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貴賓室での攻防

 市長の邸宅の一室、客人を迎い入れるための貴賓室には重苦しい沈黙が広がっていた。


 豪華なシャンデリアが柔らかく輝く中、刺繍が施されたカーテンは微動だにしない。

 部屋全体を覆う冷たい空気が、会議に臨む者たちの緊張をさらに際立たせている。

 長いテーブルの両端に並んだ出席者たちは、固い表情のまま椅子に腰を下ろしていた。


「――以上、三軒の工房が襲われました。そして、盗賊を捕らえようとした自警団と国軍兵に、負傷者が出ております」

 兵士のその報告を聞いて、市長のクレメンスは腕を組んで渋い顔をした。


「……死者が出なかったのは、不幸中の幸いですな」

 市長の言葉に列席している面々は頷く。


 昨日の盗賊の襲撃の報告を受けて、ここ市長の邸宅では緊急の会合が行われていた。

 市長のクレメンスはもちろんのこと、自警団の団長、国軍兵団の将軍、その他街の有力者たちが顔を揃えていた。


「襲われた工房はどんな様子ですかな? 何か盗られた物はあるのか?」

 市長は報告文を読み上げた兵士に問うた。兵士は手元の紙に視線を落とし答える。


「はい、襲われた工房は、どこも内部を徹底的に破壊されており、何を盗られたかすら判らない状況とのことです」

 その報告に一同から唸るような吐息が漏れ出る。


「ふうむ。随分と手荒い手口の盗賊団ですな」

 相変わらずの渋い表情で市長は呟く。


「これは由々しき事態ですぞ、市長」

 一人の老齢の男が口を開いた。この男は錬金術師ギルドのギルド長であり、名をアルゲリックという。男は更に言葉を続ける。


「競技会を前にして、錬金術師とその錬成物の保護は最優先事項のはず。それがこれほどまでに侵害されるなど前代未聞。今一度、警備の在り方を考えるべきです」


 その言葉にテーブルの反対側の男――自警団団長であるフリューゲルがぴくりと反応した。


「……警備の在り方を考える、とはどういう意味ですかな? まるで、警備に問題が有ったかのように聞こえますが」

 フリューゲルはギルド長アルゲリックに向かって、険しい口調で言った。


「実際に問題が起きているではないですか。錬金術師の工房は三軒も襲撃を受けて、壊滅的な被害を被った。それが事実です。警備に問題が無いとなれば、何が問題だというのですか」

 アルゲリックも応戦するように、フリューゲルに向かって言い放った。


「警備にとやかく言うのであれば、ご自身たちで砦でも造ってそこに籠もれば良いでしょう。街中で無防備に暮らしている人間を、どうやって守れというのですか」


「それを考えるのが貴方たちの仕事でしょう!」


「そんな人任せで無責任な人たちを守れるわけがない!」


 アルゲリックとフリューゲルはお互い前のめりになって言い争い、今にも取っ組み合いでも始めそうな雰囲気であった。


「まぁまぁまぁ、御二方とも落ち着いて下さい。我々は争う為に集まった訳ではないのですから」

 市長は立ち上がり仲裁に入った。


「起きた事はもうどうにもできません。今からのことを考えましょう。差し当たっては、次また盗賊が襲撃に来た時に備えましょう」


「――それは、同じ盗賊が来た時の話でしょうか?」

 口を開いたのは、国軍兵団の将軍ラルハザールだった。


「え、ええ、そうですね、昨日の盗賊は捕まっていないわけですし、また現れないと言い切れないでしょう」

 市長の回答にラルハザールは顎に手を当てて考える。


「確かにそうですが、昨日と同じ盗賊を相手にするならば、今の編成では厳しいですね」


「それは、どういうことですかな?」


「簡単な話です。相手が強すぎるということです」

 国軍兵団の将軍の敗北宣言のような発言に会議場はどよめいた。


「勘違いしないで頂きたいのだが、勝てないという訳ではありません。負傷した兵士の話によると、盗賊は三人であり、そのうちの一人は少なく見積もっても十人編成の部隊、いわゆる小隊相当の実力があるとのことです。

 それに対して、我々は広いアイゼンフェルの街を小隊五つ分の兵士で警備しないといけないですから、どうしても少数部隊での編成になってしまうのです」


 そこまで聞いて、自警団団長フリューゲルは大きくため息をついた。


「国軍兵十人分の実力者など、我々自警団の団員では到底かなう相手ではないでしょう。それに盗賊は他に二人もいる。その二人も不思議な力を使うと聞いています。先程、警備に問題があると言われていましたが、この問題をどうやって解決しますかな?」


 皮肉めいた口調でフリューゲルは言った。アルゲリックは舌打ちしながら視線を逸らした。


 それを横目でみながら、ラルハザールはテーブルの上で手を組み、周りを見渡しながら告げる。

「いっそのこと、中止にしてはいかがですかな?」

 またしても会議場はどよめく。


「そ、それは、錬金術師競技会を中止にするということですか!」


「ええ、そうです」


 狼狽しながら問う市長とは対照的に、ラルハザールはいたって冷静に返す。


「これから競技会に向けて、錬金術師の方々は仕上げに入っていくのでしょう。そうなった時にその錬成物を狙って、賊が現れる可能性はより高くなります。錬金術師の方々の身の安全を最優先とするならば、競技会を中止にすればいいでしょう」


「馬鹿な! 歴史と伝統のある競技会を中止にするなど、言語道断! そんな案など却下だ!」

 アルゲリックは顔を紅潮させて声を荒げた。


「では、歴史と伝統を守るために、死にますか?」

 ラルハザールは冷たく言い放った。

 アルゲリックは喉元に短剣を突き付けられたように言葉を失った。


「と、とりあえず、アルゲリックさんは落ち着いて下さい」

 市長はまたしても立ち上がり仲裁に努める。


「それにしても、ラルハザール殿、ここまで準備を進めてきた競技会を中止というのは、さすがに厳しいですぞ。各国の使者殿も続々と集まってきておりますし、ここで中止にすれば、ここアイゼンフェルの錬金術師の街としての信用が失墜してしまいます」

 額の汗を拭いながら言う市長をラルハザールは冷めた目つきで見る。

 しかし彼は何も言わずに目を逸らした。


 貴賓室に再び重苦しい沈黙が降りた。


 そんな中、わざとらしい咳払いが一つ。


 錬金術師競技会の前回優勝者のイグナシオだった。

 彼は競技会に参加する錬金術師の代表として、この会合に出席していたのだった。


「――競技会の中止は、我々にとっても、そして国軍兵団にとっても、あまり良い案とはいえないでしょうね」

 イグナシオの発言にラルハザールは眉をひそめる。


「どういうことですかな?」


「簡単な話です。強盗団のせいで競技会が中止に追い込まれたとなれば、警備にあたっていた国軍兵団の威光にも傷が付くことになります。それは国軍兵団の将であるラルハザール将軍も本意では無いでしょう?」


 終始冷静だったラルハザールだったが、イグナシオの発言で微かに顔が曇る。


 その表情を見て、イグナシオは立ち上がった。


「私は錬金術がこの国とこの街にどうすれば貢献できるかを、常に考えています。そして、錬金術師競技会の存在はその象徴なのです。競技会は単なる技術の見せあいにあらず。わが街の技術力を各国に知らしめ、評価を得ることで、国を潤すことに繋がります」


 イグナシオは錬金術ギルド長のアルゲリックの方を見ながら語り、次に市長の方を見る。


「――そして、その競技会を成功させて評価を得るのは、何も錬金術師だけではありません。競技会を円滑に滞りなく開催させた市長をはじめとした執行部も評価の対象となるでしょう」


 次に自警団団長のフリューゲルと国軍兵団のラルハザールの方を見やる。


「――最後に何よりも、その武勇によって盗賊のような不逞の輩から街を護った、自警団と国軍兵にも称賛が送られるでしょう。このように、競技会を開催することはさまざまな意義や利益があります。これをみすみす手放すことは得策ではないと考えます」


 イグナシオはそう締めくくった。


 その演説のような口上に、アルゲリックと市長は激しく同意するように大げさに頷いている。

 そして自警団のフリューゲルさえも腕組みしながらも頷いていた。


 しかし、ラルハザールだけは冷たい表情で顎に手を当てていた。

「しかし、現実問題として例の盗賊の存在は厄介極まりない。あれをどうにかしないことには、競技会の成功など絵空事だ」

 ラルハザールは威圧の響きを持った声でイグナシオに言った。


 しかし、イグナシオは動じず答える。

「その点に関しては、私の方からも助力させて頂きます」


「助力?」


「ええ、私の雇っている私兵団を無償で自警団へ派遣しましょう。彼らは私が厳選したプロの戦士たち。その実力は国軍兵士の精鋭に匹敵すると自負しております」

 その申し出に場が微かにどよめく。


 それは自身の警備を薄くしてまで、他の錬金術師たちの為に私財を投じた私兵団を派遣するということ。

 そのイグナシオの競技会への献身に出席者は感嘆したのだった。


 しかし、国軍のラルハザール将軍は表情を変えない。


「……足りませんな」

「なんですって?」


「兵士の数が多少増えたところで変わらないでしょう。もっと劇的に戦力が上がる策が欲しいところです」


「そんな策があれば苦労はしません」

 イグナシオはため息混じりに答えた。


「――魔法武具の供出は無理ですかな? 噂によれば貴殿は多数の魔法武具を保有していると聞いております。それを国軍に貸して頂けませんか?」


 破格の提案だった。


 私兵団の派遣だけでもタダで応じるには大きすぎる出費。

 それだというのに、魔法武具の供出もとなれば、そこに投じる資産は計り知れない。

 魔法武具の価値を知る出席者たちからはどよめきが起きた。


「いいでしょう。応じましょう」

 イグナシオは即座に返事をした。


「そ、それは本当ですか! イグナシオ殿」

 興奮した様子の市長が問いかける。


「二言はありません」

 きっぱりとそう言い切るイグナシオの言葉に、またしてもどよめきが起きる。


「しかし、イグナシオ殿ばかりに負担を掛けるのは心苦しい限り。私も僅かながら協力いたしましょう」


「と、いいますと?」

 市長の申し出にイグナシオは問いかける。


「いえ、大したことは出来ませんが――フリューゲル殿」

 市長は自警団団長の名を呼んだ。突然呼ばれたフリューゲルは少し驚く。


「え? あ、はい」


「私の権限で自警団への予算を増やします。これで自警団の増員と増強をお願いします」


「わ、わかりました。そうして頂けると助かります」

 そう言ってフリューゲルは頭を下げる。


 市長の素早い決断に出席者からは感嘆の声が漏れ出る。


 しかしそんな中、国軍兵団のラルハザールだけはひとり冷めた表情をしていた。市長はそのラルハザールへおそるおそる尋ねる。


「ど、どうでしょうか、ラルハザール殿。イグナシオ殿からの私兵団と魔法武具の提供、それに加えて自警団も増強します。国軍兵団の方もご協力頂けないでしょうか……」

 会議場に沈黙が落ちる。


 誰もがラルハザールの反応を固唾をのんで見守っている。


 ラルハザールが大きくため息を付いた。


「……わかりました。国軍兵団も兵力を増強して再編成をかけましょう」

 その言葉に会議場は賛嘆の声でざわめいた。


「しかし、一つ条件があります」

 ラルハザールは冷徹に言い放った。それに市長が反応する。


「条件?」

「ええ、国軍兵団はもちろんのこと、自警団並びにイグナシオ殿の私兵団、そして供出して頂く魔法武具、それら全ての編成及び指揮は国軍兵団が握ります。それが条件です」


「つ、つまりは、この街の警備に関わる全てを国軍の指揮下に置くと……?」


「その通りです」


「しかし、自警団はともかくとして――」


「――いいでしょう。市長。全てをラルハザール将軍にお任せしましょう」

 市長の言葉を遮って、そう言ったのはイグナシオだった。


 イグナシオは自信に満ちた笑みでラルハザールを見た。


「わかりました。イグナシオ殿がそう言うなら、私どもが口を挟むことは無いでしょう。フリューゲル殿、自警団の方も国軍の指揮下に入る形で宜しいですかな?」


「ええ、私どもは構いません」

 フリューゲルは快諾の意思を示した。

 すると、おもむろにラルハザールは立ち上がった。


「どうされましたか? ラルハザール殿」


「話は済んだでしょう。諸々の手配がありますのでこれで失礼する。細かい話は後で部下をつかわしますので、その者と詰めて下さい」

 そう言ってラルハザールは部屋を出ていった。


 ひとり冷たい空気を放っていたラルハザールが出ていったことで、会議場は安堵の空気に包まれた。

 市長もようやく椅子に腰を降ろして大きなため息をついた。


 他に話すべき議題はあるのだが、市長にはこれ以上話を進める気力は残っておらず、会合はお開きとなった。

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