暗い部屋の中、一本のロウソクが燭台に静かに立ち、揺らめく炎が淡く光を投げかける。
その儚い灯りが、壁にいくつかの影を浮かび上がらせ、不規則に揺れ動いている。
影は生き物のように形を変え、静寂の中でわずかな気配を感じさせる。
「――杖の方は一旦置いておく。リストの残りを先に片付けるぞ」
影の一つが喋った。
「それほどの使い手、興味がある」
大きな影が反応した。
「やめときなサイラス。依頼が優先だ。お前みたいな戦闘狂に付き合っている暇はない」
長い髪を揺らした影が呆れた口調で言う。
「アンブローズの言う通りだ。あれが俺の見立て通りに教会の手の者だったら、想像以上に厄介だ。正面きっての襲撃は諦めるぞ」
小さな影がアンブローズの言葉に反応した。
「正面からの襲撃は諦めるとして、他に手立てはあるのか? ヴァルゴ」
アンブローズが小さな影――ヴァルゴに問う。
ヴァルゴは僅かに口角をあげる。
「まぁ、そっちの方は俺に任せろ。それじゃあ、今日の襲撃の段取りの確認だ――」
そして幾つかの言葉が交わされた後に闇の中の会合は終わった。
誰も振り返らず、足音さえも殺すように、ひとり、またひとりと闇へと消えていく。
灯りが消された部屋に残されたのは冷え切った空気だけだった。
************
次の日――。
「――合計で七軒か。いいようにやられているな」
「そうね。今回は国軍兵も増員して、その国軍兵は魔法の武具を装備していたのにね」
ライアンの言葉にシェリーが応える。
ここはヨハンの工房。
前日に続いてシェリーとトリシアは工房を訪れていた。彼女たちは三人組の盗賊団による被害情報の伝達に来たのだった。
「相手方が一枚上手だったみたいだな。奴らは三方に分かれて陽動を行って、その後に警備が薄くなった工房から襲撃をしていったそうだ」
トリシアが詳細の情報を補足する。
「手薄とは言え、警備は居たんだろ?」
ライアンは怪訝に問うた。
それにもトリシアが答える。
「もちろんだ。その中には魔法の武具で装備を固めた国軍兵も含まれている。だが結果は無惨な敗北だったらしい。まぁライアンの言った通り、付け焼き刃では敵わなかったということだろう」
「陽動に踊らされて、兵力分断をしたら数の優位は消える。そりゃ、そうなるだろうな。あの将軍、偉そうにしていた割には無能だな」
「――このリスト、見せてくれるか?」
そう言ってヨハンがテーブルの上の紙を掴む。
その紙には襲撃された工房の名と被害結果が書かれていた。ヨハンはリストを見ながら眉を寄せる。
「やっぱり、どこも実力の高い錬金術師の工房だな。イグナシオ……あいつの所も襲撃されているのか……」
「そうだ、彼の工房も昨日襲撃を受けている。しかし彼の工房は特に警備が厚かったからな、警備の兵は数人やられてしまったが、イグナシオ本人と工房自体は無事だった」
「そうか……アイツは無事か」
トリシアの説明を受けてヨハンが意味ありげにつぶやいた。
そして、リストをテーブルの上に戻した。
「それにしても、いよいよ競技会は明日からね。ヨハンはいつ登場するの?」
「うん? 俺か? 俺は一日目、明日の実演披露会に出るぜ」
シェリーの問いにヨハンが答えた。
「ふーん。初日って若手の錬金術師ばかりが出るって聞いたけど?」
「若手っていうより、実績が無い奴らから早く出ることになっているんだ。だから有名な奴は大体最終日の三日目に登場だな。俺はここ数年全く実績が無いからな、無名扱いだ」
「でも、その評価が一変するわね。なんてたって、出品するはどんな病気や怪我でも治す杖だからね」
シェリーが瞳を輝かせて言う。しかしヨハンは物憂げな顔で呟く。
「まぁ、そういけばいいがな……」
その様子を怪訝に見るシェリー。
「どうしたの? ひょっとして警備のことが心配なの?」
「いや、そっちの方は心配してねえ、ライアンと嬢ちゃんは泊まり込んでくれるし、向いの家には国軍兵たちも居る。実演披露の当日も大丈夫だろ。ただ……」
「ただ? どうしたの?」
「いや、そう上手くいくのかって思ってな……」
遠くを見るような目でヨハンは呟いた。
そして彼は一同に背を向けて、作業机で作業をし始めたのだった。
一同は顔を見合わせる。しかし、誰もヨハンの真意を知るものはいなかった。
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シェリーたちが引き上げた昼下がりの工房。
ヨハンは作業机で時おり酒瓶をあおりながら、何か作業をしている。
ライアンはソファで寝そべってぼうっと天井を見上げていて、リリアはその隣で本を開いていた。
工房にはとても静かで穏やかな時間が流れていた。
ふと、ライアンは身を起こした。
「なぁ、オッサン」
ライアンはヨハンの背中に声を掛けた。
「なんだ?」
振り返らずに返事だけをするヨハン。
「競技会ってのは、実演披露の三日間が終わったら、もう終わりなのか?」
「その後、さらに三日掛けて審査が行われる。その結果が発表されたら終わりだ」
「そうか……」
「ライアン、お前の言いたいことは判っているよ」
ヨハンはここでようやく振り向いた。
「契約のことだろ? もう、『アルカナス目録教書』の中の物を二つも錬成させてもらって願いは叶ったし、心配しなくてもきちんと払うもんは払うから安心しな」
リリアは本から目を離してそのやり取りを聞いていた。
そのリリアに気づいたヨハンは爽やかに微笑む。
「あ、あの、ヨハンさん」
「ん、なんだ?」
「ヨハンさんは会っておきたい人とか、いないのですか?」
一瞬だけヨハンの表情が固まった。
しかし、すぐに笑顔に戻ってリリアに尋ねる。
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「い、いえ、特に理由は無いのですが、ご家族とかいないのかなって、思っただけです」
「……家族か」
そう言いながらヨハンがバツの悪い表情を見せる。
「なんだ、オッサン、家族いるのか?」
ヨハンの表情も読まずにライアンは無遠慮に聞いてくる。
「いないことも無いが、会えねえからな。もう会わないと約束をしてしまっている」
「なんでそんな約束をしたんだよ」
「まぁ、それが俺の贖罪だからな」
「贖罪? オッサンには似合わねえ言葉だな」
笑いながら言うライアンにヨハンも自嘲気味に笑う。
「確かに俺には似合わねえな。でも、背負ってしまったもんはしょうがねえよ」
ヨハンがそう言って酒瓶をあおった。
そして、空になった瓶を床に置いて立ち上がり、酒瓶が並ぶ棚へ向かう。
「――ヨハンさんが、錬金術をやらなくなったのも、贖罪ですか?」
リリアの言葉にヨハンの動きが一瞬止まるが、すぐに新しい酒瓶を手に取り栓を抜いた。
「鋭いな嬢ちゃん。だが錬金術をやらなくなったのは、贖罪というよりも、錬金術が俺の罪そのものだ」
「罪、そのものですか……」
ヨハンは作業机の椅子に戻り、新しい酒瓶から酒を一口飲む。
そして口元を拭いながら語り始めた。
「俺はこれでも昔はちょっと名のしれた錬金術師だったんだ。そこそこ金も稼いでいたし、結婚もして子供もできた。
だが、子供ができた後くらいだったか、欲が出てしまってな。まぁ、要は調子に乗っていたんだろう。それで手を出してしまったのさ、あの『アルカナス目録教書』に」
ヨハンは本棚の中の『アルカナス目録教書』をちらりと見る。
「そこで、最初に大失敗でもしていれば、諦めもついたんだろうが、なまじ腕が良かったからな。
一発目で最後の工程まで行けてしまったんだ。それでますます調子に乗ってのめり込んでいった。
いや、取り憑かれたと言っていいだろうな。それからは金と時間を食いつぶすだけだった。
何度やっても成功しない錬成を、周りが止めてもやり続けた。
そして金が底をついて、最期に家族と話したのが、いつだったかもわからなくなった頃、ついに女房と実の母親から見限られたのさ」
ヨハンは手元の酒瓶をしみじみと眺める。
「あとは見ての通りだ、酒ばっかりのんで、借金を造る錬金術師をやっているよ」
「悪魔との契約で、『アルカナス目録教書』を成功させるよりも、家族との不和を解消することを望んでも良かったのではないのですか?」
リリアの問いにヨハンは苦笑いをする。
「一瞬、それも頭をよぎったが、それじゃ俺の中の罪は消えねえ。せめて何か罪滅ぼしをしたくてな。結局、俺には錬金術で罪滅ぼしするしか思いつかなかった。それにアルカナスの誘惑にも勝てなかったよ」
ヨハンはそう言ってまた一口酒を飲む。
「……っておい、しんみりするなよ」
「オッサンのせいだろうが」
ライアンの指摘にヨハンは笑う。
「ええと、何の話だったかな? ああ、そうだ、最期に会いたい人だったか。居ないと言えば嘘になるが、俺は会わねえ。それだけだ」
そう言うと、ヨハンは作業机の方へ向き直り、作業を再開した。
再び工房には静かで穏やかな時間が流れ始めた。