兵士の拳がヴァルゴの頬を打ち据えた。
柱にくくりつけられている彼の口に血が滲む。
「――誰だ! 誰に雇われた!」
兵士は声を荒げて言った。
しかし、ヴァルゴは動じず血が混じった唾を吐く。
「雇い主など居ない。錬金術で造ったモノが高く売れると思ったから、やっただけだ」
「嘘をつけ!」
再び兵士は拳を振るう。
倉庫で捕縛されたヴァルゴたちは、国軍兵団の駐屯所へ連行されて、そのまま牢獄へと入れられていた。
そして主犯格であると目されたヴァルゴは、今まさに尋問を受けている真っ最中であった。
兵士が再び拳を振り上げる。その時、部屋の扉が開いた。
現れたのはラルハザールであった。
部屋にいた二人の兵士はすぐさま姿勢を正し、胸に手を当てて敬礼の形を取る。
ラルハザールはそれを一瞥すると、ヴァルゴに視線を向けた。
「吐いたか?」
「い、いえ、予想以上に強情で、まだであります」
「いいだろう、下がれ」
「しかし、二人きりでは危険では……」
ラルハザールは冷たい眼で兵士を見る。
「し、失礼いたしました!」
兵士たちは慌てて部屋から出ていった。
「……教えてもらおうか。誰に雇われた?」
ラルハザールが冷たい眼差しそのままにヴァルゴへ問う。
「誰が来ても同じ答えだ。俺たちはただの盗賊団だ。雇い主なんていねえ」
「そうか」
そう言ってラルハザールはヴァルゴへと近づく。
彼の冷たい視線にあてられて、さすがのヴァルゴの顔にも緊張が走る。
ラルハザールはすっと顔を近づける。そして耳元まで顔を近づけて、何言か耳打ちした。
次の瞬間、ヴァルゴは驚愕に顔を染める。
ラルハザールは再び距離を取る。
「もう一度聞こう。誰に雇われた。吐けば、悪いようにはしない」
ヴァルゴは未だ驚きが覚めやらぬ顔で、身体を震わせている。
そして、彼は呟く。
「イグナシオ……。ダミアン・イグナシオ……」
それを聞いたラルハザールは返事もせずに部屋を出た。
部屋の外で立っていた二人の兵士は、出てきたラルハザールに敬礼をする。
「いかがでしょうか……?」
「これ以上は無駄だ。尋問も裁判も不要だ、処分しろ」
「え、あ、しかし……」
「命令だ」
兵士たちは威に当てられて、再び敬礼した。
それを見ることもなく、通路に靴音を鳴らしてラルハザールは牢獄を後にした。
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ヨハンは柔らかいソファに腰を降ろして、ひとつ息を吐いた。
手でその布地の感触を確かめるように撫でると、滑らかで上質な肌触りが心地よい。
「さすがは、イグナシオ様の部屋だな。俺の部屋の堅いソファとは大違いだ」
イグナシオは鼻を鳴らして、ソファでは無く机の椅子に腰掛ける。
「そんなことを言う為に、わざわざ来たのか?」
ヨハンは愛想笑いを止めて真面目な顔つきとなる。
身を乗り出して、両手を組んでイグナシオの方を見つめる。
「あれはお前の指図か?」
「何のことだ」
「あの三人組を使って、ハルディアをさらって俺の杖を奪い取ろうとしたことだ」
「あの三人組? 強盗団のことか。馬鹿馬鹿しい、私が何故そんなことをしなければならない?」
「お前は教会の聖堂で競技会を棄権しろと言った。そして、それが俺の為だとも言った。その後だ、女が現れて俺に脅迫状を渡してきた。あまりにもタイミングが良すぎる。お前しかいないんだ」
「…………」
イグナシオは答えない。
ヨハンは否定の言葉が出なかったことで確信を強めた。
「どうしてだ。何故、そんなことを……」
「言ったはずだ、もう戻れないと」
「お前はそんな奴じゃなかったはずだ。ただひたすらに錬金術の道を極めようと――」
「――人は変わる。時間がそうさせる。それに、お前にそんなことを言われる筋合いはない。お前の方はどうなんだ。酒に溺れて、錬金術すら捨てていたじゃないか」
ヨハンは申し訳無さそうに、眉を寄せる。
「そうだ、俺は一度錬金術を捨てた男だ。もう捨てるしか無かった。だからこそお前には、お前だけでも、正しくまっすぐに道を進んで欲しかった」
「都合のいいことを」
「お前は賢い。だから、この街の錬金術を守れる存在になって欲しいんだ。今ならまだ間に合う。罪滅ぼしをして……」
「ふん、この街の錬金術を守りたいのなら、ヨハン、お前がやればいいだろう。あの『アルカナス目録教書』を成功させたんだ。その役目はお前こそふさわしいだろう」
「……俺にはもう無理なんだ」
ヨハンは項垂れる。
「何が無理だ?」
「もう死ぬんだ」
イグナシオが驚いてヨハンを見る。
「どういうことだ……?」
「俺は悪魔に魂を売ったのさ」
ヨハンはぽつりぽつりと話し始めた。
ライアンとリリアとの出会いから、悪魔の力を見せられて、契約に至ったこと。
それらの経緯を洗いざらいイグナシオに話して聞かせたのだった。
「――悪魔、馬鹿な、そんな存在が……」
「信じられないか? だが、よく考えてみろ。何故、俺が今更『アルカナス目録教書』の『万療樹の杖』なんて造れたと思う? 全盛期ならいざ知らず、何年も錬金術から離れていて、酒の飲み過ぎで手もまともに動かないのに」
ヨハンは微かに震える手をイグナシオに見せる。
イグナシオが顎に手を当てる。
「アルカナスは人では無かった。そんな説を聞いたことがある。それほどまでに、あの目録教書の錬成は困難、いや不可能だ。何故お前が造れたかは気になっていたが、まさか悪魔の力を借りたとは……」
「軽蔑するだろう? 俺はお前なんかより、大きく道を踏み外してしまった。俺の方こそもう戻れない。だからせめてお前は真っ当になってくれ」
懇願する眼でヨハンは告げた。
「それに、俺がここに来たのは、もう一つ理由がある」
「なんだ」
「さっきも言ったが、俺はもうじき悪魔に魂を取られて死ぬ。だから俺の家族を頼みたい」
「家族だと? ふざけるな、何故お前の家族など」
「頼むと言っても、金銭の面倒をみてやるだけでいい。だが、お前の懐から出して欲しいわけじゃない。俺が造った『万療樹の杖』は教会が買い取ってくれる。その金をお前に託したい」
「……俺が私利私欲に使うとは考えないのか?」
「人は変わるのだろう? 俺はお前がもう一度変わるのを信じている」
二人の間にしんとした静寂な空気が落ちる。
ヨハンはイグナシオの返事を待つが彼は何も答えない。ヨハンは一つため息をついた。
「まぁ、すぐにとは言わないが、あまり時間は無い。考えてくれ、じゃあな」
ヨハンは立ち上がり片手を上げて、部屋を出ていった。
一人部屋に残されたイグナシオは背もたれに身体を沈めて目頭をつまむ。
ヨハンの告白に思考も感情もかき乱されてしまった。
彼は暫く目を閉じて深呼吸を繰り返していた。
やがて、気持ちを整えたイグナシオは、おもむろに立ち上がって本棚から一冊の本を抜いた。
その本を机に置いて表紙を眺める。
その時、窓の外で物音がした。
イグナシオは窓を開けて様子を確かめたが、何も居なかった。しかし、窓を閉めようとした時に、突如として目の前に黒い影が現れて、イグナシオの首元に短剣を突き付けた。
影はそのまま部屋に侵入してくる。
「大きな声を出すな。判ったか?」
影は男の声で言う。
イグナシオは首を縦に振る。
「座れ」
影の男はイグナシオを椅子に座らせて、自身はその背後に立っている。
「何が目的だ。金か?」
イグナシオは小声で背後の男に問う。背後で男がフッと笑う気配。
「――お前の命だ」
男は寒気のするような冷たい声音で告げる。その声にイグナシオは聞き憶えがあった。
「その声、まさか」
「振り向くな」
イグナシオの機先を制して男が言う。
「お前が強盗団を使って、錬金術師を襲わせていたことは、既に調べがついている。だが、お前を軍に引き渡して罪に問うつもりは無い」
「……その代わりに殺すのか?」
「ああ、そう思っていた。だが気が変わった。取引をしよう」
「取引だと?」
「さっきは、大変興味深い話を聞かせてもらった。悪魔が現れたそうじゃないか」
「……ヨハンの話か、フン、そんなモノ、本当か嘘か判らないがな」
「本当だ。悪魔は存在する」
イグナシオは後ろの男が微かに嗤っている気配を感じた。
「まるで会ったことがあるみたいな言い方だな」
しかし男はそれには返答はしない。
「長話をするつもりはない。ある物を造れ。それを造ればお前の罪は黙っていてやる」
「なんだ、そのある物とは?」
「――『封魔の黒耀石』、聞いたことはあるな?」
「悪魔を封じることができると言われているアレか? だが、アレはただの迷信だと――」
「――余計なことは言わなくていい。造れるな?」
男の言葉にイグナシオは緩く首を振る。
「私には無理だ。材料が揃えられない。アレには対象となる悪魔の身体の一部が必要とされている。それがないことには造れない」
イグナシオの言葉に男は押し黙った。
しばらく無言の時間が続いたが、男は再び口を開く。
「……なるほど。ならば彼の力を使うしかないか。だが、お前には協力をしてもらう。揃えられるだけの材料を集めろ」
「悪魔の身体の一部以外の材料か?」
「そうだ。集めた材料は指示された場所へ届けろ。そうすれば、お前の罪は赦される」
男はイグナシオの首筋に短剣をぴたりと添えた。冷えた感触が首に伝わる。
「考える必要は無い。ただ従え。それだけだ」
短剣が首から離れた。それと同時に背後の男の気配が消えた。
イグナシオはゆっくりと振り向いた。
そこには誰もおらず、開け放たれた窓から入る風でカーテンが揺れていた。