――これは好都合だ。
ヨハンの工房の向いにある廃屋。
その二階の部屋でヴァルゴはほくそ笑んだ。
彼は『万療樹の杖』の持ち主であるヨハンの身辺の偵察に来ていた。
しかし彼の工房からは、得体の知れない気配が漂ってきており、彼の長年に経験に基づく勘が、工房に近づくことを忌避させていた。
そして何よりも後から来た二人の男女。この二人はまた異質な空気を纏っていた。
揃いの軍服のような制服を着込み、一分の隙も見せずに歩く姿は手練れの軍人を思わせた。
さながら要塞のような雰囲気の工房を前に、偵察にあぐねていたヴァルゴ。
しかしそんな彼に幸運が舞い降りる。
いかにも盗賊くずれといった風体の男たちが、ヨハンの工房の前に押しかけて来たのだ。
彼らの雰囲気から察するに工房に押し入ることは明らかであり、彼らがひと暴れしてくれれば、工房の中に居る連中の実力を見ることができるのだ。
高みの見物を決め込んでいるヴァルゴの眼下にて、ゴロツキ共は突撃のタイミングをうかがっている。
先頭にいるリーダー格の男が周りを見回す。
部下たちの準備が整っているのを確認して、右手を上げた。そしてその手が降りる瞬間。
大きな音とともに、工房の内側から扉が開け放たれた。
予期せぬ出来事に男どもは身構える。
そんな緊張感で満たされた場に三人の男女が悠然と現れた。
「おー、いっぱい集まってるなぁ」
一番最初に出てきた自警団の制服を来た男――ライアンが辺りを見回しながら呑気に言った。
次いで出てきたのはそろいの制服を纏った二人組の男女――フランツとエマだった。
「外に出て正解でした。この数が中で暴れられると厄介でしたね」
フランツも呑気な口調で言う。
両者とも場の緊張感などどこ吹く風といった様子だった。
「お、お前ら、何者だ!」
ゴロツキのリーダーが唾を飛ばしながら叫んだ。
「何者だって、そりゃこっち台詞だろ。お前らこそ人の家の前で武器ぶら下げて、何の用だよ」
ライアンが不敵に笑いながら言った。
「うるせえ、命が惜しけりゃ帰んな、自警団の兄ちゃん」
「ああ? それもこっちの台詞なんだよ」
後ろ頭を掻きながら面倒くさそうにライアンは言う。
すると、いつの間にかエマがリーダーの前に進み出ていた。
「あん? なんだ、女、命乞い――」
リーダーの男が言い終わる前に、エマの拳が男の腹部に深々とめり込んだ。
エマが拳を引くと、男は気を失ったか何事も発せずに、その場に崩れ落ちた。
「おい、まだ話の途中だぞ」
ライアンは文句を言う。
しかし振り返ったエマの表情に悪びれた様子はない。
「時間の無駄です。どうせ叩き潰すのなら、言葉は不要です」
ライアンの横でフランツが大きなため息をついた。
「すまないね。いつもこうなんだ……」
「アンタも大変そうだな……」
相変わらず緊張感の欠片も無く、ライアンはフランツと言葉をかわす。
しかしその間に、リーダーを失ったゴロツキ共は決心を固めたようだった。
「やるぞ!」
ひとりが叫ぶと、周りも呼応するように叫ぶ。
せきを切ったようにゴロツキたちは武器を掲げて、ライアンたちに襲いかかった。
それは、偵察に来ていたヴァルゴにとって待望の瞬間であった。
ここでゴロツキ共があの三人と刺し違えでもするものなら、偵察など面倒な真似はせずに、この場で杖を奪ってしまえばいい。
そんな考えも頭には浮かんでいた。
しかし彼のそんな打算は、みるみる立ち消えてしまった。
ライアンたちの前では悪漢共は物の数では無かった。
直線的に相手の陣形を崩して行くライアンに対して、向かってくる相手をカウンターで仕留めるフランツとエマ。
戦い方は違うものの相手の攻撃にはかすりもせずに、一撃で相手を沈めていく。
おそらく二十人以上は居たと思われる悪漢共は、あっと言う間に数を減らしていった。。
ライアンたちの圧倒的な武力に、物陰に潜むヴァルゴは青ざめる。
そして、一瞬だけ気配を消す意識を緩めてしまった。
その瞬間、ライアンとフランツの視線が、廃屋の二階へと飛んだ。
直視されるのは避けたものの、確実に感づかれたことを認識したヴァルゴは、すばやく懐から石を取り出す。
そしてその石に魔力を込めると、わずかに石は輝いて辺りは静寂に包まれた。
そのままヴァルゴは音も無くその場を逃げ出した。
「追うか?」
「いえ、不自然に気配が消えました。深追いは危険ですね」
ライアンの提案をフランツが柔らかく退けた。
ちょうどその時、エマが最後の一人の腹を蹴り上げて気絶させたところだった。
エマは振り返って辺りを見渡す。
「もう居ないよ。残りは逃げちゃったみたいだね」
そうフランツに声を掛けられたエマは不敵にニヤリと笑った。
「どうしたんだい?」
「私の方が多く倒しました」
エマは得意気に語る。
それを聞いたフランツはまたしても大きくため息をつくのだった。
************
しばらくすると、騒ぎを聞きつけた自警団の一団が現れた。
道のあちらこちらにゴロツキ共が転がっている光景をみて団員たちは驚いていた。
そして、そのうちの一人の中年団員がライアンに近づいてきた。
「――ライアン、何があったんだ?」
「押し入り強盗が来たから、返り討ちにしておいた」
ライアンは淡白にそう答えた。
中年団員は周りをもう一度見回した。
「……この数を、一人でか?」
「いいや、あそこの二人にも手伝ってもらったけどな」
「そ、そうか、たった三人で……」
「とりあえず、俺はここの護衛があるから、この連中の連行は任せていいかい?」
ライアンは親指で工房を指しながら言う。
「ああ、こっちは人数が揃っているから、連行は構わない。……そうか、ここはヨハンの工房だったか」
「そうだ、オッサン――ヨハンの護衛は俺の担当だからよ」
「そうかい、でも無理はするなよ、例の三人組が来たら、逃げるのも手だぞ」
「ああ、わかっているよ」
中年団員はライアンの肩をぽんと叩く。
そして他の団員たちの連行作業に加わった。
ライアンは一つあくびをして工房へ戻ろうとしたが、フランツとエマの二人は険しい顔で、通りの奥の方を見つめている。
「どうした? フランツ?」
「……どうやら、国軍兵団もお出ましのようです」
「国軍兵団?」
ライアンもフランツたちの視線の先を見る。
すると通りの向こうから、一人の騎兵を先頭にした二列縦隊の歩兵たちがこちらへと向かってきていた。
綺麗に整列した隊列は一糸乱れぬ統率された動きで行進している。それを見るだけで彼らの練度の高さがうかがえた。
先頭の騎兵がライアンの前までやって来た。
騎兵は馬上から無言でライアンを見下ろす。無表情で睥睨するような冷たい視線だ。
「話があるなら、馬から降りたらどうだい?」
ライアンの言葉に騎兵は顔色一つ変えない。
その騎兵はライアンを相変わらず冷たい眼で見下ろしてくる。
「『万療樹の杖』は無事か?」
騎兵は端的に聞いてきた。
「ああ、無事だ。というか誰だアンタ?」
粗野な口調で問いかけるライアン。
後ろの兵士たちがにわかに緊張しているのが伝わってきた。
「まず、自分が名乗れ」
「……まぁ、そうだな。俺はライアン。今はここの自警団をしている」
「アイゼンフェル国軍兵団のラルハザールだ。ヨハン・クライツは居るか?」
ラルハザールは無感情のまま問う。まるで独り言のような口調で。
常人ならば立っていられない程の威圧感をラルハザールは放っているのだが、常人離れした胆力を持つライアンはいたって平静だ。
「ああ、居るぜ。オッサンも無事だ」
「杖を持たせて、ここに連れて来い。直接確認をする」
ラルハザールは命令口調で言う。
微かにライアンの纏う空気が揺らいだ。
「直接確認したいなら、馬から降りて、自分で中に入ればいいだろ。人を使ってんじゃねーよ」
ラルハザールにライアンは挑発的な口調で返す。
するとラルハザールは後ろの兵士の方へ顔を向ける。
「おい」
「ハッ、ただちに!」
ラルハザールの言葉とほぼ同時に、後ろの兵士の一人が返事をして、工房へと入っていった。どうやら、ヨハンを呼びに行ったらしい。
待っている間、ライアンとラルハザールは睨み合ったままだ。
ややあって、ヨハンが杖を大事そうに抱えて出てきた。
そこでようやくラルハザールの視線がライアンから外れた。
兵士に促されてヨハンはラルハザールの前に立った。
「ヨハン・クロイツか?」
「あ、ああ、そうだ」
「その杖が『万療樹の杖』か?」
ラルハザールの威圧にあてられて、ヨハンは首肯だけで応える。
「よろしい。その杖の警備は厳重にすることになった。国軍兵を警護としてここに配置する。そこの自警団は帰らせろ」
「自警団は別に国軍に従う必要はねえんだろ?」
ライアンは馬上のラルハザールに向かっていう。
ラルハザールが後の兵士に顎で合図をした。兵士はライアンの前に進み出る。
「自警団は国軍兵と同じく、ラルハザール将軍の隷下に加わることが決まった。従って、今の命令は自警団団長の命令よりも上位命令となる。よって、お前のヨハン・クロイツ殿の護衛の任は解かれた。速やかに撤収するが良い」
「……なるほどね。まぁ、いいさ、じゃあ、そのうち帰るよ」
「そのうち、では無い。速やかにだ」
兵士が毅然たる口調で言った。
「そんなこと言ってないだろ。そこの将軍さんはただ「帰らせろ」って言った。いつまでにとか速やかにとかは一言も言ってねえだろ」
「お前、そんな屁理屈が――」
「――よい」
のしかかるような重い響きを持った声が馬上から振ってきた。
「帰投するぞ」
「ハッ!」
兵士はラルハザールの言葉にすぐさま返事をする。そして駆け足で隊列へと戻った。
ラルハザールは馬上からライアンを見下ろす。
「自警団、お前名前はなんという?」
「ライアンだ。さっきも名乗ったぞ」
ラルハザールは返事もせずに踵を返した。そしてそのまま部下を引き連れて去っていった。
国軍兵団が去ってその場の空気がやわらぐ。
ヨハンは大きく息を吐き出した。そして信じられないものを見るような目でライアンを見る。
「お前、あんな怖そうな兵士によくあんな口をきけるな……」
「あ? そうだな。すげえ迫力だったな」
ライアンはからりと言う。ヨハンは顔が引きつらせて笑った。
「頼もしさを通り越して、怖くなったぞ、俺は」
そんなヨハンの言葉が耳に入っていないかのように、ライアンは国軍兵団が去っていた通りの向こうを見つめ続けていた。