目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第72話 皇后と不吉な塔

 ───時は流れた。

 春から夏、そして秋も終わり、その冬には不吉な気配がバルテン帝国中に満ちていた。


 創建であったはずのアルダノフ皇帝が公式行事に顔を出さなくなってきた事が一番大きい理由の一つだ。

 後は世間で囁かれる不吉な噂であろう。


 そして皇女は他国に輿入れしたため、現在はほぼジヴェリーナ皇后とダーレン皇太子が国内の公式な行事を取り仕切っていた。


 ちなみに、表向き皇帝は病に臥せっているという事になっている。


 そしていよいよ冬の終わり、春にはカダフィードの魔族討伐の出征の時が迫っている。


 皇后ジヴェリーナは夕刻、風呂上がりに豪華な自室の鏡台の前に座っていた。


 最高権力者の位置に居ながらも、ままにならない事がある。


 日々、衰えていく自分の美貌に恐怖を覚えるようになっていた。


 かつて帝国の薔薇と称えられた赤い髪には白髪が混ざるようになり、目尻のシワにほうれい線まである……。


 皇后は思わず履いていた室内履きの靴を脱ぎ、鏡に向かって叩きつけた。



「皇后様!? いかがなさいました!?」



 破壊音を聞いて隣の部屋に待機していた侍女が血相を変えて飛んできて、割れた鏡を見て思わず顔を顰めた。



「……ねぇ、ターナ。若返りの妙薬というものはこの世に存在しないのかしら?」


 皇后は幽鬼のようなオーラを纏っていた。



「そ、それはさすがに……劇的な効果を求めるのであれば、悪魔の手を借りるくらいしか手はないと思いますわ」



 侍女は青ざめた顔で冗談めかして言いつつも、割れた鏡をトレイの上に拾い集める。



「悪魔……そう、悪魔ね……」

「皇后様?」



 すっくと立ち上がった皇后を見上げる侍女ターナは嫌な予感がして、全身が泡立つ。



「今から禁書のある図書室へ向わうわ」

「皇后様、もう夜になります。湯冷めしてはいけません、明日になさいませんか?」

「いいえ、今すぐよ」



 皇后は侍女の言葉にも聞く耳をもたなかった。



「は、はい、只今毛皮のコートをお持ちします」


 皇帝を薬を盛った皇后は既に正気を失っているとも言える。


 道徳の心などは、もとからほぼない。

 侍女は……改めて後戻りできない所まで来ていたと悟った。


 グレーの毛皮を纏った皇后は図書室へ行くために暗い廊下を歩く。燭台の灯りが石造りの城の足元を照らすが、明るさは充分とはいえない。


 華麗なレリーフが刻まれた重厚な扉の前に立つ皇后は、古い鍵を差込み、開けた。


 その部屋は暗く、ややかび臭い匂いがする。

 燭台の灯りを頼りに、本棚の奥へと進む皇后。


「あったわ、これね……」


 魔法陣の中に、一つの宝箱がある。

 それも特別な鍵を持ってきてようやく開けられる仕組みとなっていたが、皇帝の部屋から持ち出した鍵で皇后はあっさりと中にある本をみつけた。


 本の表紙にはいくつもの宝石の装飾があった。

 それは4つの黒耀石と真ん中に赤い石、ピジョンブラッドと言われる宝石が嵌め込まれていた。


 そしてついに、黒魔術を記した禁書を手にした皇后がゆっくりとページをめくる。 

 禁書室の中で吐く息は白く、寒いはずがもはや寒さを感じないほどに夢中になっていた。



「必要なのは、美しい女の生け贄……」



 それには……魔力の籠もった石と、美しい女の生贄が必要だと書いてある。

 カダフィードのセシーリアには既に社交界にて当代一の美女と名高い知名度があった。


 そもそも17、18歳くらいの女は、光り輝くように格別に美しいものだ。

 大人になりかけの少女の儚き美しさと、成熟しかけの色気もある。


 加えて天使のようなにゆるく波打つ美しい金色の髪、宝石のように輝くエメラルドの瞳。白く透明感のある美しい肌……。


 シワもしみもない、美しい姿。憎らしいと、皇后は若きセシーリアに明確に嫉妬した。



 自分というものがありながら、若い女にうつつを抜かす夫にもついに堪忍袋の尾がきれ、その頃には皇帝の飲み物や食べ物に薬を混ぜた皇后は、皇帝の正常な意識を奪うことに成功していたので、ある意味やりたい放題で、王の印章も特別な鍵も手に入れていた。


 夫も息子も、あろうことか同じ女に息子まで夢中になっていた事実に、改めて腸が煮える思いだった。


 ──気に入らない。

 なにもかも気に入らないと下唇を噛んだ。


 息子には悪いが、セシーリアの顔を見る度に夫と息子の興味を引いたあの娘が許せないと感じるだろうし、いっそ悪魔への生け贄にして、殺してしまおうと考えた。


 そうして、悪魔との契約で、自らは永遠の若さと美を手に入れたら一石二鳥だ。


 そして皇后は城の近くの塔の中に、秘密裏に黒魔術の祭壇を作らせた。



「あの女が死んでしまえば……流石の息子も、ダーレンも諦めざるを得ないわよね……ふふ……っ」



 皇后の口元には、不吉で邪悪な笑みが刻まれる。

 手にしている儀式用の短剣の刃は、暗い部屋の中で燭台の火を映し、まるで死神の鎌のように不吉に輝いていた。












この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?