「――随分と、気前の良いことだな。イグナシオよ」
出席者の居なくなった貴賓室。
錬金術師ギルド長のアルゲリックとイグナシオの二人は部屋に残っていた。
「ええ、さすがに魔法武具の供出は安くはないですね。ですが、あそこまでしなければ、国軍兵団や市長は動かなかったでしょう」
イグナシオは不敵な笑みを浮かべながら答える。
「確かに。しかし手痛い出費だな。少しばかりギルドから補填をしてやろう」
「それには及びません。アルゲリック殿。手痛い出費と申されましたが、宣伝費と考えれば安いものです」
「宣伝費?」
「ええ、私の工房で造った魔法武具。その性能を国軍自ら試してくれるのですから、上手く気に入って貰えるのなら、大きな儲け話に繋がります」
「この機に乗じて、儲け話を考えておったとは、喰えぬ男だ」
ふっとイグナシオは嗤う。
「競技会は単なる技術の見せあいにあらず、ですよ。アルゲリック殿。使えるものは何でも使うのが私の主義でして」
アルゲリックも口角を僅かに上げて笑みを見せる。
「その主義にはいささか同調できぬが、まあよい。錬金術師ギルドの為には、お主のような人間も必要だろうて」
「お褒めに預かり光栄です」
「それはそうと、『アルカナス目録教書』の『万療樹の杖』は知っておるか?」
不意に変わった話題にイグナシオは眉を寄せる。
「……この街の錬金術師なら誰でも知っているでしょう」
「つい先日、その杖を造った者がおるらしい」
「まさか、冗談でしょう?」
「冗談と言うならば確かめて見るといい」
言いながら、アルゲリックは立ち上がる。
「杖を造ったのは、お前のよく知る人物だ」
そう言い残して、アルゲリックは去っていった。
残されたイグナシオは扉の方をじっと睨んだままだった。
会合の中では一切見せなかった彼の厳しい表情がそこにあった。
**********
暗い部屋には、重苦しい静寂が漂っていた。
窓からわずかに差し込む月明かりが、部屋の中のかすかな輪郭を浮かび上がらせている。
イグナシオは椅子に深く腰を沈め、寝そべるように無造作な姿勢で座っている。
ローテーブルに足を放り出し、片手には半分ほど減ったウイスキーのグラスを持ち、軽く揺らして琥珀色の液体を眺めた。
ガラス越しに淡い光が屈折し、彼の無表情な顔に不気味な影を落としている。
ふと、差し込む月明かりが揺れた。窓の方を見るといつのまにか窓が開いていた。
「――来たか」
暗い部屋で独り言のようにイグナシオは呟いた。
「来てやったぞ、イグナシオ。なんだ、話というのは」
窓際の暗がりから男の声がした。
「昨日はたいそうな暴れっぷりだったみたいだな」
「へへ、少しばかり派手にやっただけだ。足りなかったかい?」
「逆だ」
イグナシオはグラスを置いて窓際を睨む。
「やり過ぎだヴァルゴ。壊す方も倒す方も両方ともだ。危うく競技会が中止になるとこだったぞ」
「へっ、やれとは言われたが、加減は聞いていなかったからな。次からは加減するさ」
「ああ、だが次は気をつけろ。国軍兵の人数が増える上に、俺が供与した魔法武具を使ってくる」
「魔法武具? へぇ、そんな物まで差し出したのか、案外気前がいいんだな、イグナシオ」
「どれもこれも、うちの工房で造った一級品だ。油断をしないことだ」
くっくっくとヴァルゴの笑い声が聞こえた。
「何が可笑しい」
「へへ、素人が使う魔法武具など玩具にすぎねえよ。まぁ、折角だから少し遊んでやるか」
ふんっとイグナシオは鼻を鳴らして、グラスを呷った。
「で? 話は終わりか?」
「――『万療樹の杖』が現れたそうだ」
イグナシオのその言葉に数拍の間、沈黙が落ちた。
「……ほう、あの杖を造れるやつが居るとはな。誰が造った?」
「お前が以前リストに無いと言っていた、男だ」
「ああ、あれか、確か名前は……ヨハン・クロイツだったか。それでどうする? そいつもやればいいのか?」
「…………」
ヴァルゴが問うたがイグナシオは返事をしない。
「おい、イグナシオ――」
「――杖だ」
「何?」
「杖だけ壊してこい。あとは手出ししなくていい。他は手出しをするな」
「……工房もそのままでいいのか? また造るかもしれないぞ」
「かまわん。どうせまぐれだろう。二度と同じものは造れない」
「……まぁ、雇い主がそういうなら、俺たちゃ従うだけだ」
「話はそれだけだ」
そう言って、イグナシオはグラスを口に運んだ。
ヴァルゴが一瞬嗤い、煙のように部屋から消えた。
*********
庭に降り立ったヴァルゴは、見張りをしていた頬に傷跡のある男と合流した。
「異常は無かったか、サイラス」
「ああ、何度か見回りが来たが問題ない」
サイラスと呼ばれた大男は静かに答えた。
そして二人は音もなく庭を駆け抜け、塀を飛び越えて工房を後にした。
工房の敷地から充分に離れたところまで来て、ヴァルゴは口を開く。
「――サイラス、獲物が増えたぞ」
「構わない。一人や二人増えたところで、問題ない」
無機質に答えるサイラス。いつも通りの反応にヴァルゴは口角をあげる。
「いつも通りにやれ、と言いたいところだが、その獲物が持っている杖だけは丁重に扱え」
「杖だと?」
「ああ、『万療樹の杖』といってな、曰くどんな病気や怪我でも治してしまう奇跡の杖だ」
「ほう」
無表情だったサイラスの目が微かに見開く。
「雇い主は杖を壊してこいと言ったが、本物なら俺らが貰う。くれぐれも壊すなよ」
「その杖の持ち主はどうする?」
「手出しはするなと言われたが構わねえ。抵抗するなら、やってしまえばいい」
「わかった」
「俺は明日、そいつの所へ偵察に行く。今の話は、アンブローズにも伝えておけ」
「ああ」
そう言葉を交わした黒づくめの二人は、夜に溶け込むかのように、足音もなく闇夜の帳へと消えていった。