トリシアは質素な木造りの扉をノックした。
扉の向こうから誰かが近づいてくる気配。扉が開くと、中からリリアが顔を出した。
「こんにちは。トリシアさん」
リリアがトリシアを見ると微笑んだ。
「ああ、待たせたなリリア」
「ライアンも居るのかしら?」
トリシアの後ろからシェリーが聞く。
「え、ええ、しっかりと警護しています……」
ぎこちなく答えたリリアが扉を開けて、二人を中に招き入れた。
トリシアたちは部屋の中に入る。整然と並んだ調度品、綺麗な床が目に付く。そして何かの薬品のような独特の匂いがした。
ここはヨハンの工房であった。
中でヨハンは机で本を開いており、ライアンは――ソファで寝ていた。
シェリーはソファのライアンを冷たい目で見下ろす。
「本当に、コイツは警護しているの?」
その問いにリリアははにかむ。
ライアンがぱちりと目を開けた。
「……大丈夫だ。しっかりと辺りの気配は警戒している。それよりも屋敷の仕事はいいのか?」
「いいわよ、丁度新しいメイドが増えたし、もう飽きちゃったし」
シェリーはあっけらかんと答えた。
「――アンタ達がリアンダールの使者さんか」
シェリーたちにヨハンが声を掛けてきた。
「ええ、クロイツさん。お初にお目にかかる。私はリアンダール外交官のパトリシア・シムフィールド、こちらはシェリル・ウィンザーだ」
トリシアは丁寧に答えた。
「クロイツは呼ばれ慣れてねえ、ヨハンでいい」
「わかった。では、私たちも、トリシアとシェリーで結構だ」
「ああ、わかった。じゃあ、早速聞かせて貰おうか」
ヨハンはテーブルセットへ視線を向け、そちらへの着席を促した。
黒づくめの三人組が錬金術師の工房を立て続けに襲撃した事実は、既に街中に知れ渡っていた。
そして競技会自体が中止になるのでは、という噂が流れる中、それぞれの錬金術師たちは、外を出歩かずに護衛を付けて工房に引きこもっていた。
ヨハンも例外ではなく、ライアンという護衛をつけて自らの工房で大人しく過ごしていた。
そこへシェリーたちがヨハンの元へと来訪したのは、市長の邸宅で昨日行われた会合の結果を伝える為だった。
「――そうか、競技会はやるんだな」
「そうね、市長から直接聞いたから間違い無いわ。正式な通達もじきに出回ると思うわ」
ヨハンの言葉にはシェリーが答えた。彼女はさらに続ける。
「やはり、あのイグナシオっていう前回優勝者の提案が大きかったみたい。私兵団の投入だけならまだしも、魔法武具の提供ってのが一番効果があったみたいね」
「アイツのことだ。どうせ、自分の錬成物の宣伝も兼ねているんだろ。したたかなやつだからな」
「アイツ? しっているの? イグナシオのこと」
「ああ、まあな、古い知り合いだ。それにしてもその三人組は厄介だな。ライアンからも聞いたが、どうやら魔法武具を使うらしいじゃねえか」
「ええ、でも、こちら側も魔法武具を装備したから、次こそは撃退するって国軍兵たちは息巻いているらしいわ」
「――無理だろうな」
ソファの方から声が聞こえた。寝そべっているライアンだった。
「無理? どうしてよ、装備が同じなら、人数が多い方が有利じゃない」
シェリーは眉根を寄せて反論する。
「付け焼き刃で装備を変えたところで、使いこなせねえだろ。普通の武器でも新調したら手に馴染むまでに時間はかかる。それが、魔法の武器ならなおさらだろう」
「ふーん。そういうものなのね。……ところで、アンタそんな奴ら相手にして勝てるの?」
「さあな」
「さあって……護衛の意識がないわね。アンタ」
シェリーは軽蔑の視線をライアンへ向ける。
「オッサンは守るぜ。いざとなれば、俺が時間を稼いでオッサンを逃がせばいい。だが、勝てるかどうかとなると話は別だ。話を聞いた限りじゃ、かなり強そうだが、実際にやってみないとわからねえよ」
そう語るライアンがふと扉の方へ顔を向けた。
間もなくして扉をノックする音がした。
リリアはライアンの顔を見た。
「大丈夫だリリア、開けてもいい。ならず者の足音じゃない」
リリアが扉を開けると、入ってきたのは、フランツとエマの二人だった。
「おや? これはまた賑やかですね」
入るなり飄然とフランツが言った。
シェリーとトリシアはその顔に緊張を走らせるが、ライアンは至って落ち着いていた。
「よお、丸眼鏡。久しぶりだな。奇跡監査官だって? 難しい仕事しているんだな」
ライアンの軽妙な口ぶりにフランツも笑顔で応じる。
「……どうやら、肩書の説明は不要のようですね。そういう貴方は、自警団のライアンさんですね? 噂はうかがっていますよ。なんでも自警団随一の使い手だとか」
フランツはそう言いながら、無造作にライアンとの間合いを詰めた。
間合いが交わる瞬間、両者の間にピリっとした空気が流れた。
「勝手に間合いに入るなよ。荒い挑発だな」
「この間のお返しですよ。この程度の挑発には乗らないでしょう? それと、私の名は丸眼鏡ではなくフランツです。お見知りおきを」
フランツは手を差し出しながら言う。その手をライアンはしっかりと握り返した。
「……ああ、よろしく。で、何の用でオッサンの所に? まさか、盗賊団じゃないだろうな?」
その言葉に反応するように、フランツの後ろで殺気が膨らんだ。
エマが射殺すような視線でライアンを見ている。
「……エマちゃん落ち着いて。ただの冗談だから」
フランツが宥めるとエマの殺気は引っ込んだ。
しかしライアンを見る視線は鋭いままだ。
やれやれといった様子でフランツは眼鏡の位置を直す。
「クロイツさんの様子を見に来たのですよ。ですが、要らない心配だったみたいですね。これだけ護衛がいれば、大丈夫でしょう」
「オッサンと知り合いなのか?」
「ええ、例の杖の件で、以前お話をさせて貰いました」
ピクリとシェリーが反応した。
「例の杖って……」
「クロイツさんが錬成に成功した、『万療樹の杖』ですよ」
「貴方が話に来たということは、まさか、奇跡認定を?」
「その通りです。『万療樹の杖』にはその価値があります」
目を見張る事実にシェリーはトリシアと顔を見合わせる。
「奇跡認定となったら、杖はどうなるの?」
「それも、クロイツさんとお話させて頂きましたが、競技会が終わったあとは、教会に譲って頂くことになっています」
シェリーは少し考え込む。
「ヨハン、話は穏便に進んだのかしら?」
シェリーは意味ありげな質問をヨハンへ投げかけた。
「ん? 別に、普通に話をしただけだ」
「脅されたりとか、してないのね?」
「してねえよ」
そのやり取りにフランツがふっと笑った。
「どうやら、教会に悪いイメージがあるようですね」
「少し調べたけれど、教会にも過激な噂があるからね」
「まさか、これでも神に忠誠を誓った敬虔な信者ですから、手荒な真似なんてしませんよ」
「神の厳しい側面を顕現させる人もいるんじゃなくて?」
「なかなか、手厳しいですねえ……」
そう言った後、フランツは辺りを見回す素振りをした。
ライアンも同じ反応をしていて、微かな殺気を放っている。
「おい、フランツとか言ったな。つけられていたんじゃないのか?」
「まさか、そんなヘマはしませんよ」
「結構な人数ですね」
エマの方も扉の外を睨みながら警戒している。
そのただならぬ雰囲気を察したヨハンが立ち上がる。
「お、おい、何の話をしている」
「外に殺気立ったやつらが大挙してやってきているんだよ」
ヨハンの問いかけにはライアンが返答した。
「例の盗賊団か?」
ヨハンが緊張に顔を強張らせて言う。
「違うな。人数が違うし、こんな不細工な殺気を放つような奴らじゃないだろう」
「同感ですね。おそらくは『万療樹の杖』の噂を聞きつけたゴロツキか、盗賊くずれでしょう」
相変わらずフランツは緊張感の欠片もなく飄然と言う。
「仕方ねえ、やるか」
ライアンはソファから立ち上がり、扉へと歩く。
「手伝いますよ」「私も」
フランツとエマもそれに続く。
「では私も」
トリシアも殺気めいた目つきで立ち上がる。しかしライアンはそれを制した。
「トリシア、お前はここを頼む。ま、誰も入れないとは思うけどな」
「わかった」
トリシアの返事を確認して、ライアンは野獣のような目つきへと変わった。
そして、扉へと手を掛けた。