早朝、工房の隅の簡素な寝床の上、部屋の物音でライアンは目を覚ました。
見ると工房の机でヨハンが何か作業をしている。
「早いな、オッサン」
ライアンが起きると、ソファで寝ていたリリアも目を覚ました。
「おはようございます」
「おう、おはよう。ふたりとも」
ヨハンはそう言いながら何かの作業を続けている。
ライアンは欠伸をしながら、その様子を覗き込む。
「なんだ、朝早くから、片付けか?」
「ああ、片付けと準備だ。客が来るからな」
ヨハンは木箱の中を覗き込みながら答えた。
「客?」
「錬金術師の古い知り合いだ。……あれ? アレが無いな? あ、まさか」
ヨハンがそう言いながら、しゃがみこんで棚の下を覗き込んだ。
その様子をライアンは不思議そうに見る。
「どうした?」
「ああ、ちょっと、薬ビンが棚の下に潜り込んじまったかもしれねえ」
「どれどれ、ちょっと俺が――」
「――いやいや、ライアンお前はどいていてくれ。おーい、嬢ちゃん。ちょっと来てくれ」
呼ばれたリリアがすぐに寄ってきた。
「なんでしょう?」
「嬢ちゃんなら手が小さいから、ここの隙間に通るだろう。ちょっと棚の下の小瓶を取ってくれねえか?」
「あ、はい」
リリアもしゃがみこみ棚の下を覗く。
「暗くてよく見えませんね」
「多分、手を突っ込んだら分かると思う。頼むよ」
「はい、わかりました」
そう言ってリリアは棚の下をまさぐる。だが手には何も当たらない。
「何もありませんね」
「あれ? そうか、俺の勘違いかな? 何も無いなら、もういいぜ」
言われてリリアが起き上がった。その彼女を見てヨハンは苦笑いをする。
「嬢ちゃん、髪にホコリがついているぜ」
ヨハンはリリアの髪を乱雑にはたく。
「よし、ホコリは取れた。助かったよ、嬢ちゃん」
「い、いえ、私は何も……」
リリアは自らの頭を撫でて髪を整えながら答えた。
************
しばらくしてフランツとエマも工房へとやってきた。
強盗団の三人組は捕まったとはいえ、まだ油断はできないと、二人はヨハンの護衛を続けるらしい。
工房に入る前、フランツは外の様子を怪訝に眺めていた。
「どうしました? フランツさん」
その様子を訝りエマが聞いてきた。
「いや、いつもは外の空き家に、護衛の兵士がいるのだけど、今日は誰も居ないと思ってね」
「例の三人組が捕まったからでしょうか? それとも私たちが居るから、護衛の必要は無いということでしょうか?」
「うーん。まぁ、その両方かもしれないね……」
多少の引っ掛かりを感じながらも、フランツは工房へと入っていった。
中ではヨハンとリリアが片付けと掃除をしていて、ライアンはソファで寝そべっていた。
「――あ、おはようございます。フランツさん、エマさん」
リリアが快活に挨拶をする。
「おはようございます」
手を上げて応えるフランツと少し頭を下げるエマ。
「今日は朝からお掃除ですか?」
「はい、今日はヨハンさんのお客さんが来られるみたいなので」
「お客さんですか」
そこへヨハンの声が飛んでくる。
「おーい、嬢ちゃん。ここの床も拭いておいてくれ」
「あ、はーい」
リリアが答えて雑巾をもってヨハンの元へと駆け寄っていった。
「――貴方は手伝わないのですか?」
フランツはソファのライアンに向かって言った。
「まぁな」
なぜかライアンは自慢気に答えた。フランツは短くため息をつく。
「エマちゃん、我々も手伝い……」
フランツがエマの方を見ると、彼女は既にソファの上に座っていた。
そしてソファの先客であるライアンと押し合いをしている。
「邪魔だって、お前。無理やり座ってくるな」
「貴方の方が邪魔です。一応助手なんですから、掃除を手伝ってきたらどうですか」
フランツは眼鏡の位置を直しながら、大きめのため息をついた。
すると、工房の外に馬車の気配がした。
盗賊やならず者が馬車で来ることはないだろうと思いつつも、フランツは外の様子を警戒した。
扉をノックする音がする。ヨハンが扉を開けた。
すると、そこには綺麗な身なりをした、長髪で口ひげをたくわえた紳士が立っていた。
「……よう」
「……ああ」
ヨハンとその紳士はぎこちなく挨拶を交わす。
「まぁ、入ってくれ」
紳士は扉をくぐって中を見渡す。
「随分と賑やかだな」
「はは、まぁな……」
「――オッサン、それは誰だ?」
ライアンがぶっきらぼうに言う。
「ああ、みんなに紹介するよ。コイツ……この人は、ダミアン・イグナシオ。俺の古い知人だ」
ヨハンが告げたその名前にフランツが反応する。
「イグナシオ? あのイグナシオさんですか?」
「フランツ、知っているのか?」
「知っているも何も、この街で一番有名な錬金術師じゃないですか。むしろ知らない方がおかしいでしょう」
眉を寄せながら言うフランツに、ライアンは「そうか」とだけ答えた。
イグナシオの方は特に気を悪くした様子も無く、工房の天井やら壁の棚やらを見回している。
「懐かしいか?」
「……ああ」
ヨハンが問うとイグナシオは短く返事をした。
すると、また扉をノックする音がした。
ヨハンが向かおうとすると、イグナシオがそれを制する。
「俺の従者だ。荷物を運び入れるぞ」
イグナシオが扉を開けて、大きな木箱を持った男を招き入れた。
男は木箱を机の近くに置くと、そのまま帰っていった。
「――材料か、随分と多いな」
「お互い造ったことが無いモノだからな。ある程度の失敗を見越して多めに用意した」
木箱を前にして話す二人のもとへとリリアが近づいて来た。
リリアはイグナシオと目が合うと、ぺこりとお辞儀をする。
「ヨハンさんの助手をしています。リリアといいます」
言い終わりにリリアは再び頭を下げた。
「イグナシオだ。よろしく」
「そういえば、こっち側の紹介がまだだったな――」
ヨハンはそう言って、ライアンとフランツ、エマの紹介を簡単に済ました。
紹介されたフランツとエマは頭を下げて挨拶をした。しかし、ライアンはソファに寝そべったままだった。
「――まぁ、そんなところだ」
ヨハンの説明にイグナシオは無言で頷く。
「そうか。では早速始めよう」
イグナシオが言い、ヨハンはぎこちない首肯で返す。
「ヨハンさん、何か造るのですか?」
リリアが問いかけてきた。
「……そうだ。今から、このイグナシオと錬成作業をする。今回は嬢ちゃんの手伝いはいらないぜ」
「え? そうなのですか?」
「ああ、今から造るのは、『アルカナス目録教書』じゃ無い。だから手伝いは要らないんだ」
木箱を開ける作業を始めていたイグナシオの手がぴくりと止まった。
イグナシオは横目でリリアを見ると、すぐに作業を再開させた。
そこにヨハンも加わり、二人で木箱の中身を取り出す。
イグナシオが周りには聞こえない声でぼそりとヨハンに何か尋ねた。
ヨハンは何も答えず、首を縦に振った。
しばらくの間、材料の整理をしていたヨハンとイグナシオ。やがて整理が一段落ついた二人は作業机を挟むようにして向かい合った。
落ち着いた雰囲気のイグナシオとは対照的にヨハンは落ち着かない様子だ。視線は時々ちらちらとライアンたちの方へと向いて小さなため息を繰り返している。
「気が進まないか?」
イグナシオが静かに問う。
「…………」
ヨハンはちらりとイグナシオの顔を見るが何も答えない。
イグナシオが机に両手を着いて身を乗り出す。
「これは、お前とお前の家族の未来の為だ」
「……わかっている。わかっているさ」
「例の物は用意できているな?」
「ああ、ここにある」
ヨハンは小さな小瓶を机の上に出した。
イグナシオがそれを手に取って中を眺めた。
「本物だろうな?」
「それは間違いない」
「いいだろう。では始めよう」
「……ああ」
こうして二人の共同による錬成作業は開始された。
特殊な液体に浸した黒曜石を炉にくべて、溶融させるところから始まり、溶けた黒曜石に様々な材料を混ぜ込んでいく。高温に熱せられた液体の黒曜石に材料を放り込むたびにジュッと燃える音がして、焼けた匂いが辺りに漂う。
やがて溶けた黒曜石は型に流し込まれて、固体としての形を取り戻す。固まった黒曜石は光を全て吸い込むような漆黒の色をしていた。
「――このくらいでいいだろう。次の工程だ」
「……わかっている」
そんなやり取りをする二人を離れた所で本を読んでいたリリアが見る。その目には陰りが浮かんでいた。
************
「――ちょっと、どういうこと?」
シェリーは道の真ん中に立ちふさがる兵士に詰め寄った。
「言った通りだ。この先は通行止めだ。引き返せ」
兵士がシェリーの迫力にも動じず、冷淡に言い返す。
「この先に知り合いの工房があるのよ。そこに行きたいだけ。通してよ」
「駄目だ。これは国軍のラルハザール将軍の命令だ。従え」
頑なに通せんぼする兵士を睨みながらむくれるシェリー。トリシアが柵が設けられた通りの先を見つめて怪訝な表情をした。
そのやり取りを物陰で見ていた一人の赤毛の少女。
彼女は辺りを見渡しながら、近くの空き家に扉の隙間から入り込んだ。そのまま奥の勝手口から路地裏に抜ける。そして通りを塞ぐ兵士たちに足音を聞かれないように、そっと路地裏を歩き始めた。
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ヨハンは小刻みに震える手で、装飾が施された黒曜石を純銀の台座へはめ込んだ。
台座は寸法ぴったりに造られていて、黒曜石は綺麗に収まった。
その後に布で汚れを拭き取り、ヨハンは大きく息を吐いた。
「――できたか」
腕組みをしてその作業を見ていたイグナシオが呟いた。
「ああ、完璧だ」
言葉とは裏腹に浮かない表情でヨハンは答えた。
「時間も丁度いい。そろそろ来る時間だろう」
懐中時計を見ながらイグナシオが言う。
「…………」
ヨハンは何も答えない。ただじっと床を見つめている。
「もう引き返せないぞ、ヨハン。あとは委ねるだけだ」
「ああ」
ヨハンは手元の酒瓶を掴んで呷った。