ライアンたち一行は、幾つもの露天が並ぶ通りを歩いていた。
怒ったら腹が減ったというシェリーに食べ物を振る舞うべくライアンが案内してきたのだ。
「――それで、あんなに石をいっぱい運んでいたのね。ハルちゃん偉いわね。あの年で働いているなんて」
果物を頬張りながら話すシェリー。話題は先程出会った少女ハルについてである。
「まぁな、父親もいないし、寝たきりの婆さんもいるみたいで、生活に余裕は無いみたいだしな」
「錬金術の学校に行くためのお金を自分で稼ぐなんて、誰かさんの幼少期とは大違いだな」
トリシアがライアンに向かって言う。
「俺だって、自分の食いぶちは自分で稼いでいたぜ」
「稼ぎ方が問題だ。お前の場合、殴るか盗むかだろうが。胸をはるな」
トリシアが冷ややかに追撃の言葉を刺す。
「それにしても、アンタによく懐いているわね。あの子」
露天に並ぶ装飾品に視線を向けながらシェリーが言う。
「あぁ、アイツが苛められているところを、助けたことがあったからな。父親が居なくて錬金術の学校に行けないことで、たまに近所のガキに絡まれるらしいぜ」
「ふーん、苛められているところをねえ……」
――それだけじゃないだろうけどね。シェリーは心の中で呟いた。
ライアンはリアンダールに居たときよりも、纏う空気が随分と穏やかになった。騎士としての重圧から解放されたというのも大きいだろうが、何よりも一緒に旅をする者の影響が大きいのだろう。
以前の彼には見えなかった余裕からくる優しさのようなものをシェリーは感じていた。
ふと、露天から視線を前に向けると、通りの角に人だかりができている。
そして、人だかりのうちの一人の男がこちらの存在に気づいた。その男が小走りで近づいてきた。
「おいアンタ、その服は自警団だろ? ちょっと助けてやってくれよ」
男は自警団の制服を来ているライアンに話しかけてきた。
「え、なんだ? いきなり」
「いいから、ほら、早く行ってやりなよ!」
うろたえるライアンの手を男は強引に引っ張っていく。
男とライアンが人だかりを抜けると、二人の女性が数人の男に取り囲まれていた。
「いい加減にしなさい! 嫌がっているでしょう!」
編み込んだ金髪を背中に垂らした小柄な女が毅然と言い放った。
その強い語気に取り囲む男たちは一瞬怯んだ。しかしすぐに薄ら笑いを浮かべる。
「おいおい、ずいぶんと激しいな、お嬢さん。そう目くじら立てるなよ」
「そうそう、俺等は別に困らせるつもりはないんだぜ」
声を荒げた女の剣呑さとは裏腹に、男たちはあくまでも軽薄な態度のままだ。
「この娘は充分に困っています。今すぐに立ち去って下さい!」
女の後ろにはエプロン姿の娘がいる。可愛らしい顔はひどく怯えた表情をしている。
「困っているかどうかは、その娘が決めることだろう? お嬢さんは引っ込んでなよ」
「そもそも俺等は、あのイグナシオさんの私兵団だ。声を掛けてもらったんだから、むしろ喜んでもらいたいもんだ」
「もう一度言います。立ち去って下さい」
私兵団を名乗る男たちは薄ら笑いのまま、顔を見合わせる。
すると、そのうちの一人が近寄ってきた。
「……じゃあ、立ち去るが、その場合は、お嬢さんが一緒に来てもらうぜ。俺等の邪魔をしたんだから、たっぷりと相手してもらうぜ」
私兵団の男は下品な嗤いを浮かべながら肩に手を回そうとする。
しかしその瞬間、女の鋭い平手打ちが男の頬を打った。
「汚らしい手で触るな」
その光景に周囲の人だかりからどよめきが起こった。
頬を打たれた男は、最初は何が起きたか理解できていなかった。
しかし、頬の痛みと共に叩かれた事実に頭が追いついてきた。公衆の面前での恥辱に男の額に血管が浮かぶ。
「やりやがったな。このアマァ!」
激昂した男は我を忘れて殴りかかる。しかし、そこへ何者かが割り込んできた。
女へ向かっていた拳は、割り込んで来た男の顔面を捉えて、掛けていた丸眼鏡も跳ね飛ばした。
割り込んで来た男は女をかばって殴られたような格好だった。
私兵団の男は、殴られて地面に転がる男に叫ぶ。
「なんだ、テメェ!」
殴られた男はしばらく地に伏せていたが、やがて丸眼鏡を拾い上げて立ち上がった。
「いやいや、うちの部下が危なかったもんで……」
丸眼鏡の男は痛々しいアザがある顔で、爽やかに笑いながら言う。
「フランツさん、援護は不要です」
「いや、エマちゃん、そうじゃなくて……」
フランツと呼ばれた丸眼鏡の男は、鬼気迫る女――エマを宥めるように言った。
「どいてろ。俺はそっちの女に用がある」
「いやぁ、そこをなんとか勘弁して貰えないでしょうかねぇ」
私兵団の男は殺気立っているが、フランツは飄然と受け答える。
「うちのエマちゃんが殴ったのは謝りますし、この通り私も殴られたので、おあいこになりませんかね」
「あぁ? 俺等はイグナシオさんの私兵団だぞ! コケにされて黙っていられるか!」
男がすごんで、フランツの胸ぐらを掴んだ。
他の私兵団の男たちも殺気立って間合いも詰めてきた。
「そこをなんとか、なりませんか?」
殺気立った数人の男を前にしても、フランツは飄々とした態度を崩さない。
まるで今起きていることが、取るに足りない些細なことのように。
すると、周囲の人垣から、わざとらしい大きな咳払いが聞こえた。
皆の視線がこっちを向いてから、ライアンはもう一度大きく咳払いをした。
「揉めごとかい?」
そう言って、ライアンは人垣から進み出た。
私兵団の男たちはその姿を見て取り、その内の一人が舌打ちをする。
「その制服は自警団か。ひっこんでな、俺達はイグナシオさんの私兵団だ。それとも、自警団ごときが、イグナシオさんに逆らうのか?」
私兵団の男はそう言いながら、ライアンを威圧してくる。
「いやいや、滅相もない。俺は別にいいんだが、あんたらがそれでいいのかなって」
「あ? 俺等が?」
「ああ、そうだ」
そう言ってライアンは、大きく息を吸い込む。
「イグナシオさんのぉ! 私兵団がぁ! 女に引っ叩かれて!」
突如、大きな声でライアンは叫び始めた。周囲の人垣にアピールするように。
「一人の無抵抗の男を! 三人がかりで!」
ライアンの大声は、周辺の通行人の足を止める。そして、周囲の人垣はますます人が増えてくる。
「おい! やめろ、お前!」
私兵団の男はライアンに掴みかかるが、ライアンは難なくそれをかわしてニヤリと笑う。
「まだ続けてやろうか?」
先程よりも多い衆人環視にさらされて、私兵団の男たちは互いに顔色を伺う。
すると、フランツの胸ぐらを掴んでいた男が乱暴に突き飛ばして、他の男たちに声をかける。
「おい、行くぞ」
その言葉を合図に私兵団の男たちは踵を返して、その場から去っていった。
人垣に悪態をつきながら去っていく私兵団。その背中を見送った後、ライアンはフランツたちに近づく。
「大丈夫かい?」
突き飛ばされて地面に横たわっているフランツに、ライアンは手を差し伸べた。
「ああ、すまない」
その手を握ってフランツは身体を起こした。立ち上がって、ライアンの手を離そうとするが、異様な力で握られて手が離れない。
ライアンはじっとフランツの顔を見ている。何かを観察するような眼で。
「ちょっ、勘弁して下さい、自警団さん」
「ああ、悪い」
ライアンはそう言って、握っていた手を離す。そして、フランツの後ろにいる二人の女性へ視線を向けた。
「そっちの二人は大丈夫かい?」
エプロン姿の娘は安堵した表情だが、エマは依然として警戒した表情のままだ。
「安心していい。俺はこの街の自警団だ。少なくとも、さっきの奴らよりあんたらの味方だ」
ライアンは両手を広げて無害をアピールする。
「……一応、礼を言っておきます」
目線を固定したままエマは軽く頭を下げた。
「いや、普通に礼を言おうよ、エマちゃん」
フランツは眼鏡の位置を直しながら苦笑する。そしてライアンの方へ向き直って頭を下げた。
「助かりました、ありがとう。自警団さん」
「礼はいらねえよ。仕事だからな」
ライアンはその時初めてフランツとエマの出で立ちを確認した。
貴族というほど上等ではないが、良い生地で仕立てられた、揃いの制服のような服装である。
それは軍服のような印象であるが、貴族の着る軍服のように華美な装飾は無く、機能性を重要視したさっぱりとした服だ。
この街では見かけたことはない服。だから他の街から来たのだろうが、少なくとも物見遊山で来たわけではなさそうだ。
「しかし、俺がしゃしゃりでなくても、何とかなったんじゃないか?」
ライアンは目を眇めてフランツに言う。
「いやいや、そんなことは無いですよ。本当に助かりました」
一瞬、ライアンの周りが張り詰めた空気になる。しかし、すぐに空気は弛緩してライアンはゆるく笑った。
「ま、いいさ。じゃあな」
「ええ」
手を挙げて背を向けるライアンに、フランツも手を挙げた。
彼は去っていくライアンをしばらく見つめていた。