握り拳。
膝の上に置いた握り拳をじっとみつめる。
ただでさえ小さい手。それを握り込んでしまえばさらに小さくなる。石ころのようだ。
でも、石ころみたいにゴツゴツはしていない。なんだろう。これを例えるならば――。
「――聞いているのか、リリア」
握り拳に意識を逃避させていたリリアは、我に返って頭を上げた。
「は、はい! 聞いています!」
トリシアが怪訝な視線をこちらへ向けている。その視線が怖くてまたリリアはうつむいた。
ここは大通りに面した大衆酒場。
シェリーたちに捕らえられたライアンたちは、強制的にここへと連れて来られた。そこで繰り広げられたのは長い長いお説教であった。
ライアンとリリアが再会したのは数ヶ月前。
さらに遡ること三ヶ月ほど前に二人はリアンダール王国を出ていたのだが、二人共シェリーたちに対する別れの挨拶は一切無かったのだ。
「騎士としてどうか以前に、人としてあり得ないだろう。あれだけの事を共に成し遂げておきながら、何も言わず、言伝も無く出ていって、そして手紙の一つも寄越さないとは。お前の頭には筋を通すとか、礼を言うとか、そういう概念は存在しないのか?
その辺の野良犬や野良猫の方がまだ恩義に篤いぞ。誇りがどうとか言う前に身につけることがあるんじゃないのか? どうなんだ?」
リリアの横には項垂れて座るライアンが居て、その彼にトリシアは説教の続きを再開した。
同じ様な言葉をもう何度も繰り返している。
主に説教を喰らっているのはライアンだったが、何も言わずに国を出たのはリリアも同罪なので、たまに怖い視線が飛んでくる。
それに耐えかねたリリアは、膝に置いた己の握り拳に想いを馳せていたのだ。
「リリア、君も君だ。君と私達は、一緒に国を救ったいわば戦友のようなものだろう。リアンダールに居づらいのは理解できる。だが、何も言わずに出ていくのは薄情とは思わないか?
こんなところで、呑気にライアンの妹なんてやっている場合じゃないぞ」
悪魔相手に情を説くのはどうなのかと、リリアは一瞬考えたが、もちろん抗弁はしなかった。
「もう、それくらいにしましょう、トリシア」
トリシアの横で、あくびをかみ殺しながらシェリーが言う。
「まだ言いたりません」
「私、もう飽きちゃった」
トリシアといえども主の言葉には勝てず、大きく息を吐いて緊張を解いた。それに伴い、説教先の二人も肩の力が緩む。
「それで? どうなの? 上手くいったの?」
シェリーが端的な質問を寄越してきた。
リリアはライアンと目を合わせる。
「どうってのは、何のことだ?」
口を開いたのはライアンだった。
「とぼけないでいいわよ。アンタがリリアちゃんと一緒に居る理由は一つしか思い浮かばないもの。手伝っているのでしょ? 契約を」
「ま、まぁな」
悪魔の手伝いなど騎士のすることかと、叱責が飛んでくるかと思っていたライアンとしては、シェリーの口ぶりは拍子抜けだった。
「怒らないのか? 俺がリリアの手伝いをしていること」
シェリーは軽くため息をつく。
「そりゃ、悪魔の手伝いは、元とはいえリアンダールの騎士がするようなことじゃないわ。けれど、実際の所、リリアちゃんのお陰で国は救われたのだから、存在の否定はできないのよね。だからといって、応援もできないけどね。で、どうなの? 上手くいっているの?」
言い終わりにシェリーはグラスの酒をちびりと飲む。
「いや、全く成果は無い。契約を叶えるどころか、契約を結ぶところまで行っていない」
「まぁ、そんな気はしていたけどね。どうせリリアちゃんが納得していない契約を取ってこようと、アンタが空回りしているんでしょ?」
「ず、図星だ」
まるで見ていたかのような言葉に、ライアンは否定するところが無い。
事実、ここ数ヶ月のライアンとリリアの奮闘は、シェリーの推察通りであった。
魂は欲しいが、人を死なせたく無いという矛盾した思いを持つリリアは、積極的に契約を結ぼうとはしない。ライアンはそんなリリアに替わって積極的に契約者を探してくるのだが、どうやってもリリアが最後の契約の判断を下さない。
そんなことをもう何度も繰り返していたのだった。
ライアンの契約の時のように、どうやっても命が助からない状況や、誰かが命を捨てようとしている状況でなければ、リリアは重い腰を上げようとはしないのだが、その辺りの心情を理解しないライアンがいくら頑張ろうとしても、空回りするのは当然ともいえる。
「そ、それにしても、シェリーさんとトリシアさんは、どうしてこの街に?」
リリアは自らを話の中心から外したくて、話題を変えようとした。
「うーん、そうね。諸国を周りながら、国造りの勉強をしていると言ったところね」
シェリーは軽やかに答えた。
「勉強ですか……」
「そうよ。リアンダールに脅威が迫ったあの一件で、私はまだ色々な事を知らないといけないって痛感したの。知らない技術や諸国の内状とか、リアンダールの中だけに留まっていては駄目だと思ったのよ。ああ、でも皇女っていうのは隠しているわ。表向きはリアンダールの外交官として、各国を周っているわ」
その向上心溢れる言葉をリリアは素直に受け止め、感嘆のため息を漏らす。
しかし、シェリーとの付き合いも長く、基本的にひねた考えを持つライアンは、また違った印象を持っていた。
「そんなこと言って、ただ単に旅がしたいだけじゃないのか?」
あっけらかんと言うライアンに、トリシアの氷の視線が突き刺さる。
「なんだよトリシア。図星なんだろ? それでお前はまたコイツのお転婆に無理やり付き合わされているんだろ?」
「少し黙れ」
トリシアは剣の柄に手を掛けながら、ライアンを睨みつける。
ライアンも応戦とばかりに、不敵な笑みで応える。
その空気にリリアは青ざめるが、シェリーはふっと笑う。
「はいはい、そこ喧嘩しないの」
久々にライアンとトリシアのにらみ合いを見たシェリーは、どことなく嬉しそうであった。