朝焼けが京の都を薄紅に染める頃、宗則は春蘭に呼び出され、屋敷の離れへと案内された。
石畳の道は露で濡れ、ひんやりとした空気が宗則の頬を撫でる。
道の脇には、紅葉が始まった木々が立ち並び、静寂の中に、どこか寂しげな美しさを漂わせていた。
離れは、屋敷の奥まった場所にひっそりと佇んでいた。
木造の簡素な建物だが、周囲には清浄な空気が漂い、神聖な雰囲気を醸し出している。
「ここは、私が式神を鍛錬する場所です」
春蘭が静かに語る声に、宗則は思わず息を呑んだ。
部屋の中は薄暗く、沈香の香りが静かに漂っていた。
壁には、複雑な陰陽五行の図が織り込まれた掛け軸が飾られ、部屋の隅には、水晶玉や呪符が置かれている。
奥には、禍々しさと神秘が入り混じるような小さな祭壇が据えられていた。
祭壇の上には、奇妙な形をした仮面が置かれ、その周りには、黒曜石や水晶などの石が、幾何学模様に配置されている。
宗則は、その異様な光景に、背筋がゾッとするのを感じた。
「宗則様…あなたには…白雲斎様から…烏の巻物が…託されたそうですね…」
春蘭は、宗則の懐に手を伸ばし、巻物を取り出した。
彼女の指先は、氷のように冷たく、宗則は、思わず身震いした。
「…この巻物には…禁断の術が…記されています…古より陰陽師の間で…口伝すら禁じられてきた…恐るべき術…」
春蘭の言葉に、宗則は、息を呑んだ。
禁断の術…。それは、白雲斎が、決して口にすることのなかった、闇の世界の力。
「…二条尹房…彼は、この禁断の術を求めています…最近では、公家の間で不可解な病が流行っているという噂があります…それはまるで、生気を吸い取られるかのような、恐ろしい病…。私は…尹房が…その病を利用して…朝廷を…そして…この国を…我が物にしようと…企んでいるのではないかと…考えています…」
春蘭は、少し間を置き、静かに語り始めた。
その声は、悲しみに震えていた。
「…かつて…私は…愛する者を…尹房の陰謀によって…失いました…もう…二度と…あんな悲しい思いは…したくありません…」
春蘭は、宗則の目をまっすぐに見つめた。
その瞳には、深い悲しみと、強い決意が宿っていた。
「…あなたを…白雲斎様のような…立派な陰陽師に…育て上げるのが…私の…使命です…そして…それは…私の…過去の過ちを…償う…唯一の方法でもあるのです…」
春蘭は、宗則に、白雲斎から託された「烏の巻物」を開くように促した。
宗則は、震える手で、巻物を開いた。
古い文字で記された、禁断の術の数々。
人の魂を操る術、死者を蘇らせる術、そして、この世に災厄を招く術…。
「…人の魂を操り…死者を蘇らせ…あるいは…この世に災厄を招く…?」
宗則は、巻物に記された文字を読み、戦慄した。
彼の背中のあざが、激しく熱を帯び、不吉な光を放つ。
(…こんな…恐ろしい術が…この世に…存在するのか…?)
(…師匠は…なぜ…私に…こんな危険な巻物を…?)
宗則の心は、恐怖と混乱で、いっぱいになった。
(…私は…本当に…この力と…向き合えるのだろうか…?)
宗則は、自らの無力さを、改めて痛感した。
「…その力…使い方を間違えれば…多くの者を不幸にする…諸刃の剣…となります…宗則様…あなたは…その力を…制御できるよう…修行しなければなりません…」
春蘭は、静かに、しかし力強く言った。
「…春蘭様…私は…まだ未熟者ですが…必ず…あなたの期待に応えてみせます…! この都を…そして…この国を…救うために…!」
宗則は、春蘭の言葉に、決意を新たにした。
不安は消えない。
しかし、彼は、春蘭の期待に応えたいと、心から願っていた。
「…さあ…始めましょう。陰陽道の修行を…まずは…あなたの…心の奥底に眠る力…その源泉を…目覚めさせなければなりません…」
春蘭は、宗則を祭壇の前に立たせ、目を閉じさせ、自らの声に集中するように指示した。
「…この祭壇の前に立ち…目を閉じ…そして…私の声に…集中してください…深い瞑想を通して…自らの精神と肉体を…一体化させ…そして…陰陽のエネルギー…を…感じ取るのです…」
春蘭の声が、部屋中に響き渡る。
宗則は、彼女の言葉に従い、祭壇の前に立ち、目を閉じた。
すると、彼の背中のあざが、熱く脈打ち始め、体中を、不思議な力が駆け巡る。
その時、宗則は、背後から、冷たい視線を感じた。
それは、まるで、部屋の闇そのものが、宗則を見つめているかのようだった。
(…誰…?)
宗則は、目を開けようとした。
しかし、春蘭の声が、彼を制止した。
「…まだ…目を開けては…いけません…宗則様…」
(続く)