、微笑んだ後に、椅子から立ちあがった。



 そしてそのままベッドには行かず、ナイフを手にしたまま寝室から出ようとなさったので、私は慌てて追いかけ、彼の服の裾を掴んだ。 



「どうした?」

「せ、咳は……おさまりましたので……」

「ああ?」

「今夜は……だ、大丈夫です、私は!」




 この人の……想いも身体も、全てを手に入れたいと願ったのは、私にとっては初めてのことかもしれない。

 いつの間にか私の中で育った感情が、契約なんかもはや関係なく、彼を求めていたのだ。



 私を見つめる彼の綺麗な金色の瞳が揺れた。

 その後に、彼は少し微笑んでから短剣をサイドテーブルに置いて、私を抱きしめてくれた。



 窓の外の天気が、いつの間にか変わっていた、黒く厚い雲に覆われていたと思ったのに、いつの間にか……雲が流れ、夜の月が美しく輝いていた。



「月が……綺麗だな」




 瞬間、夏目漱石の例の文章の、死んでもいいわ。の、返しが脳裏に浮かんだ。


 私は彼の腕の中でしばらくその事を考えていた。日本の小説家の文章のことなど、異世界の彼が知るはずもないのに……。




















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