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激突

 街外れにある古びた廃倉庫――。


 周囲には雑草が腰の高さまで伸び、風が吹くたびに乾いた音を立てて揺れている。

 壁には至る所に穴が空いていて、無数の傷跡が刻まれている。木製の扉は崩れ落ちて地面で朽ちていた。


 祭りの賑やかさもここには届かない。ひっそりと静まり返る倉庫の前にヨハンは立っていた。


 ヨハンは手元の紙片に視線を落とす。


 周りを見渡して、紙に書かれた場所がここであることを確認する。そして雑草を掻き分けて倉庫の中へと入っていった。


 倉庫の中は以外に広く、教会の聖堂ほどの大きさであった。


 壁の近くには木箱や木材が乱雑に積まれている。


 土の床の上をヨハンは慎重に歩く。そして倉庫の中央辺りまで来た時。


「――止まれ」

 不意に後ろから声を掛けられた。女の声だ。


 辺りを警戒しながら歩いていたはずなのに、いつの間にか後ろを取られていた。


「振り向くな。前を向いて歩け」

 後ろの女――アンブローズは命令した。ヨハンは言われた通りに歩く。


 すると、倉庫の奥のうず高く積まれた木箱の陰から、小柄な体躯に醜悪な笑みを浮かべた男――ヴァルゴが現れた。


「ようこそ、ヨハン・クロイツ。杖は持ってきたか?」

 ヨハンはヴァルゴを睨みつける。


「ああ、持ってきた。だが、人質の確認が先だ」

 ヨハンはそう言った。すると木箱の陰からもう一人男が現れた。


 背は大きく頬に傷がある男――サイラスだ。そして何よりも、彼は小脇に赤毛の少女を抱えていた。少女はぐったりとして動かない。


「ハルディア!」

 ヨハンは叫んだ。


「慌てるな。ただ眠らせているだけだ」

 ヴァルゴがヨハンを制するように言う。


「本当だろうな?」


「そんなに怖い顔をするなよ、ヨハン。俺たちだってこんな子供を手に掛けるほど、非道じゃない。ましてや父親の前でな」


 ヨハンは射殺さんばかりの視線でヴァルゴを睨んでいる。


 それを見てヴァルゴがあしらうように笑う。


「早速だが取引の時間だ。杖をこっちに渡しな。そうしたらこの子は返してやる」


「本当に眠っているだけかを確認する。その子を先に返せ」

 ヨハンの抵抗にヴァルゴは面倒くさそうな顔をする。


 そして隣のサイラスに目で合図をした。サイラスは無言でハルを抱えたままヨハンに近づく。


 そしてあと数歩のところで立ち止まり、地面にハルを横たわらせた。

 そのままサイラスはまたヴァルゴの隣に戻っていった。


「さぁ、返したぞ。確認するなり好きにしな」


 ヴァルゴのいい終わりも待たずにヨハンはハルに駆け寄って。

 その小さな身体を抱きかかえた。ハルの口元に耳を近づけて、静かな寝息を確認したヨハンは、大きな安堵のため息をついた。

 胸を撫で下ろすヨハンの背後に女――アンブローズが近づく。ヨハンが振り向くと、アンブローズは手を差し出してきた。


「約束は果たした。杖をよこせ」

 ヨハンはヴァルゴたちの方を見た。


 ヴァルゴは木材に座ってニヤニヤと嗤っていて警戒心は感じられない。

 横の大男――サイラスも腕組みをして退屈そうな顔をしている。


 これならば、この後ろの女さえどうにかすれば――そう考えた時。


「つまらないことを考えるな」

 女がヨハンの思考を見透かしたように、殺気をまとった声音で告げてくる。


 ヨハンは舌打ちして、布袋に入った『万療樹の杖』を手渡した。


 アンブローズは袋の中の杖を見た後、ヴァルゴたちの方へ投げた。

 それを受け取ったサイラスを伝って、最後はヴァルゴの手の中に杖は渡った。


「さあ、こっちも約束の物は渡した。もう帰っていいだろう」

 そう言ってヨハンはハルを抱いて立ち上がった。


 しかし立ち去ろうとするヨハンの前に、アンブローズが立ち塞がった。


「な、なんだ、まだ用があるのか」

 アンブローズは聖堂で見せたような蠱惑的な笑みを浮かべる。


 すると突然、ヨハンの腕が後ろから絡め取られた。

 後ろを見ると、いつの間にかサイラスが背後にいた。


「い、痛え!」

 腕に走る激痛に身をよじるヨハンから、アンブローズがハルの身体を奪い取った。


「お、おい! どういうことだ! 杖は渡しただろう! その子を返せ!」


「――まだなんだよ、ヨハン」

 杖を持ったヴァルゴが嗤いながら呟いた。


「まだって、どういうことだ!」


「まだ確認が済んでいない。この杖が本当に『万療樹の杖』かどうかの確認がな」


「そんなもん、適当にかすり傷でもつけて、治してみればいいだろうが」


「それはもう試したんだよ、ヨハン。だが、この杖はそんなもんじゃないんだろう? 聞くところによると、どんな傷でも病気でもたちどころに治すらしいじゃないか。たとえ瀕死の傷を負ったとしてもこの杖があれば助かる。そうなんだろ?」

 ヴァルゴは嗜虐的な笑みを浮かべてヨハンににじり寄ってきた。


「お、おい、まさか……」


「そのまさかだよ。さあ、ヨハン選べよ、杖の実験台になるのは自分かその娘か。だが心配しなくていい。どんなに深い傷でも俺がちゃんと治してやる。ちょっと痛いだけだ」


「この、ゲス野郎が……」

 次の瞬間、ヴァルゴの蹴りがヨハンの腹にめり込む。


 うめき声を上げてうずくまるヨハンに、ヴァルゴが冷徹な目で口だけ笑みを浮かべて告げる。

「言葉を選べよヨハン。ふたりとも実験台にしてやってもいいんだぞ」


 ヨハンは苦悶の表情を浮かべながらヴァルゴを睨む。


「……実験が終わったら、その子を解放するか?」


「もちろんだ」


「……わかった。実験台は俺にしろ」


「さすがだヨハン。親の鏡だ――――だが、バカだな」


 ヴァルゴは地面でうずくまるヨハンの腹を思いっきり蹴り上げた。

 そして何度も何度も顔や胴体を蹴り続けた。ヨハンは避けることもせずに無抵抗のまま、暴力を受け続ける。


 広い倉庫には人が蹴られる音と、うめき声だけが響いていた。


 そうやって数え切れないほどヨハンを足蹴にしたヴァルゴが息を荒くしていた。


「娘を差し出せば、自分はこんな思いをせずに済んだものを。本当に愚かだお前は。今さら父親ぶって何になる? 

 知っているぞ、お前たち親子はもう終わっているのだろう? 口をきくことすら許されていない娘など、居ないのも同じだ。

 それを助けて何になる?」


 ヴァルゴは言い終わりに再び腹を蹴り上げた。


「……ち、……違うな」

 息も絶え絶えなヨハンの口から吐息のような声が漏れ出る。


「あ?」



「……居なくなっていない。その子が俺の中に居ない日など……一日だって無かった」



 ヨハンはヴァルゴを睨みつける。

 その顔はまぶたが腫れ上がりアザだらけであった。しかし瞳だけはその輝きを失わせることなく、強靭な意志を宿していた。


「……フン、いいだろう。少し趣向を変えてやろう」

 ヴァルゴは胸元から一本のナイフを取り出した。


「これから、一本ずつお前の指を切り落としていく。止めてくれと言えば、止めてやる。だがそのときは、実験台はあの娘に代わる。いいな?」


 鈍く光るナイフをヨハンの目の前に突きつけて、ヴァルゴは再び嗜虐的な笑みを浮かべた。


「好きにしな」

 ヨハンの瞳は曇らず、まっすぐにヴァルゴを見据えながら言った。


「……いい覚悟だ。せいぜい頑張りな。おいサイラス、コイツを抑えていろ」

 サイラスはヨハンの背中にのしかかり動きを封じる。

 そしてヴァルゴはヨハンの手を掴み、ナイフをあてがう。


「せめて、一本くらいは耐えてみせろよ」

 ヴァルゴが手元のナイフに力を込めた時。


 ――天井から人が降ってきた。


 その気配にいち早く気づいたサイラスは、ヴァルゴを捕まえてその場から離脱した。


 次の瞬間、ヴァルゴが元いた場所に剣が振り下ろされ、衝撃音とともに地面を穿った。


「オッサン、無事か!」

 降ってきたのはライアンだった。


 さらに天井に人の気配。


 今度はアンブローズを目がけてフランツが降ってきた。


 アンブローズは即座に反応して落下地点から離脱するが、着地ざまに放たれたフランツの拳に被弾し、思わずハルの身体を放してしまった。 


 それを素早く受け止めたフランツは、腕の中の少女の無事を確認する。


「ライアン、こっちの女の子は無事です」


「ああ、オッサンもなんとか生きている」

 ヨハンは何が起きたのかよく判らないといった表情でライアンを見上げる。


「……ライアン? どうして、ここが……」

 ライアンはニヤリと笑う。


「オッサンの造った便利な道具のおかげさ」


「俺の道具?」


「ああ」

 そう言ってライアンは倉庫の入口を見やる。

 するとそこにはリリアとエマの姿があった。


「ヨハンさん! 大丈夫ですか!」

 リリアは悲鳴に近い声を上げながらヨハンに駆け寄ってきた。

 そのリリアの手に握られているものを見て、ヨハンは声をあげる。


「嬢ちゃん、それは、『願人の聖水晶』。……そうか、それで俺を」


「すいません、勝手に使わせてもらいました」


「いや、いいんだ。おかげで助かったよ」


 話を遮るように、ガチャリと鉄の部品同士が結合されるような音がした。

 見ると大男が長い棍棒を構えていた。

 それを見たライアンは口の端を上げる。


「やるみたいだな」


「その様ですね。小柄な男と大男とそして女。例の三人組は恐らく彼らでしょう。ライアン、気を付けてください。彼らは悪魔教団の教団員、しかも使徒かもしれません」


 いつもの飄然とした雰囲気とは違い、瞳に闘気を漲らせたフランツが言った。


「悪魔教団? 使徒?」


「ええ、悪魔教団は悪魔神を信仰する危険な集団。その中でも使徒は幹部の存在です。使徒は常人離れした不思議な力を使うと言われています」


「……へえ」


 フランツの言葉にライアンの瞳にも光が宿る。

 それは肉食動物が獲物を見つけた時のような獰猛な輝きだった。





 ライアンたちが話をしている間にサイラスは既に臨戦態勢に入っていた。


「おい、サイラス。目的の物は手に入れた。長居する必要はないぞ」

 アンブローズが棍棒を構えるサイラスに言う。


「顔を見られた。消しておく必要がある」


「サイラスの言う通りだ、ここで片付けるぞ」

 サイラスの言葉にヴァルゴが賛同する。


 アンブローズは鼻を鳴らしながらも、背中から二本の短剣を抜いて構えた。


「俺があの自警団をまず片付ける。お前らは残りを相手していろ」


 そう言うと、サイラスは地面を蹴った。


 棍棒を振り上げて、猛然と突進を始めた。

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