数日間の旅路を経て、宗則は、ついに京の都へと辿り着いた。
しかし、彼の目に映ったのは、白雲斎の寺で聞いた華やかな都の物語とは全く異なる、荒廃した街並みだった。
城壁をくぐると、宗則の鼻腔を、焦げた木材と土埃の匂いが突き刺した。
生臭い血の匂いも混じり、宗則は思わず顔をしかめた。
道の脇には、朽ち果てた犬の死骸が転がり、ハエが群がっていた。
行き交う人々の顔には、活気はなく、不安と諦念が影を落としていた。
物乞いの声が、空虚に響き渡り、都全体を、重苦しい空気が覆っていた。
(…これが…京の都…?)
宗則は、白雲斎の寺で聞いた、華やかな都の物語とはあまりにもかけ離れた光景に、言葉を失った。
(…こんなにも…荒れ果ててしまって…)
宗則は、都の現状を目の当たりにし、陰陽師として、この世の闇を祓い、人々を救うという使命を、改めて強く意識した。
(…私は…必ず…この都を…救ってみせる…!)
宗則は、心に誓った。
白雲斎から託された紹介状を頼りに、宗則は、藤原家の屋敷を訪れた。
藤原家の屋敷は、周囲の荒廃とは対照的に、立派な門構えで、厳重に警備されていた。
門番に紹介状を見せると、宗則は屋敷の中へと通された。
屋敷の中は、外とは別世界のようだった。
手入れの行き届いた庭園、磨き上げられた廊下、上品な白檀の香りが漂う部屋…。
壁には、金箔で描かれた山水画が飾られ、床には、ふかふかの絨毯が敷かれていた。
窓の外には、手入れの行き届いた庭園が広がり、鳥のさえずりが聞こえてくる。
宗則は、案内された部屋で、春蘭を待つことにした。
部屋は薄暗く、静寂に包まれていた。
壁には、複雑な陰陽五行の図が織り込まれた掛け軸が飾られ、部屋の隅には、沈香の香りが静かに漂っていた。
書棚には、古びた陰陽道の書物が整然と並べられ、机の上には、水晶玉や呪符が置かれていた。
(花山院 春蘭様とは、一体どんな方なのだろうか……?)
宗則は、期待と不安が入り混じる気持ちで待っていた。
しばらくすると、襖が音を立てずに開いた。
宗則は、思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは、闇の中から浮かび上がったように見える、美しい女性だった。
その姿は、まるで幽玄の美を体現したかのようであり、宗則は、思わず息を呑んだ。
女性の纏う衣は、高貴な紫色の絹織物で、歩くたびに、かすかに鈴の音が聞こえる。
その音色は、まるで、宗則の心を惑わす呪文のようだった。
年齢は、四十代半ばくらいだろうか。
しかし、その美しさは、年齢を感じさせないどころか、年月を重ねるごとに深みを増した、妖艶な魅力を放っていた。
黒髪は、艶やかに輝き、白い肌は、透き通るようだった。
彼女は、高貴な紫色の着物を身にまとい、その上から、家紋入りの黒糸で精巧に刺繍された羽織を羽織っていた。
羽織の刺繍は、まるで生きているかのように、微かに光を放っていた。
「…あなたが、白雲斎様からの使者の方ですか?」
女性は、静かな声で、宗則に尋ねた。
その声は、鈴の音のように美しく、それでいて、どこか冷たい響きがあった。
宗則は、彼女の鋭い視線に射すくめられ、言葉が出なかった。
まるで、心の奥底まで見透かされているような気がして、背筋に冷たいものが走った。
同時に、背中のあざが、熱く脈打つような感覚に襲われた。
それは、恐怖とも、期待ともつかない、不思議な感情だった。
彼女の指には、銀細工の指輪がはめられ、そこから、かすかに妖気が漂っているように感じた。
(…この方が、花山院 春蘭様…?)
宗則は、ようやく、小さく頷いた。
春蘭は、宗則に近づくと、彼の顔をじっと見つめた。
その瞳は、深い闇のように、宗則の心を見透かすようだった。
その瞬間、宗則の背中のあざが、熱を帯び、かすかに光を放つのが見えた。
「…白雲斎殿は…お変わりなく?」
春蘭は、ゆっくりと口を開いた。
その声は、まるで、遠い過去から語りかけてくるようだった。
「…ええ…師匠は…お元気です…」
宗則は、春蘭の不思議な雰囲気に圧倒されながらも、なんとか答えた。
「…そうですか…それは、何よりです…」
春蘭は、わずかに微笑むと、宗則の背中に視線を向けた。
「…それは…?」
春蘭の言葉に、宗則は、自らの背中に手をやった。
そこに浮かび上がる、八咫烏の紋章。
宗則は、その紋章が、春蘭の目に、どのように映っているのか、不安を感じた。
「…白雲斎殿は…何も…?」
春蘭は、意味深な言葉を呟いた。
彼女の瞳は、鋭く光り、宗則の心を射抜くようだった。
「…さあ…私に…見せなさい…」
春蘭は、宗則に、静かに命じた。
(続く)