今、世界の中心はここにある。
いや、世界の中心なんて今まで意識したことなど無かったのだが、この腕の中の寝顔を見ていると、そうとしか形容できない感情が湧いてくるのだった。
男は今しがたこの世に生を受けた自らの赤子を腕に抱き、その顔をまじまじと見ながら、そんなことを考えていた。
「どうしたの、ヨハン? 黙りこんじゃって」
男にベッドの上の妻が声を掛けてきた。
一世一代の大仕事をやり遂げて、母親となった妻は、憔悴した表情の中にも聖母のような慈愛の色を浮かべている。
「いや、何でも無いよ、フリーデリケ……」
「何でも無いことはないでしょ。愛娘を初めて抱いたのに。感激したとか、感想は無いの?」
そう言われて、ヨハンは視線を腕の中から外さずに頭を捻る。
「天使は赤毛だったんだな」
「ふふ、言い過ぎよ」
新米父親の愛娘への賞賛の言葉に、フリーデリケは笑って答えた。
「名前は決まったの? 毎日、夜遅くまで考えていたみたいだけど」
ヨハンはようやく妻の方へ顔を向けた。
彼の笑顔にフリーデリケも笑顔で応える。
「候補は八個あったんだが、今、決まったよ」
あれだけ頭を悩ませながら、まだ八個も候補もあったのかと、フリーデリケは苦笑しながらも、ヨハンの宣言を待つ。
「ハルディア」
再び我が子の寝顔に視線を落としてヨハンは告げた。
「君の名前はハルディアだ。おめでとう、ハルディア。ようこそ世界へ」
ハルディアと名付けられた赤毛の女の子は、微かに笑ったかのように見えた。
****************
夢はそこまでで、ヨハンはふっと目を覚ました。
もう朝日とは呼べない昼前の日差しが窓から入っている。
その陽射から目を逸らすように、ヨハンは寝返りを打った。
「夢か……」
彼はホコリまみれの床の上でひとりごちた。
また飲みすぎて力尽きたらしい。ソファは目の前だと言うのに、床で寝てしまっていた。
「水……」
彼は再び呟いた。
しかし、誰も居ない雑然と散らかった部屋では、その呟きに応える者は居なかった。