ライアンとリリアはハルを家まで送っていった後、街路を二人で歩いて帰路に着いていた。
競技会の方はというと爆発騒ぎがあったことで実演披露は延期となっていた。
だが、街全体で盛り上がっていたお祭りの雰囲気はおさまることは無く、日が落ちても街路は賑わっていた。
いくつものランプが吊るされていて、昼間のように明るい。
そして通りには、大きな声を上げて商売に勤しむ露天商や、そこに群がる買い物客たち、夜だというのにはしゃいで駆け回る子供の姿もある。
それらを眺めながら歩くライアンとリリア。周りの雰囲気とは対照的に、彼らは憂いの表情を浮かべていた。
「――これでいいのでしょうか?」
「ハルとオッサンのことか?」
ぽつりとリリアは言い、ライアンが答える。
「はい、このまま魂を頂いてしまって良いのでしょうか……」
「不履行にすることを考えていたのか」
リリアは頷く。
「ごめんなさい」
「謝るな。それがリリアだって知っている」
「……はい」
「でも、不履行にはできないぞ。オッサンはもう『アルカナス目録教書』の品を二つ造っている。もう願いは叶っているから、期限がくれば契約は終わる。そして、期限が来てもリリアが魂を取らなければ、呪いでオッサンは死んでしまう」
その言葉にリリアの顔の憂いの色が濃くなる。
「せめて、せめて最期に、ハルちゃんと過ごすことはできないのでしょうか? そっちの方がヨハンさんも嬉しいはずですし、このままだとハルちゃんが可哀想です」
「難しいだろうな、オッサンはもう会わねえって決めちまっているからな。あれがオッサンの中では正しい在り方になってしまっている。それを今さら変えるのは難しいぜ」
「その在り方が、本心とは違っていたとしてもですか?」
「自分の本心ってのが判れば、変われるかもしれねえ。でも、自分の本心は隠しているうちに、本当に見えなくなってしまうもんなんだ」
リリアは憂いの顔で空を見上げた。
街の灯りが強いせいか、今日はあまり星が見えない。
「難しいのですね」
リリアは少し寂しげに呟くように言った。
「ああ、面倒くさい」
ライアンは肩をすくめるように返事をした。
街の楽しげな喧騒に紛れて、二人の足音が夜道に溶け込んでいった。
***********
ライアンは工房の扉を開けて中へと入った。
工房の中では、フランツとエマの二人だけがいた。
「あれ? オッサンはどこだ?」
ライアンは工房を見渡して言った。
「ヨハンさんはラルハザール将軍に呼ばれて、出掛けました」
エマが端的に答えた。
「あの将軍に? 一人で行ったのか?」
「いえ、お迎えには国軍兵が何人も付き添っていました」
ライアンはそれを聞いて一安心する。そしてフランツの傍らに置いてある杖を見つける。
「『万療樹の杖』は置いていったのか?」
「はい、これの護衛はそちらでやれ、とのことです」
「ふーん、なんだろうな」
ライアンはリリアと顔を見合わせて首を傾げた。
************
アイゼンフェルの国軍駐屯所。飾りつけもない無骨な廊下をヨハンは歩く。
前には二人の兵士が並んで歩き、後ろにも兵士が一人ついている。
さながら囚人を連行するような物々しさにヨハンは居心地が悪い。
やがて重厚な扉の前に着いた。
兵士が扉をノックして大声を張り上げる。
「ヨハン・クロイツ殿、お連れしました!」
ややあって、中から「入れ」との返答が来た。
ヨハンは兵士に促されて部屋へと入る。
その部屋も廊下と同じく、なんの装飾もされていない殺風景な部屋だった。
だが、置かれている調度品たちは黒く艶めいて、高級そうに輝いている。だれか身分の高い人物の部屋だということは予想できた。
部屋の奥へと進むと、奥の机の前に一人の男が立っていた。アイゼンフェル国軍兵団の団長であるラルハザール将軍であった。
「かけたまえ」
ラルハザールが来客テーブルの椅子を勧めてきた。
ヨハンが座ると目の前にグラスを置き、琥珀色の液体を注いだ。
「南部産の蒸留酒だ」
そう言ってラルハザールは自分のグラスにも同じものを注いで向かいに座った。
付き添いの兵士は一人として入ってきておらず、部屋には二人きりだった。ヨハンは落ち着かなく辺りを見渡す。
「そう固くならなくていい。飲みたまえ」
そう言いながらラルハザールが自身のグラスに口をつけた。
ラルハザールが口をつけたのを見て、ヨハンもグラスを口に運ぶ。いつもの安酒とは違う、澄んだ芳醇な香りが鼻を抜けた。
「単刀直入に言おう。これを造って欲しい」
ラルハザールは一枚の紙を差し出してきた。それは何かの本を破ったものらしかった。
「これは、『封魔の黒耀石』?」
「そうだ、君なら造れるだろう?」
「……い、いや、これは、確か、対象となる魔物の身体の一部が必要だ。それが無ければ造ることができない」
ラルハザールはにやりと口角を上げる。
「いるのだろう? 君の近くに――――悪魔が。君はその悪魔の髪の毛でも取ってくればいい。あとの材料はこっちが揃える」
ヨハンは驚愕に目を見開く。
「ど、どうして、それを。……まさか、ダミアンが!」
「そうだ、ダミアン・イグナシオ、彼に私は相談を受けたのだ」
「相談?」
「大切な友人が悪魔に取り憑かれているから、助けてやって欲しい、とな」
「あいつが? 馬鹿なそんな……」
「だから彼と私は考えた。どうすれば悪魔を追い払えるのか。そこである答えに至った。それがその答えだ」
ラルハザールがヨハンの手元の紙切れを視線で示す。
「これの効果が本当なら、確かに……い、いや、だが俺は約束したんだ。今更それを破るなんてできない」
「――家族と未来。欲しくはないかね」
ラルハザールが真っ直ぐに見つめながら言った。
ヨハンは一瞬たじろぐが、鼻を鳴らして笑う。
「そ、そんなもの、もう捨てた。未練など無い!」
ヨハンは勢い込んで言う。
しかし、ラルハザールは冷たい笑みを浮かべながら、おもむろに立ち上がった。
そして、テーブルの周りをゆっくりと歩きながら近づいてきた。
「なるほど、もう家族に未練はないか。だが、家族の家を調べて、お母さんの病気を治したそうじゃないか?」
「そ、それは、単なる罪滅ぼしだ」
「娘のために、強盗団との取引に応じたそうじゃないか?」
「それは……」
ラルハザールが後ろに回り込んで肩に手を置く。
「ヨハン、言行不一致というやつだ。君の言葉は行動と合っていない。君の本心は家族との未来を望んでいる。ここには私と君の二人しかいない。ここでは嘘をつく必要ないのだ」
「…………」
「見たくはないか? 娘の成長を。伝えたくはないか? 娘へ愛を」
ヨハンはいつの間にか拳を握り込んでいた。その拳は小刻みに震えている。
それを横目で見たラルハザールは口角を上げる。
「君が義理堅い人間だというのは知っている。だが相手は悪魔だ。人の弱みにつけ込んで、魂を奪い取る魔物。古来より人々に忌み嫌われている存在だ。人間同士ならまだしも、そんな悪魔相手に義理を貫いてどうする?」
ラルハザールは再びテーブルの周りをゆっくりと歩き始めた。
「私は、この国の兵士として、一人の錬金術師の尊い命を守りたいのだ。私にそれを手伝わせて貰えないだろうか?」
ラルハザールは自分の椅子に腰を下ろすと、テーブルの上で手を組んで身を乗り出してきた。
「君の娘もきっと喜ぶ」
ささやくような言葉でラルハザールは言った。
ヨハンはグラスを持って中身を一気に飲み干した。そして震える唇から息を吐く。
「あ、悪魔と一緒に腕の立つ剣士が居る。裏切ったら、そいつが黙っていないだろう」
「問題ない。その為に私がいる」
「そいつだけじゃない、教会の奴らも……」
「悪魔は教会の敵だ。悪魔が相手となれば、こちら側につくはずだ」
「……お、俺は……」
「良心が痛むかね? だが、神は君の味方だ。なんといっても悪魔を討つのだから」
ラルハザールは立ち上がって酒瓶を手に取り、ヨハンのグラスを琥珀色で満たした。
「乾杯しようじゃないか、ヨハン――――未来に」
無骨な部屋にグラスが交わる音がした。