金属同士がぶつかる甲高い音が響いた。
サイラスが振り下ろした鉄の棍棒を、ライアンは地に背を着けながらも剣で防いでいた。
もう一度サイラスは棍棒を振り下ろした。しかしこれも剣で弾く。
「抗うな。苦しみが長引くだけだ」
サイラスはそう言うと、いっそう大きく棍棒を振り上げた。
その瞬間、ライアンは手近の土くれを投げつけた。サイラスは難なくそれを避けるが、その隙にライアンは危地を脱した。
立ち上がり剣を構えるライアン。
しかし腹を突かれたダメージは大きく、肩で息をしている。
「寝ていれば、楽になれたものを」
サイラスは棍棒を突きの型に構える。
「まだまだこれからって言ったろ」
ライアンも剣を構えたまま前傾姿勢を取った。
逃げることなど忘却の彼方に放り投げた突撃の構えだった。
ライアンが先に動いた。
地面を蹴り、四足歩行の動物のような低い体勢でサイラスへと襲いかかる。
下からの切り上げを放つが、予想の範疇であったサイラスは棍棒を突き出す。
しかし、ライアンの身体がサイラスの視界から一瞬で消えた。
棍棒は空を切った。サイラスの警戒心が跳ね上がった。そして後ろからの気配。
サイラスは振り向きざまに棍棒を突き出した。
そこには剣を振り下ろそうとするライアンの姿があった。
力なく突き出した棍棒は偶然にもライアンの肩に当たり剣は届かなかった。
両者は距離を取る。
ライアンは再び、前傾姿勢の深い構えを取った。
サイラスも棍棒を構えるが、彼の頭の中は混乱に苛まれていた。
必中のタイミングで繰り出したはずの棍棒が空を切るだけならまだしも、相手が視界から消えるなど、理解の埒外だった。
しかし、剣を構えた相手を前にして、焦燥にかられて思考に耽るほど彼は未熟でもなかった。
棍棒の先端に意識を集中し、感覚を研ぎ澄ます。
サイラスの戦闘態勢が整ったのと同時にライアンが動いた。
先ほどと同じく、地を這うような姿勢での突撃。
サイラスは棍棒の先端に殺気を込めて突きを放った。
ライアンの身体が弾けるように横に飛んだ。
恐ろしく速い動きだが今度は見えた。
しかし、次の瞬間サイラスは瞠若する。
ライアンは木箱の側面を蹴って反射するかのように飛んできた。
防御も回避も間に合わず、サイラスは肩口に刺突を食らってそのまま弾き飛ばされた。
巨躯が宙に舞い、激しい音とともに木箱へ叩きつけられた。
そこへ剣を振り上げたライアンが追撃をしてきた。
間一髪、それを避けたサイラスは思わず距離を取った。
攻撃を受けた左肩の傷を確認する。下に着込んでいた帷子のお陰で剣は身体まで届いてはいない。
しかし、刺突の衝撃自体は肩に大きなダメージを与えていた。
「これでおあいこだな」
ライアンは不敵に嗤う。その顔をサイラスが睨みつけてくる。
「貴様、先程までは手を抜いていたのか」
「手を抜いていたつもりはねえが、一発食らったら、目が覚めたみたいだな」
ライアンの言葉にサイラスが鼻を鳴らす。
「だが同じことだ。まだその程度では俺に勝てない」
サイラスは大きく棍棒を振り上げる。そして勢いよく地面に突き立てた。
またしても円状の衝撃波が発生する。
ライアンは両手を交差してそれを受ける。何歩か後ろへ後ずさりを余儀なくされたが、体勢を崩すには至らなかった。
「それはさっき見たぜ。同じ技が通じるほど甘かねえぞ」
ライアンは挑発的に言うが、サイラスは動じずに棍棒を構える。
「これで終わりだと思うな」
サイラスがそう言うと、棍棒の先端からブオォンという振動音がし始めた。
その異質な雰囲気にライアンは身構える。彼の本能が危険を告げていた。
サイラスが突撃して突きを繰り出してきた。ライアンは剣で受けずにそれを躱す。
尚もサイラスは連続で突きを繰り出す。ライアンは後退しながらもその突きを回避し続ける。
背に木箱が触れた。もうこれ以上は後退できない。
顔面への突きが飛んできた。ライアンは首を振って躱す。棍棒は後ろの木箱を貫いた。
その瞬間、木箱が弾けるように粉々に砕けた。
尚もサイラスは連続で突きを繰り出す。
それらを紙一重で躱していくライアン。彼の背後の木箱は次々に砕けていく。
見るからに頑丈そうな木箱が、まるで砂糖菓子のような脆さで散っていく様子にライアンの背筋に冷たいものが伝う。
サイラスの大振りの瞬間を狙って、ライアンは間合いを取った。
無惨にも木片が散らばった光景を見たあとに、サイラスへと視線を戻した。
「ただの鉄の棒じゃないってことか」
「身体で味わってみるといい」
「へっ、当たらなきゃいい話だろ」
ライアンは地に伏せるかのごとく姿勢を低くする。そしてその姿勢から爆ぜるように突撃を慣行した。
当然の如くサイラスが突き技で迎撃を試みた。
しかし、獣のしなやかさでライアンはそれをかいくぐり、相手の懐へと侵入する。そして横薙ぎの一撃を繰り出す。
だが、甲高い金属音とともに、ライアンの攻撃は弾かれた。サイラスは手元に引き寄せた棍棒で剣を防いでいたのだ。
再び、両者の間に間合いができる。
「なるほど。怖いのは先端だけか。他はただの鉄の棒みたいだな」
ライアンの言葉にサイラスはピクリと反応する。
「ただの馬鹿ではないか」
たった一度の切り結びで棍棒の特性を看破したライアン。彼に抱いていたイメージをサイラスは書き換えて、警戒心をもう一段階あげた。
「いいや、ただの馬鹿だよ」
ライアンは再び突撃をする。
ただ真っ直ぐに突っ込むだけなのだが、その速さにサイラスの迎撃は間に合わない。
なんとか剣撃を棍棒で防ぎ、その瞬間に反撃に転じようとするが、その時は既にライアンは間合いの外にいた。
ライアンは縦横無尽にサイラスの周りを駆け回り、一撃入れては退避を繰り返す。
どんどん速さを増していくライアンの動きに、サイラスはさながら暴風雨のなかに放り込まれたような感覚に陥っていた。
このままでは防御を破られる。そう直感したサイラス。
棍棒を振り上げて、地面へ突き立てた。衝撃波が地面を走る。
しかし、ライアンまでの間合いは遠く、体勢を崩すことすらできない。それでも、一瞬だけ彼の脚は止まった。
その一瞬で充分だった。サイラスは棍棒の真ん中あたりを両手で握った。
ライアンが背後から迫る。
サイラスは身体を捻りながら、突きを繰り出した。
それを難なく躱したライアンは剣を振る。
必中を確信したライアンだったが、ありえない速さでサイラスの二撃目が飛んできた。
棍棒を引く動作すら見えなかったのに、何故二撃目が。
ライアンは胸板を打ち抜かれて吹き飛んだ。
地面に叩きつけられたライアンはサイラスを見る。大男は二本の短い棍棒を両手にそれぞれ握っていた。
――そういうことか。
サイラスはライアンが怯んだ隙に棍棒を二本に分解していた。
そしてその二本を使って、時間差の二連撃を繰り出していたのだった。
四つん這いのライアンの口から血が滴り落ちる。
それでも剣を杖代わりにしてライアンは立ち上がった。
その姿にサイラスが眉をひそめる。
「まだやるつもりか」
「へっ、当たり前だろうが。こいよデカブツ」
口の血を拭いながら、強烈な眼光を宿した瞳でライアンは言う。
「いいだろう。一撃で楽にしてやる」
サイラスは二本の棍棒を構えた。
「――そうはいきませんよ」
そう言いながら、ライアンの背後からフランツが現れた。
さらに後ろにはエマも従えていた。
フランツの姿を見て、サイラスが倉庫の中へと視線を巡らす。
そして、地面に横たわる仲間――ヴァルゴとアンブローズの姿を見つけた。
「フン、もともとあの二人には期待していない。俺がお前ら二人も始末すればいい話だ」
サイラスは新たに現れた二人にも殺気を放つ。
「ええ、お相手しますとも。ただ、二人ではなく三人ですがね」
フランツはライアンを指差しながら言う。
「馬鹿が。状況を見てわからないのか。そいつはもう戦える状態ではない」
「普通ならそうですね。ですが――」
言いながらフランツは一本の杖を掲げてみせる。
「――これがあれば話は別です」
サイラスはその杖を見て息を呑んだ。
「『万療樹の杖』……」
「ええ、そうです。本当に便利ですねこの杖は。ヨハンさんも、うちのエマちゃんの傷も跡形もなく消えてなくなりましたよ」
サイラスの表情が険しくなる。さすがの彼とて無傷のライアンに加えて手練れ二人を相手にするのは旗色が悪いと感じていた。
「……どいてろ」
ライアンがフランツを押しのけながら前に出た。
「ライアン。私が時間を稼ぎます。まずは傷を治して下さい」
「何度も言わせるな。どいてろ」
「……一人でやるつもりですか?」
「あのデカブツは俺の相手だ。三人でやるとか、勝手に話を進めてんじゃねえ」
「妙な意地を張っている場合ではありません。死にますよ」
フランツが神妙な面持ちで告げるが、ライアンは聞く耳を持たない。
剣をずるずると引き摺りながらも前に出る。
「おい、デカブツ。お喋りは終わりだ。続きやるぞ」
フランツがその背中に声を掛けようとするがエマに制止された。彼女は首を振りながら言う。
「死ななきゃ治らない馬鹿みたいです」
「あのね、エマちゃん……」
二人がそんなやり取りをかわしている間に、ライアンは剣を構える。
大きく肩で息をしながらも、眼光鋭く闘気に満ちた表情をしていた。
「無理だと判断したら、飛び込みますからね」
フランツはそう言って構えた。その隣でエマも構える。
ライアンはじりじりとすり足で間合いを詰めていく。
対するサイラスも二本の棍棒を構え直して、じりじりと間合いを詰める。
両者の視界から相手以外の姿は消える。
戦いが始まってから、互いに極限まで高めあった闘気はいまや最高潮を迎えていた。
恐ろしく静寂な空間で、二人の間合いがほんの少しだけ重なった。
先に動いたのはサイラス。
一本目の棍棒の振り降ろしでライアンの頭蓋を狙う。
もう片方の棍棒も既に攻撃態勢を取っており、一本目を躱されても、二本目で仕留める二段構えの攻撃だ。
棍棒が当たる瞬間。驚くべきことにライアンは躱すどころか踏み込んできた。
サイラスは一瞬戸惑うが、狙いを補正して棍棒を振り下ろす。
ライアンは棍棒の一撃を腕で受け止めた。受けたのは棍棒の根本だったため衝撃波は起きない。しかし重い一撃にライアンの腕の骨は砕けた。
たたらを踏んでよろめくライアンに二本目の棍棒が襲いかかる。
しかし次の瞬間、サイラスは瞠若する。
ライアンは再び踏み込んできたのだった。
再び棍棒の一撃をライアンはもう片方の腕で受ける。今度も腕の砕ける音がした。
――馬鹿が。
腕を二本とも潰されたライアンを心の中で嘲笑するサイラス。
その一瞬、彼の意識に油断が滑り込んだ。
次の瞬間、真下から彼の顎が跳ね上げられた。
ライアンの飛び膝蹴りだった。
完全に想定外の攻撃を受けて、サイラスは大きく崩れて、無防備な前のめりになる。
顔面にライアンの渾身の力を込めた回し蹴りが叩き込まれた。
「おらぁああ!」
雄叫びとともに脚は振り抜かれた。
サイラスは言葉にならないうめき声とともに、その場に崩れ落ちた。
地面に大の字になって倒れたサイラスを見下ろしてライアンは言う。
「勝負ありだ」
ライアンは口から血を滴らせながらも不敵に笑った。
「……何が起きた? 何故、俺は倒れている」
サイラスは呆然とライアンに問う。
「避けずに前に出た。それだけだ」
サイラスの棍棒の先端にふれると衝撃波を喰らってしまう。
そこでライアンが考えたのは、至近距離にまで近づくことによって相手の衝撃波や攻撃の威力を削ぐことだった。しかし、相手の攻撃の瞬間にあえて踏み込むことは、勇敢を通り越して無謀に近い。
だがこの無謀な行為がサイラスに一瞬の隙を作らせたのだった。
「ふざけた真似をしやがる」
「まぁな、馬鹿だからな」
サイラスは目を閉じる。彼の意識は深く落ちていった。
それと同時にライアンも地面に倒れて大の字となった。
「あー、しんどかった」