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第九話 秘められた思惑

花山院 春蘭の屋敷の一室。


沈香の香りが静かに漂う薄暗い部屋。

壁には、複雑な陰陽五行の図が織り込まれた掛け軸が飾られ、部屋の隅には、水晶玉や呪符が置かれている。

窓の外からは、都の喧騒が、波のように押し寄せてくるが、この部屋の中だけは、静寂に包まれ、まるで時間が止まっているかのようだった。


宗則は、春蘭の向かいに座り、白雲斎から託された書状を差し出した。

紅梅の印が押された上質な和紙は、宗則の震える指先の上で、かすかに揺れていた。


春蘭は、書状を受け取ると、ゆっくりと目を通した。

その表情は、読み進めるにつれて、厳しさを増していった。

まるで、書状の文字が、彼女の心を凍りつかせるかのようだった。



「…白雲斎様は、あなたに、何を託されたのですか?」



春蘭は、書状を読み終えると、宗則の目をまっすぐに見つめた。

その視線は、鋭く、宗則の心を見透かすようだった。



宗則は、春蘭の威圧感に押されながらも、答えた。



「…師匠は、私に、この乱世を生き抜く術を、教えてくださいました。そして、この京の都で、私の力を試したいと…」



「乱世を生き抜く術…ですか」



春蘭は、意味深な表情で、呟いた。

その言葉は、氷の刃のように、宗則の心に突き刺さった。



「…白雲斎様は…なぜ、あなたを、この都へ送られたのでしょうね…?」



春蘭の言葉は、静かだったが、宗則の胸に、言い知れぬ不安をかき立てた。



(…なぜ、師匠は、私を、この都へ…?)



宗則は、白雲斎の真意を、測りかねていた。

白雲斎は、宗則に、京の都で、春蘭を頼るようにと言った。

しかし、なぜ、春蘭なのか?



春蘭は、藤原家で、陰陽師として、高い地位にあるとはいえ、一介の武士である宗則にとって、あまりにも遠い存在だった。



(…師匠は、一体、何を考えているのだろうか…?)



宗則は、不安な気持ちを抱えながらも、春蘭に尋ねた。



「…花山院様は、師匠から、私のことについて、何か聞いておられますか?」



春蘭は、宗則の質問に答える代わりに、静かに微笑んだ。

その笑みは、美しく、妖艶だったが、どこか冷たさを感じさせた。



「…宗則様、あなたは、この京の都が、今、大きな変革期を迎えていることを、ご存知ですか…?」



春蘭は、静かに語り始めた。

その声は、まるで、氷のように冷たく、宗則の心を凍りつかせるようだった。



「…朝廷では、権力を巡る争いが、激化しています。そして、地方では、戦国大名たちが、天下統一を目指し、互いに領土を奪い合っています。この都は、嵐の前の静けさの中にいるのです」



「…はい」



宗則は、頷いた。



「…この乱世を生き抜くためには、力が必要です。武力、財力、そして…知力。しかし、それだけでは足りません。時には…人の心を操る術も必要となるでしょう」



春蘭は、宗則の目をまっすぐに見つめた。

その瞳は、闇夜に輝く星のように、鋭く光っていた。



「…白雲斎様は、あなたに、知力を授けられました。そして、その知力を、この京の都で、試せと…そうおっしゃったのではないですか?

…宗則様…あなたには…この都を…そして…この国を…救う力がある…私は…そう信じています…あなたを…白雲斎様のような…立派な陰陽師に…育て上げるのが…私の…使命です…」



「…しかし、私は、まだ、未熟者です。私に、一体、何ができるというのでしょうか…?

…師匠からは…式神の召喚術…そして…結界術…を…教わりました…ですが…私は…まだ…その力を…制御しきれていません…」



宗則は、自信なさげに言った。

春蘭の言葉は、あまりにも重く、宗則の心を押しつぶすようだった。



「…それは、これから、あなたが、己の心で、見出すことです。そして、私が、あなたを、その道へと導きましょう。」



春蘭は、意味深な言葉を残すと、立ち上がった。

彼女は、部屋の隅に置かれた香炉に手を伸ばし、香を焚き始めた。



甘い香りが、部屋の中に広がっていく。

それは、心を落ち着かせる効果を持つ香だったが、宗則は、その香りに、微かな吐き気を覚えた。

まるで、彼の心の奥底にある、何かが、拒絶反応を示しているかのようだった。



「…この香は…特別な力を持つ…『白檀香』…邪気を祓い…心を鎮める…効果がある…しかし…時には…人の心の奥底に…隠された…闇…を…映し出すこともある…」



春蘭は、香炉から立ち上る煙を、静かに見つめながら、言った。



「…宗則様…明日から…あなたの試練が始まります…都に渦巻く闇は…あなたが想像する以上に…深く…恐ろしいものです…まずは…その闇…を…見極めることから…始めましょう…そして…二条尹房の企む陰謀を…阻止するのです…」



「…春蘭様…私は…まだ未熟者ですが…必ず…あなたの期待に応えてみせます…! この都を…そして…この国を…救うために…!」



宗則は、春蘭の言葉に、決意を新たにした。

不安は消えない。

しかし、彼は、春蘭の期待に応えたいと、心から願っていた。



春蘭は、静かに微笑んだ。

その笑顔は、宗則に、わずかな希望を与えた。



「…信じています…宗則様…」



春蘭は、そう言うと、部屋を出て行った。

彼女の後ろ姿は、闇に溶け込むように、消えていった。



宗則は、一人、部屋に残された。

静寂が、耳をつんざくように響く。

窓の外からは、都の喧騒が、波のように押し寄せてくる。

しかし、宗則の心は、深い闇の中に閉じ込められたように、重く、冷たかった。



(…私は…本当に…この都を…救うことができるのだろうか…?)



宗則は、不安と期待が入り混じった、複雑な気持ちを抱えながら、眠りについた。



(続く)

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