次の日――。
アイゼンフェルの街の中心広場、その真ん中でライアンは大きなあくびをした。
ちょうどその時、そこにシェリーとトリシアが現れた。
「もうお昼前なのに、まだそんなあくびしているの?」
ライアンの品の無い振る舞いに、苦言を呈しながらも、爽やかな笑顔を見せるシェリー。
しかし隣のトリシアは、ライアンの怠惰な態度が気に入らないらしく、睨みつけてきた。
「この街の自警団のくせに緩みすぎだろう」
「心配されなくても大丈夫だよ。いざとなったら働くからよ」
悪びれもせずに、首元を掻きながらライアンは答える。
「頼りにしているわ、自警団さん。じゃ、今日は道案内よろしくね」
シェリーのその言葉を合図に、三人は通りに向かって歩き出した。
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つい二日前にアイゼンフェルに到着して、まだ街を見て回っていなかったシェリーは、街の探索に出かけることにした。
そして、案内役を市長伝いに自警団へ依頼して、さらにライアンを指名したのだった。
ライアンもまだ街に来て間も無いのだが、自警団としてパトロールを繰り返しているのもあって、道案内は難くない。
騎士時代の主の頼みを断る理由も無いので、引受けることにしたのだった。
ここアイゼンフェルの街は、ジルバハイム王国のほぼ中心にある山岳に囲まれた街である。比較的穏やかな気候と、周囲を囲む山々から希少な金属が採れることもあって、古くから錬金術師の街として栄えてきた。
そして、この街では一大イベントの錬金術師競技会を一週間後に控えており、街中が活気に湧いていた。錬金術師競技会はその名の通り、錬金術師がその技を競いあう大会であり、それぞれの技術の粋を凝らした錬成物を出品して披露することで、その腕を競い合う。
「――競技会はどんな人たちが見に来ているのかしら?」
石畳の大通り、馬車に道を空けながら、シェリーがライアンに問う。
ライアンは通りにならぶレンガ作りの館の間――路地の奥を確認しながら答える。
「そうだな、それこそ昨日話していた、どこかの国の宮廷魔術師や宮廷錬金術だろうな。後はそいつらを雇う側の王族や貴族連中も来ているみたいだな」
「出品した物って買うことはできるの?」
「まぁ、そういう取引の話もでるらしい。やっぱり高値で取引されるみたいだ。だから、よからぬ考えを起こすやつが出ないように、自警団も人を増やしているんだ」
「それで、お前みたいなやつでも自警団に入れているのか」
トリシアが後ろから声を掛ける。
「粗野で悪かったな。ちょうどこの街に来たときに、荒くれ者を懲らしめたからな。それでスカウトされたんだよ」
ライアンが荒くれ者と揉める場面を、容易に想像できたシェリーは苦笑する。
「やっぱり錬金術で出来た品物を狙う輩はいるのかしら?」
「表立って動いてやる奴はまだ居ないな。でも、確実にヤバそうな奴はいるぜ」
「なるほどね。いろんな人で賑わっているわけね」
「そうだ、あとは、教会の人間とかも来ているって噂だ」
教会という単語にシェリーはピクリと反応する。
「教会? 聖道教会のこと?」
「ああそうだ、何でも特別に優れた品物は、教会で奇跡認定をするらしいぜ」
「奇跡認定。それはまた大きな話ね」
「それだけここの錬金術のレベルが高いって話だろうな」
そう話しながらもライアンは周囲へ視線を配っている。
雇われて間もないとはいえ、しっかりと自警団としての意識は身についているようだった。
そのライアンの視線の先に、石がいっぱいに入ったカゴを抱えて歩く赤毛の女の子が居た。
女の子はカゴを道において額の汗を拭う。
そしてまたカゴを抱え直した。その時、カゴから石が一つ転がり落ちた。
少女は、あっと言いながらその石を追いかけて、通りの真ん中へと駆け出した。
次の瞬間、ライアンが跳ねるように動いた。
あっと言う間に少女との距離を詰めたかと思うと、少女を抱きかかえて、通りの端へと駆け抜ける。
すると少女が元居た場所を、ものすごい勢いで馬車が通り過ぎた。
ライアンが少女を抱きかかえなければ、少女は馬車に轢かれたところだったのだ。
「こら、ハル! 大通りでは馬車に気を付けろって」
腕の中の少女をライアンは優しく叱りつけた。
少女はライアンの顔を見ると、今しがた命の危険があったにも関わらず、にぱぁと相好を崩した。
「ライアンにーちゃん!」
「にーちゃん、じゃねえって。いつも言っているだろ、気をつけて歩けって」
「ごめーん」
愛らしい笑顔で謝る姿に、ライアンはそれ以上叱る気が失せた。
「ライアンにーちゃん、今日はリリアお姉ちゃん居ないの?」
「ああ、今日はリリアはお屋敷で仕事だ」
「そっか」
そこへシェリーとトリシアが駆け寄ってきて、少女とライアンの無事を確認する。
「ライアン、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
ライアンの腕から降ろされた少女は、ライアンと言葉を交わすシェリーをぽかんと見ている。
「ん? どうしたハル? どこか痛いのか?」
「……この人、だあれ?」
少女――ハルはシェリーを指差しながら問う。
「ああ、この人は知り合いだ。俺と同じ国の人だ」
「同じ国? リアンダールっていう国の人?」
「ああ、そうだ」
ライアンがそう返事をすると、ハルは何か思いついたような表情をする。
「ああ! この前、言っていた、リアンダールのお姫様ってこの人? 見た目は綺麗だけど、中身はすっごいお転婆で、なんでもかんでも周りを巻き込む迷惑な人って、この人?」
ピキリ、と周辺の空気が凍る音がライアンには聞こえた。
眼には見えないものすごい圧力を背中で感じる。
「ああ!」
ハルは再び叫ぶ。
「後ろで怖い顔している人は、お姫様のお付きの人だね! ライアンにーちゃん言っていたもんね。いっつもいっつも怒っていて、すぐ殴る怖い女剣士がいるって!」
「ハル! 黙るんだ!」
遅まきながら少女の口から出る悪口を止めようとするライアンだったが、制止は遅きに失し。
ごちん、と振り下ろされるトリシアの鉄拳。
ライアンは後頭部が砕けたかと思うほどの衝撃を受けて、思わずうずくまった。
それを見た少女ハルは、その時ようやく己の発言の重さに気づいて青ざめた。
そんなハルに、シェリーはことさら優雅に微笑みかける。
「大丈夫よ。怖くないわよ」
顔と声はうまく取り繕っていたが、身体から滲み出る怒気は隠しきれておらず、ハルは震えながら後ずさりをする。
「そうだ、私たちはライアンにーちゃんが言っている人ではない」
トリシアも加わりハルに近づく。こちらは冷徹な表情を隠す素振りも無い。
その後はなんとか復活したライアンが、ハルにあれやこれやと弁明を繰り返すことで、シェリーとトリシアは決して怖い人では無いという話で納得してもらえた。