その者の到来を最初に感じ取ったのは、ライアンの耳だった。
工房の外の無人の通りを甲冑を微かに鳴らしながら、その者が近づいてくる。
淀み無く力強い足音を奏でながら。
工房の前に差し掛かったところで、フランツたちも気が付いた。
フランツはライアンの顔を見る。その目は「誰でしょうか?」といった質問が込められた視線だった。
しかし、ライアンも心当たりが無く首を傾げる。
その誰かが工房の扉をノックした。
ヨハンはビクリと反応して視線を彷徨わせる。
「私が出よう」
イグナシオがそう言って、扉の方へ向かう。
そしてイグナシオが開けた扉から、一人の男が入ってきた。
それは磨き上げられた銀色の甲冑を着込み、指揮官であることを示す紋章入りのマントを羽織った一人の兵士だった。
鉄仮面のような表情の無い顔において、唯一瞳だけは冷たくも覇気を纏っている。
立場を知らぬ者でもその姿を見ると畏怖してしまう――将軍ラルハザールだった。
将軍が自らの脚で一人きりで工房に訪問してきたことにライアンたちは驚く。しかし、ヨハンとイグナシオは慌てる素振りは無かった。
「ようこそ、将軍閣下」
イグナシオが恭しく礼をした。
ラルハザールは工房の中を見渡してぼそりと呟く。
「人払いを」
「わかりました」
イグナシオがヨハンに耳打ちをする。ヨハンは一つ咳払いをした。
「な、なぁ、みんな。これからちょっと大事な話をするんだ。ちょっと外に出ていてくれないか?」
どこか緊張した声でヨハンは言った。
ライアンたち一同は顔を見合わせた後、ぞろぞろと工房の扉から出ていった。
工房の中にはヨハンとイグナシオ、そしてラルハザールの三人だけとなった。
ラルハザールがテーブル席にどかりと腰を下ろす。
「――例の物はできたか?」
低い声でラルハザールは尋ねた。
代表してイグナシオが台座に埋め込まれた黒い石をテーブルの上に差し出した。
*************
一方、工房の外では手持ち無沙汰のライアンたちが、向かいの空き家の様子を覗っていた。
フランツは空き家の中に入って様子を見ている。
「まだ生活用具がありますから、完全に引き払ってはいませんね。一時的に留守にしているのでしょうか?」
フランツが護衛の国軍兵が寝泊まりしていた場所を確認していた。
「護衛の兵士だけじゃないな。この辺り一帯、人の気配がしない」
もともとヨハンの工房は人気の無い所にあるのだが、それでも全く人が住んでいないわけではない。
周辺一帯の住民がすべて出払っていることは不自然であった。
「そこも不思議ですが、何よりもあの将軍がわざわざ一人で来たことが、もっと不思議ですね」
フランツの言葉にライアンも腕組みして考える。
先程までのソファで寝転がっていた時とは違って緊迫した顔つきをしていた。
そのライアンにリリアが近づく。彼女は俯いて悲しそうな顔をしている。
「どうしたリリア。何かあったのか?」
ライアンはリリアの尋常ならざる表情を見て訝る。
「何かが、起きるかもしれません」
リリアはそう言いながら、ライアンにある物を手渡した。
「これを持っていて下さい」
「……これは」
手渡された物を眺めるライアンに、リリアは耳打ちをする。
それを聞いたライアンは目を見開いてリリアを見た。
「そんな、まさか……」
その時だった。
工房の扉が開いてヨハンが顔を出した。
彼はリリアを見つけると手招きをする。
「嬢ちゃん。ちょっとだけ手伝って欲しい……中へ入ってくれ」
ヨハンの呼びかけに、ライアンはリリアと視線を合わせる。
「じゃあ、お願いします。ライアンさん」
リリアはそう言うと工房の中へと入っていった。
*************
「――私は何をしましょう?」
工房の入口近くに立ったまま、リリアは尋ねた。
「あ、いや、とりあえず、奥の方へ行ってくれ」
ヨハンはリリアを奥の壁へと促した。
そして、ヨハンがゆっくりとリリアへと近づいてきた。手には黒い石を持って。
リリアは目を閉じて大きく息を吐いた。
「――ヨハンさん、ハルちゃんの為ですか?」
ヨハンはびくりと身を震わす。
「な、なんだ、嬢ちゃん、いきなり」
リリアはゆっくりと目を開けてヨハンを見据える。
「私はここで色々な本を読みました。その本の中には、その黒い石の造り方もあったのです。それは――『封魔の黒耀石』、ですよね」
「まさか……気づいていたのか?」
リリアは悲しげに目を伏せる。
「はい、信じたくはありませんでしたが……」
ヨハンはゆっくりと項垂れる。
「……す、すまない。お、俺は――」
「――ヨハン・クロイツ」
地の底から響くような怒気を含んだ声が工房に響いた。ラルハザールが冷たい目でヨハンを睨みながら手を差し出した。
「代わりたまえ。私がやろう」
ヨハンが手を震わしながら、ラルハザールに黒い石を手渡した。
「嬢ちゃん。俺は……」
「ごめんなさい。ヨハンさん。私はそれに従うことはできません。こんな私でも心配してくれる人が居ますので」
そう言って、リリアは胸の前で手を組んだ。
神に祈るかのように。
その時、突如として工房の扉が蹴破られた。
勢いよく工房へ入ってきたライアンがヨハンを一瞥すると、ラルハザールを睨みつけた。
「お前か、オッサンをそそのかしたのは」
ライアンは『願人の聖水晶』を右手に握りしめていた。彼は工房の外からリリアの様子を監視していたのだった。
そして、リリアの合図――胸の前で両手を組む――を見て工房へと突入してきたのだった。
ライアンに続いてフランツたちも工房の中へと入ってきた。
それを見たラルハザールがフッと笑う。
「そこの二人。確か奇跡監査官だったな。丁度いい、ここに悪魔とその下僕がいる。悪魔は私が封じる。君たちはそこの下僕の男を始末したまえ」
「悪魔……ですって?」
フランツはいつになく険しい顔で尋ねる。
「だから、そうだと言っている」
「証拠はあるのですか?」
「この善良な市民の証言だ。間違いない」
ラルハザールが顎でヨハンを示しながら告げた。
フランツが視線をリリアとラルハザールとを行ったり来たりさせながら言う。
「……先程、悪魔を封じると言いましたが、どうやって封じるのですか?」
「いちいち、質問が多いな。言われた通りに従いたまえ」
「私への指揮権は貴方にはありません。納得が必要です」
ラルハザールが微かに顔を歪ませて舌打ちをする。
「『封魔の黒耀石』を使う。これがあれば悪魔の力を封じることができる。これでいいだろう、わかったら、そこの男が邪魔しないようにしておけ」
「随分と悪魔に詳しいのですね」
ぴくりとラルハザールの眉が動いた。
「……君等のような末端には、知らされていない事実がある」
「そうですか。それは勉強になります。それでしたら勉強ついでにその『封魔の黒耀石』もこちらに渡して貰いましょうか。悪魔の相手は私がします」
「なんだと?」
ラルハザールに睨みつけられてもフランツは飄然とした姿勢を崩さない。
「悪魔が相手となれば、それは教会の管轄でしょう。あなたのような軍人の仕事ではありません。ご協力には感謝します。続きは任せて下さい」
フランツがそう言いながら無造作にラルハザールへと近づく。
そしてラルハザールの間合いに入った瞬間。
目にも止まらぬ速さで抜剣したラルハザールが斬りつけてきた。
しかし、完全にそれを予見していたフランツは後飛びでそれを避けた。
「やはり、そう来ましたか」
ラルハザールの行動に驚いたのはヨハンたちだった。彼らは距離を取って壁際へと避難した。
「なかなかに鋭いじゃないか、奇跡監査官。なぜ疑った?」
「貴方が一人でここに現れた時から、怪しいとは思っていました。それに、あり得ないのですよ。いくら将軍とはいえ、一介の軍人が悪魔の情報を握っているなんて。『封魔の黒耀石』そんな情報、教会の上層部か、異端審問官くらいしか知らないでしょう」
「…………」
「そこまで考えて、一つの仮説が頭に浮かびました。教会の人間では無いのに、悪魔に詳しい存在……あなた、聖サタナーク教団ですね?」
フランツの言葉にイグナシオは驚愕に顔を染める。
「馬鹿な、聖サタナーク教団と言えば、あの悪魔崇拝の教団じゃないか。まさか将軍が悪魔教団なんて……」
ラルハザールは小さくため息をつく。
「馬鹿げた仮説だ。私が聖サタナーク教団ならば、何故あの三人組の中の大男を殺した? 味方を手に掛けるわけがないだろう」
「あの三人組を聖サタナーク教団だと何故知っているのですか? 何故断定できるのですか?」
「…………」
ラルハザールはその質問には答えず、冷たい目でフランツを見ている。
「それに、味方を手に掛けるわけが無いと言いましたが、捕囚の身となった味方は、邪魔だったのではないのですか? あの大男以外の他の二人。彼らも裁判なしで死罪にするように命令を下したそうですね」
フランツの言葉にラルハザールは何も答えない。その代わり彼はフンと鼻を鳴らした。
ラルハザールは目を閉じて首を回している。
「素晴らしい。だがそれだけに惜しい、ここで散らすには惜しい人材だ。恨むなら己の聡明さを恨むがいい」
ラルハザールが目を見開き、ギラリとフランツを睨みつけた。
「本性を表しましたね」
フランツは戦闘態勢を取る。ライアンも剣を抜いて構えた。
「エマちゃんは、ヨハンさん達を逃がして」
すぐさまエマが反応して動くが、その機先を制してラルハザールが斬り掛かって来た。
「させるかよ!」
ライアンが割って入って剣で受ける。
横合いからフランツが蹴りを放つが、ラルハザールは後に飛んでそれを避けた。
その隙にエマはヨハンとイグナシオ、それとリリアを連れて外へと出ていった。
「まぁいい、どうせ逃げることはできない」
ラルハザールの身体から冷たい殺気が吹き出る。
彼も遂に戦闘態勢に入ったことがうかがい知れた。
「ライアン、気をつけて下さい。おそらく彼も教団の使徒です」
「チッ、まだ使徒が居たのかよ!」
そのやり取りにラルハザールが不敵に笑う。
「……まさか貴様ら、あの三人組が使徒だと思っているのか? あんな半端者、組織の末端の構成員に過ぎない」
フランツは驚愕した。
あれだけ苦労して討伐した三人組がただの構成員に過ぎないという事実。彼の背中に冷たいものが伝う。
「ま、まさか、アナタが本物の使徒……?」
「へッ、ビビるなフランツ。あの程度の奴らの親玉なら大したことねえだろ。どうせインチキ臭い武器を使うだけだろう」
肩の上に剣を担いで挑発するようにライアンは言う。
しかしラルハザールは表情を微動だにさせずに剣を構えた。
「いいだろう。本物の使徒の恐怖を骨の髄に刻み込んでやる」
「上等だ」
ライアンは剣を構え直して床を蹴って剣を振りかぶった。
ラルハザールもそれを迎え撃つように剣を振り上げた。